私のことをね、『大法輪』という雑誌にはね、「宿無し興道」というんじゃ。宿無し興道というのは、こいつはまたね、いろいろな解釈が出るんじゃ。「宿無し興道」にいろいろな解釈がある。それは何のためにするのでもない。どうする。寺を持つために坊主になったんやないもんな。わしは。
ワシは天草に来て発心したのは金慶寺の黙庵和尚が・・・もう年寄りでなけりゃ知らんけどね。・・・大きなけんかをして、木魚を担ぎ出してそうして裁判して大騒動やったのを見て「ははーん、こりゃあ坊主というものは三百代言的腕をもっとらんと、うっかり寺持っとっても、あんな裁判に出るのはオレかなわんでもう。かかあもつか知らんが、寺だけは持つのをやめた」というのが・・・。これ天草の善知識様ですよ。この黙庵和尚がね。
それがために私はとうとう寺を持たなんだから。人の死ぬのを待っとるようなことはないしね。人が死んで収入があるということは、まことに罪悪なことでね。いや、本当じゃろう。それは本当のところ戒律に詳しく書かれている、そりゃあ。人が死んで収入があるということは非常に罪悪なん。
ワシは天草に来て発心したのは金慶寺の黙庵和尚が・・・もう年寄りでなけりゃ知らんけどね。・・・大きなけんかをして、木魚を担ぎ出してそうして裁判して大騒動やったのを見て「ははーん、こりゃあ坊主というものは三百代言的腕をもっとらんと、うっかり寺持っとっても、あんな裁判に出るのはオレかなわんでもう。かかあもつか知らんが、寺だけは持つのをやめた」というのが・・・。これ天草の善知識様ですよ。この黙庵和尚がね。
それがために私はとうとう寺を持たなんだから。人の死ぬのを待っとるようなことはないしね。人が死んで収入があるということは、まことに罪悪なことでね。いや、本当じゃろう。それは本当のところ戒律に詳しく書かれている、そりゃあ。人が死んで収入があるということは非常に罪悪なん。