仏教が中国に入りましてから、儒教、老荘、その他中国の民俗、習慣と密接に結びつきました。お位牌を祀ることも中国の風俗で、仏教にはなかったことです。
これは儒教の思想によるものであり、さらにまた、日本人本来の民族精神と結びついて、発展し来たったものだと思いますが、しかしこれは、仏教本来の精神ではないと思うのです。」
「先祖の霊を崇厳懇切にお祀りすることは、日本民族の美風として悪いことではありませんが、これがはたして仏教であろうかどうかということを私は考えます。お釈迦様は、一度も死んだ人のお葬式をなさったこともないし、なくなった人たちのために読経や回向をなさったこともなかったのです。なくなった人たちのためにお祈りをすれば、地獄に墜ちた霊が天国に登るということを教える外道が、お釈迦様の時代にもありました。
これは儒教の思想によるものであり、さらにまた、日本人本来の民族精神と結びついて、発展し来たったものだと思いますが、しかしこれは、仏教本来の精神ではないと思うのです。」
「先祖の霊を崇厳懇切にお祀りすることは、日本民族の美風として悪いことではありませんが、これがはたして仏教であろうかどうかということを私は考えます。お釈迦様は、一度も死んだ人のお葬式をなさったこともないし、なくなった人たちのために読経や回向をなさったこともなかったのです。なくなった人たちのためにお祈りをすれば、地獄に墜ちた霊が天国に登るということを教える外道が、お釈迦様の時代にもありました。