行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

山田無文老師の言葉

2014年09月12日 | 禅の心
蕎麦の種に固い皮があるように、モミにも殻があるように、卵にも殻があるように、お互いの仏性はあるに違いないと分かっても、そこに何か一つ殻がかぶされておるのだ。

その殻が取れて来んといかん。

その殻は、自力の力で破るのではない。

めんどりが卵をじっと温めておりさえすれば、中の生命はみずからその殻を破って出て来るのである。

太陽の温かい光がモミを照らしていけば、水の中でモミはみずから、殻を破って芽を出して来るのだ。

この中から、モリモリと出て来る命を育てていくことが、坐禅ということだ。

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