行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

仏説父母恩重経をよむ

2014年08月15日 | 禅の心
それよりこのかた、母の懐(ふところ)を寝床(ねどこ)となし、母の膝を遊び場となし、母の乳(ちち)を食物となし、母の情(なさけ)を性名(いのち)となす。飢えたるとき、食を求むるに、母にあらざれば喰らわず。渇(かわ)けるとき、飲み物を求めるに、母にあらざれば喰らわず、渇けるとき、着物を加えるに、母にあらざれば着ず。暑きとき、衣(きもの)を脱(と)るに、母にあらざれば脱(ぬ)がず。母、飢えにあたるときも、含めるを吐(は)きて、子に喰らわしめ、母、寒さに苦しむときも、着たるを脱ぎて、子に被(かぶ)らす。

 母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。その揺籃(ゆりかご)を離れるにおよべば、十指(じゅつし)の爪の中に、子の不浄を食らう。計るに人々、母の乳を飲むこと、一百八十解(こく)となす。父母の恩重きこと、天のきわまりなき如し。

 母、東西の隣里(りんり)に傭(やと)われて、あるいは水汲み、あるいは火焚(ひた)き、あるいは臼つき、あるいは臼挽(ひ)き、種々のことに服従して、家に帰るのとき、未だ至らざるに、今やわが児(こ)、わが家(いえ)に泣き叫びて、われを恋い慕(した)わんと思い起こせば、胸さわぎ、心驚き、ふたつの乳流れいでて、忍びたうることあたわず。すなわち、去りて家に帰る。

 児 遙(はる)かに母の来たるを見て、揺籃(ゆりかご)の中にあれば、すなわち、頭を揺(ゆ)るがし、脳(なづき)をろうし、外(ほか)にあれば、すなわち腹這(はらば)いして出できたり。空泣(そらな)きして、母に向かう。母は子のために足を早め、身(からだ)を曲げ、長く両手をのべて、塵土(ちりつち)を払い、わが口を子の口に接(つ)けつつ、乳を出してこれを飲ましむ。このとき、母は児を見て歓び、児は母を見て喜ぶ。両情(りょうじょう)一致、恩愛のあまねきこと、またこれに過ぎるものなし。

 二歳。懐(ふところ)を離れて、初めて歩く。父にあらざれば、火の身(からだ)を焼くことを知らず。母にあらざれば、刀(はもの)の指を落とすことを知らず。

 三歳。乳を離れて、初めて食らう。父にあらざれば、毒の命を落とすことを知らず。母にあらざれば、薬の病(やまい)を救うことを知らず。父・母、外に出でて、他の座席に行き、美味珍食(びみちんしょく)を得ることあれば、自(みずか)らこれを喰らうに忍びず、懐に収めて持ち帰り、呼び来たりて、子に与(あた)う。十度(とたび)帰れば、九度(ここのたび)まで、子に与う。これを得れば、すなわち歓喜して、かつ笑い、かつ喰らう。もし過(あやま)りて、一度も得ざれば、すなわちいつわり泣き、いつわり叫びて、父を責め母に迫る。

 やや成長して。朋友(ほうゆう)と相交わるに至れば、父は着物を求め、帯を求め、母は髪を梳(くしけず)り、髻(もとどり)を摩(な)で、己が好みの衣服は、みな子に与えて着せしめ、己(おのれ)は、すなわち古き着物、弊(やぶ)れたる着物をまとう。すでに妻を求めて、他の女子を娶(めと)れば、父母をば、うたた疎遠にして、夫婦はとくに親しみ近づき、私房(へや)の内において、妻とともに語らい楽しむ。


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父母恩重経を読む(1)

2014年08月12日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
かくの如く われ聞けり。
 あるとき、仏、王舎城の耆闍崛(ぎしゃくつ)山中に、菩薩・声聞(しょうもん)の衆と ともに ましましき。比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・一切諸天の人民・および竜鬼神等、法を聞き奉らんとて、来たり集まり、一心に宝座を囲んで、瞬きもせず、尊顔を仰ぎみ奉りき。

