次の文章は、「無門関」「碧巌録」にある『南泉斬猫』というお話です。
東西の両堂猫児を争う、南泉提起して云く、道ひ得ば即ち切らず。衆無對、南泉猫児を斬って両断と為す。南泉、趙州に問ふ、趙州便草鞋を頭上に於いて戴いて出づ。南泉云く、もしなんじ在らば、猫児を救い得ん
東堂と西堂の雲水(お坊さん)たちが、「この猫は俺たちのものだ」と、猫を奪い合って争っていました。師匠の南泉和尚がやってきて、猫の首をつかんで「この猫のために何か言ってやれ。そうしたら猫の命を助けてやるぞ」と言いました。しかし誰も何も言うことはできませんでした。南泉和尚は、ばっさりと猫を斬り殺してしまいました。
そこへ、弟子の趙州が帰ってきました。南泉が趙州に今の話をすると、趙州は履いていた草履を自分の頭に載せて出て行ってしまいました。南泉は、「趙州がいたら猫は死なずにすんだものを」と言いました。
前回の続きです。
趙州は草履を頭に載せて出て行ってしまいました。
猫を殺したのは南泉和尚でしたが、自分も一緒に地獄に落ちると趙州は言いたかったのではないでしょうか。履き物の下にある世界は地獄です。頭の上に履き物を載せたのは地獄に落ちることを意味しているのです。みんなが誰かが何か言うだろうと思って、猫は死んでしまいました。南泉和尚が猫を殺したのですが、見ていたみんなも同罪です。さらに、その場にいなかった趙州も同罪だと趙州は言いたかったのでしょう。人ごとではないのです。自分のこととして考えれば、趙州も同罪なのです。趙州はその場にいなくて、猫を助けてやれなかったからです。「かわいそうに」と人ごとのようにいうのではだめなのです。主体は自分なのです。猫の死を悲しんでいるのはあくまでも自分なのですから。
東西の両堂猫児を争う、南泉提起して云く、道ひ得ば即ち切らず。衆無對、南泉猫児を斬って両断と為す。南泉、趙州に問ふ、趙州便草鞋を頭上に於いて戴いて出づ。南泉云く、もしなんじ在らば、猫児を救い得ん
東堂と西堂の雲水(お坊さん)たちが、「この猫は俺たちのものだ」と、猫を奪い合って争っていました。師匠の南泉和尚がやってきて、猫の首をつかんで「この猫のために何か言ってやれ。そうしたら猫の命を助けてやるぞ」と言いました。しかし誰も何も言うことはできませんでした。南泉和尚は、ばっさりと猫を斬り殺してしまいました。
そこへ、弟子の趙州が帰ってきました。南泉が趙州に今の話をすると、趙州は履いていた草履を自分の頭に載せて出て行ってしまいました。南泉は、「趙州がいたら猫は死なずにすんだものを」と言いました。
前回の続きです。
趙州は草履を頭に載せて出て行ってしまいました。
猫を殺したのは南泉和尚でしたが、自分も一緒に地獄に落ちると趙州は言いたかったのではないでしょうか。履き物の下にある世界は地獄です。頭の上に履き物を載せたのは地獄に落ちることを意味しているのです。みんなが誰かが何か言うだろうと思って、猫は死んでしまいました。南泉和尚が猫を殺したのですが、見ていたみんなも同罪です。さらに、その場にいなかった趙州も同罪だと趙州は言いたかったのでしょう。人ごとではないのです。自分のこととして考えれば、趙州も同罪なのです。趙州はその場にいなくて、猫を助けてやれなかったからです。「かわいそうに」と人ごとのようにいうのではだめなのです。主体は自分なのです。猫の死を悲しんでいるのはあくまでも自分なのですから。