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悪(あ)しきことを作(な)す者は
ここに憂い
かしこに憂い
ふたつながらともに憂う
おのれの
けがれたる業(ふるまい)を見て
彼は憂い
彼はなやむ
(現代語訳)悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。
法句経の言葉です。悪いことばかりしていると、結局は自分自身を滅ぼしてしまうことになります。仏教では、「バチが当たる」という考え方もありますが、自分の行いが自分を苦しめ、自分を滅ぼしてしまうと考えるのです。インドではそれは、「業」として、来世にも背負っていくと考えています。人間は、生まれによって尊くも賤しくもなく、その行いによって尊くも卑しくもなるのです。
ここに憂い
かしこに憂い
ふたつながらともに憂う
おのれの
けがれたる業(ふるまい)を見て
彼は憂い
彼はなやむ
(現代語訳)悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。
法句経の言葉です。悪いことばかりしていると、結局は自分自身を滅ぼしてしまうことになります。仏教では、「バチが当たる」という考え方もありますが、自分の行いが自分を苦しめ、自分を滅ぼしてしまうと考えるのです。インドではそれは、「業」として、来世にも背負っていくと考えています。人間は、生まれによって尊くも賤しくもなく、その行いによって尊くも卑しくもなるのです。