 このとき、仏、すなわち法を説いて曰(のたま)わく。
 一切の善男子(ぜんなんし)・善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。その故は、人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり。父にあらされば生まれず、母にあらざれば育たず。これをもって、気を父の胤(たね)に受け、形を母の胎(たい)に託す。

 この因縁(いんねん)をもってのゆえに、悲母の子を思うこと、世間に比(たぐ)いあることなく、その恩、未形(みぎょう)におよべり。はじめ胎(たい)に受けしより、十月(とつき)を経るの間、行・住・坐・臥(ぎょう・じゅう・ざ・が)、ともにもろもろの苦悩を受く。苦悩休(や)むときなきがゆえに、常に好める飲食(おんじき)・衣服を得るも、愛欲の念を生ぜず、ただ一心に安く産まんことを思う。

 月満ち、日足りて、生産(しょうさん)のときいたれば、業風(ごうふう)吹きて、これを促(うなが)し、骨節(ほねふし)ことごとく痛み、汗膏(あせあぶら)ともに流れて、その苦しみ耐えがたし。父も身心戦(おのの)き恐れて、母と子とを憂念(ゆうねん)し、諸親眷属(しょしんけんぞく)みな悉(ことごと)く苦悩す。すでに生まれて、草上(そうじょう)に墜(お)つれば、父母の喜び限りなきこと、なお貧女(ひんにょ)の如意珠(にょいじゅ)を得たるがごとし。その子、声を発すれば母も初めて、この世に生まれいでたるが如し。

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クレーマーは卑劣だ

2014年08月08日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
法句経の言葉です。

「他人の過失を見るなかれ。他人のしたことと、しなかったことを見るな。ただ、自分のしたことと、しなかったことだけを見よ」

クレーマーやモンスターと呼ばれる人たちが話題になるようになって20年くらいになるでしょうか。もともと日本人は、他人を言葉で攻撃する民族ではありませんでした。クレーマーもモンスターも立場の弱い相手を攻撃する点では、卑劣であり、いじめと同根であります。
そういうクレーマーたちに限って、自分自身をみつめることはありません。

一遍上人の言葉です。


「専ら自身の過ちを制して 他人の非を謗ることなかれ」

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瀬戸内寂聴の言葉

2014年08月05日 | 親鸞・歎異抄・浄土真宗
前も同じようなところはあったように思いますが、今はちょっとひどいような気がしますね。でも、そんな政治家を選んだのは庶民ですからね。戦争に負けて、日本はもっとひどくなると思ったら、すごい活力でよみがえったでしょ、日本人は。家を建て、着物を買って、その家に飾るものを欲しくなる。全部、お金ですよ。戦後くらい、拝金主義になった時代はないですね。そうやって日本人は戦争の怖さを忘れちゃったんじゃないですかね。全てはお金。そのために目に見えない心とか、神とか仏とかどうでもよくなったんですね。

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青山俊董師の言葉

2014年08月01日 | 禅の心
 家庭の雰囲気、親子、兄弟、夫婦の愛情、嫁と姑の間の感情のしがらみ、一見の中での雰囲気がどんなふうかという、それがどれほどに子どものこころに影響を及ぼすか。それは子どもの将来を左右するほど大きな力を与えるのです。親の心の僅かなゆらぎ、家庭内の雰囲気のあらゆる形が、子どもの心の健全な成長にひびくことを忘れてはなりません。人間の一番大切な心の形成というものは、三、四歳までで百パーセント完成だそうです。この一番大事なこころを育てるときに、最新の注意を払って、育ててやっていただきたい。何も分からないからといっていい加減なことをいってはいけない。子どもの前で、口争いも、恐ろしい思いもさせたくない。その親の目の動き、心の揺らぎ、全部を真っ白い心の印画紙にやきとり、読み取って育っていくのですから、それがその子の生涯を支配するほどの力になるのです。二度と書き直しの出来ない文字を、切れば血の出るこの体で、毎日刻々と書き与えてやる、それが子どもの周りに立つ親の姿であり、親たちの責任です。

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