柴山全慶老師の言葉です。
体験のない表現はどこか足りないものを感じますが、体験はいっさいの表現に生命を与えてゆくものなのであります。
表現を生かす命ともいうべき内的な体験を持てば、文字や表現はおのずから生きたものとなるのが自然でありましょう。また、文字は体験に立ち返って読む力があって、初めて真に読んだと言えるのであって、文字を文字からのみ読むのは、読めていないということになると言うべきでありましょう。禅が「不立文字」を標榜する理由であります。
体験のない表現はどこか足りないものを感じますが、体験はいっさいの表現に生命を与えてゆくものなのであります。
表現を生かす命ともいうべき内的な体験を持てば、文字や表現はおのずから生きたものとなるのが自然でありましょう。また、文字は体験に立ち返って読む力があって、初めて真に読んだと言えるのであって、文字を文字からのみ読むのは、読めていないということになると言うべきでありましょう。禅が「不立文字」を標榜する理由であります。