行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

仏説父母恩重経をよむ(3)

2014年08月19日 | 禅の心
父母、年たけて気老(きお)い、力衰えぬれば、頼るところのものは、ただ子のみ。頼むところの者は、ただ嫁のみ。しかるに夫婦ともに、朝(あした)より暮れに至るまで、未だ敢えて一度(ひとたび)も来たり問わず。あるいは父は母を先立て、母は父を先立てて、独り空房(くうぼう)を守りおるは、あたかも旅人の、ひとり宿に泊まるがごとく、つねに恩愛の情なく、また談笑の楽しみなし。

 夜半、寝床冷ややかにして、五体安んぜず。いわんや、被(ふすま)に蚤(のみ)・虱(しらみ)多くして、暁にいたるまで眠られざるをや。幾度(いくたび)か転々反則して、独りつぶやく。噫(ああ)、吾(わ)れ何の宿罪(しゅくざい)ありてか、かかる不幸の子をもてるかと。事ありて、子を呼べば、目を瞋(いか)らして怒り罵(ののし)る。嫁も児も、これを見て、ともに罵り、ともに辱(はずか)しめば、頭(こうべ)をたれて笑いを含む。嫁もまた不幸、児もまた不順、夫婦和合して、五逆罪を造る。

 あるいはまた急用おこりて、急ぎ呼びて命ぜんとすれば、十度(とたび)呼びて、九度(ここのたび)違い、ついにきたりて給仕せず。かえって怒り罵りていわく、老い耄(ぼ)れて世に残るよりは、早く死して、この世を去られたしと。父母これを聞きて、怨念胸に塞(ふさ)がり、涕涙(ているい)瞼(まぶた)をつきて、目瞑(くら)み、心惑い、悲しみ叫びて曰く、噫(ああ)、汝(なんじ)幼少のとき、われにあらざれば養われざりき、われにあらざれば育てられざりき。しかして今に至れば、すなわちかえって、かくのごとし。噫(ああ)、われ汝を生みしも、もとより望みは外れたりと。

 もし子あり、父母をして、かくのごとき言(ことば)を発せしむれば、子はすなわち、その言とともに墜ちて、地獄・餓鬼・畜生の中にあり。一切の如来・金剛天・五通仙も、これを救い護ることあたわず。父母の恩重きこと、天の極まりなきがごとし。善男子・善女人よ、わけてこれを説けば、
 父母に十種の恩徳あり、何をか十種となす

   一には、懐胎(かいたい)守護の恩
   二には、臨産受苦の恩
   三には、生子忘憂の恩
   四には、乳哺(にゅうほ)養育の恩
   五には、廻乾就湿(かいかんじゅしつ)の恩
   六には、洗灌不浄(せんかんふじょう)の恩
   七には、嚥苦吐甘の恩
   八には、為造悪業(いぞうあくごう)の恩
   九には、遠行憶念(えんぎょうおくねん)の恩
   十には、究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩

 父母の恩、重きこと天の窮まりなきがごとし。善男子・善女人よ、かくのごときの恩徳、いかにしてか報ずべき。仏、讃して宣わく

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 仏説父母恩重経をよむ | トップ | 仏説父母恩重経をよむ(4) »
最新の画像もっと見る

禅の心」カテゴリの最新記事