権利と義務ということについては、今はあまりにも権利を主張しすぎ、義務の方がおろそかになっていると言えましょう。義務の義という字は、我れ羊のごとし、と書きます。すなはち義務とは、われ羊のごとく努める、という意味です。つまり羊は、おとなしく群れをなし、孜々営々と草を食べ、そして決して人に害を与えない。しかも自分の体を全部人に供給してしまいます。ところがこの羊は、年々地上に増える。逆にあの強いライオンや虎は、しだいにこの地上から姿を消している。強いものが滅び、弱いものが残るという原則を羊に見ることができるのです。
【言葉を味わう】
社会的には義務と言えば、「納税の義務」とか、子どもを学校に通わせる義務とかというものです。しかし宗教的には、神の思いに生きること、仏の願いに生きることが義務なのであって、言い換えれば人間として正しい生き方をすることが、神仏から与えられた義務なのです。
社会的には、義務を果たさないものは、信用を失い自ら滅んで行きますが、宗教的にも、人間的に正しい生き方をしない人は自滅していくのです。
宗教に癒しを求める人は多いですが、ただ、甘えるのではなく、神仏に与えられた、人間として正しい生き方をするという義務を果たして行かなければなりません。自分を甘やかしてくれるだけの宗教なら、その人を堕落へと導いて行くことでしょう。
【立花大亀老師の略歴】
1899年 大阪府堺市に生まれる
1921年 堺市の南宗寺にて得度
1968年 大徳寺住職
1982年 花園大学学長
2005年 遷化(享年107才)
【言葉を味わう】
社会的には義務と言えば、「納税の義務」とか、子どもを学校に通わせる義務とかというものです。しかし宗教的には、神の思いに生きること、仏の願いに生きることが義務なのであって、言い換えれば人間として正しい生き方をすることが、神仏から与えられた義務なのです。
社会的には、義務を果たさないものは、信用を失い自ら滅んで行きますが、宗教的にも、人間的に正しい生き方をしない人は自滅していくのです。
宗教に癒しを求める人は多いですが、ただ、甘えるのではなく、神仏に与えられた、人間として正しい生き方をするという義務を果たして行かなければなりません。自分を甘やかしてくれるだけの宗教なら、その人を堕落へと導いて行くことでしょう。
【立花大亀老師の略歴】
1899年 大阪府堺市に生まれる
1921年 堺市の南宗寺にて得度
1968年 大徳寺住職
1982年 花園大学学長
2005年 遷化(享年107才)