行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

内山興正師が西洋狂信者を斬る

2014年01月28日 | 禅の心
「周知のように、西洋文明というものは分別工夫を根本にしています。
しかし、分別知を学ぶ過程で大切なことは、あれかこれかを分別すると同時に、その相互関係を考えるということです。明治以来の学びかたはこの点でも決して悪くはなかった。ところが戦後、アメリカのやりかたをまねするようになって、おかしくなってきた。というのは、かつてアメリカ人たちは一刻も早くヨーロッパ列強と肩を並べるために、科学文明の能率を高めようと、あれか、これか、○か、×か、という方法をあみだした。このやりかたには、あれとこれとの関係を考える手数が省かれている。戦後の日本はこのやりかたをうのみにして、まず教育に採り入れたので、いまの若い人たちの顛には○か×しかない。大切な「相互関係を考える」という能力が抜きになっている。これは皆さんも痛感しておられると思う。
 しかもこの傾向は若い人たちばかりではない。戦後流行してきた新興宗教・・・仏教系を自称するものからキリスト教系を名のるものまでいろいろさまざまにあるが、あの連中の考えかたも同じだ。要するに○か×か、○とつけたものは盲信するが、×とつけたものには耳も貨さない。もう忘れられかけた浅間山荘事件の連合赤軍の連中は、自分たちだけの閉鎖状態のなかで、互いに○か×かをつけ合って一人ずつ消していった。
あのまま放置されれば最後にオレー人というのが現れたかも知れない。今日の新興宗教の連中にしても、ロをひらけば理屈ばかり並べたてているが、頭の中味はいたって単純、○か×かだけ。あげくのはてか狂信性という共通点まで持っている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする