行雲流水

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烏鷺滝が世間を語る

2010年12月07日 | 禅の心
○自分と異質な者を排除したがるのが世間である。

○みんな、自分や自分の家族以外の誰かが不審者だと思っているが、自分自身が不審者だと思われているとは思っていない。

○「世間一般」というのは一つの権力になりうる。

○徴兵制になれば、戦争に行くのは自分の子供や孫以外の者だと思っているのが、世間である。

○みんな、世間の中で収入や子供の学歴を比較することで一喜一憂しているが、仏様のものさしからすれば、意味のないことなのである。

○世間の意向が間違っていることもある。マイノリティー(少数派)の意見が正しく、マジョリティー(多数派)の意見があきらかに間違っていることもある。

○世間の意向は、権威あるものの言葉に左右されやすい。

○マスコミが、世間一般の意見をつくり出しているところもある。

○世間のものさしは、仏様のものさしと尺度が異なっている。

○だからこそ、釈尊は世間を捨てたのだ。(出世間=出家)

○世間を離れて世間を客観的に見てみると、人々はいかに幸せを失わないように必死になっているかがわかる。

○お金や地位や名誉にしがみついているのが、世間一般である。

○失うものがない者は安らかである。


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