行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

迷信もまた方便

2014年09月16日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
蓮如上人は迷信や占いに惑わされる人に次のように言っています。

御門徒の中にわずらへば、祈祷師、神子、陰陽師をもって病者を祈り、あるいは今生の寿福を神に祈る輩は、聖人の御門徒にあらず。いそぎて御門徒をはなさるべきこと。(蓮如上人九十箇条)

病気になったら、祈祷師や神主、陰陽師に病気が治るのを祈らせたり、神様に長生きできることを祈る人は親鸞聖人の御門徒ではないから、さっさと浄土真宗から出て行きなさい。

この蓮如上人の言葉は次の親鸞聖人の言葉がもとになっています。

かなしきかなや、道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつト占祭祀つとめとす   (正像末和讃)

嘆かわしいことだね、世間では良い時間、吉日などの迷信に惑わされ、神様をあがめて占いや祭祀に熱心なことよ。

さて、私は迷信や祈祷、占いは正しい仏法に入っていくひとつのきっかけになっていくこともあると思っています。また、宗派の中には天台宗や真言宗のように神道との関連が強く、祈祷が大きな位置を占めているものもあります。
迷信や祈祷は親鸞聖人や蓮如上人の意としないことであり、釈尊の正しい教えではありません。しかし、長い間にいろいろなものと結びついてきた日本の仏教において、迷信や祈祷は一つの方便だと思っています。

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