行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

物の荒廃は必ず人に由る

2016年12月13日 | 仏の心
物の荒廃は必ず人に由る

人の昇沈は定んで道にあり


弘法大師の続性霊集の中の言葉です。

国家でも会社でも、人によって栄えたり傾いたりします。

人の幸せは学歴や家柄ではなく、その人の人徳によって決まります。

今の時代、社会も個人も本当に大丈夫なのでしょうか。

人徳のない人が増えているような気がするのですが。

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自由とわがままの界は

2016年12月09日 | 仏の心
自由と我が儘の界は他人の妨げをなすとなさざるの間にあり。

福沢諭吉の言葉です。

自由を謳歌するのは良いことですが、他人の迷惑になることは我が儘です。

独立自尊を説いた福沢諭吉は、ややもすれば自由を誤解されることを恐れたのでしょう。

自由と我が儘とは全く違うことなのです。

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高田好胤師が子育てを語る

2016年12月06日 | 仏の心
○子どもは親の言うことを聞くのではない。親のすることを見よう見まねで真似て学ぶのです。
○このまねをするが、まねぶになり、まねぶが学ぶ、つまり学ぶということは子どもが親の姿をまねぶところから始まるということです。
○「子を愛しては之れに教うるに義方を以てす」これは宋の時代に朱子の撰とされる『小学』という書物に出てくる言葉ですが、
義方つまり人間の道を子どもにしっかりと教えなければならない。これが子どもへの愛情であるとございます。
○また、「子を養うて教えざるは父の誤りなり」という司馬温公の言葉がございます。給料袋を持って帰くるだけが父親としての役目ではない。
父親として教えなければならぬところをその姿でもって導くことの大切さを説いているのです。

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澤木興道老師が寺について語る

2016年12月02日 | 禅の心
 私のことをね、『大法輪』という雑誌にはね、「宿無し興道」というんじゃ。宿無し興道というのは、こいつはまたね、いろいろな解釈が出るんじゃ。「宿無し興道」にいろいろな解釈がある。それは何のためにするのでもない。どうする。寺を持つために坊主になったんやないもんな。わしは。
 ワシは天草に来て発心したのは金慶寺の黙庵和尚が・・・もう年寄りでなけりゃ知らんけどね。・・・大きなけんかをして、木魚を担ぎ出してそうして裁判して大騒動やったのを見て「ははーん、こりゃあ坊主というものは三百代言的腕をもっとらんと、うっかり寺持っとっても、あんな裁判に出るのはオレかなわんでもう。かかあもつか知らんが、寺だけは持つのをやめた」というのが・・・。これ天草の善知識様ですよ。この黙庵和尚がね。
 それがために私はとうとう寺を持たなんだから。人の死ぬのを待っとるようなことはないしね。人が死んで収入があるということは、まことに罪悪なことでね。いや、本当じゃろう。それは本当のところ戒律に詳しく書かれている、そりゃあ。人が死んで収入があるということは非常に罪悪なん。

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