行雲流水

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山田無文老師が 独坐大雄峰 を語る

2011年07月08日 | 禅の心
○戦後の日本は哲学を軽視して科学を尊重してまいりました。本当の意味での「人間尊重、自我の自覚」ということについて、多くの人が誤って解釈しているのではないかと思います。
○道徳とは、他から「ああせい、こうせい」と指図すべきものではありません。
子どもたちが心の中から考えて、すべきものであります。
○しかし、考えることの嫌いな子どもたちは、ただちに動物的な本能だけを発揮し、その結果ドライになる。逆に考えることの好きな子どもは、頭の中で暗中模索をして、ついにノイローゼになってしまう。
○「この世でいちばん有り難いもの」と尋ねられた百丈禅師は、こうお答えになりました。
○「独坐大雄峰・・・・・私が今独り生きて、ここに坐っとることがいちばん有り難い。私が生きて、現にここに坐っとることが、いちばん素晴らしい。一番尊い」
これぐらい人間尊重の言葉はないと思います。これほど「自我を自覚」し、「個人を尊重」された言葉はないと思うのです。
○皆様方にとって何が一番尊いか。何が一番有り難いか。何が一番素晴らしいか。今、生きて、そこに坐っていらっしゃることが、一番有り難いのです。
○お金のあることも結構。立派な住宅に暮らされることも結構。ご出世なさることも結構ですが、それは皆さんが、今生きて、そこに坐っていらっしゃることが、いちばん有り難いのです。


【言葉を味わう】
人生、嫌なこと、苦しいことばかりですが、何のために生きているのか。そんなことはどうでもいいのです。今、ここに存在していることが一番めでたいことで、有り難いことなのです。そのことを教えてくれるのが、禅であり、仏教なのです。


【山田無文老師略歴】
  1900(明治33)年 豊田市に生まれる。
  1925(大正14)年 臨済宗大学卒業。
  1929(昭和 4)年 妙心寺専門道場。ついで天龍寺専門道場で関精拙   に参ずる。
  1949(昭和24)年 花園大学学長。
  1953(昭和28)年 神戸・祥福寺専門道場師家。
  1978(昭和53)年 臨済宗妙心寺派管長、花園大学名誉学長。
  1988(昭和63)年 遷化。
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