蕎麦の種に固い皮があるように、モミにも殻があるように、卵にも殻があるように、お互いの仏性はあるに違いないと分かっても、そこに何か一つ殻がかぶされておるのだ。
その殻が取れて来んといかん。
その殻は、自力の力で破るのではない。
めんどりが卵をじっと温めておりさえすれば、中の生命はみずからその殻を破って出て来るのである。
太陽の温かい光がモミを照らしていけば、水の中でモミはみずから、殻を破って芽を出して来るのだ。
この中から、モリモリと出て来る命を育てていくことが、坐禅ということだ。
その殻が取れて来んといかん。
その殻は、自力の力で破るのではない。
めんどりが卵をじっと温めておりさえすれば、中の生命はみずからその殻を破って出て来るのである。
太陽の温かい光がモミを照らしていけば、水の中でモミはみずから、殻を破って芽を出して来るのだ。
この中から、モリモリと出て来る命を育てていくことが、坐禅ということだ。