行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

恐い顔

2017年04月11日 | 仏の心
最近思う。

悪口・陰口を言っている人の顔は恐い

陰口を言う人は幸せになれないと思う。

なぜなら、陰口は自分の醜い部分をまき散らしているからだ。

不幸は口より入り

口より出る

不幸は口より入りと言うのは、

食べ物の事で、食べ方によっては寿命も縮めるし、

病気にもなる(私のことかも・・・)

口より出るというのは、将に悪口・陰口のこと

自分の顔は恐い顔ではないか。

常に点検したい。

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周梨槃特

2017年04月07日 | 仏の心
釈尊の時代のインドに、周梨槃特という、記憶力の弱い青年がいました。
周梨槃特は、どこへ行っても役立たずで相手にされませんでした。自分の名前すら忘れてしまうほどです。
周梨槃特のお兄さんは頭の良い人でしたが、そのお兄さんも周梨槃特はだめだと、あきらめてしまいました。
周梨槃特が歩きながら泣いていると、ちょうど釈尊が通りがかられました。
「あんた、どうしてそんなに泣いているんかね?」
周梨槃特がわけを話すと、釈尊は、
「それなら、塵を払って、垢を除こう」という言葉だけ覚えなさい。」
と言われました。周梨槃特は、言われたとおり、一生懸命「塵を払って、垢を除こう。塵を払って、垢を除こう」と唱え続けました。
やがて周梨槃特は「これは自分の心の塵を払って、垢を除こうと言うことなのだ」と気がつきました。
そして、釈尊の弟子になって、悟りを開くことができたのです。

このお話には、2つの教訓があると思います。
一つは、仏法は知識ではないと言うことです。いろいろなことを知っていることが大切なのではないと言うことです。いくら知っていても、徳のない人は悟りを開けません。一方で周梨槃特のように知識はなくとも、一つのことに純粋に取り組む事が尊いのです。

もう一つは、心の塵や垢とは、煩悩や、三毒(貪り、いかり、愚痴)の事で、それらが、人間の中の仏の心を覆い隠しているということです。

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主義を超えて

2017年04月04日 | 仏の心
私は、○○主義というものに馴染めません。どんなにいいことであっても、立ち止まってしまっては、進歩もないし、とらわれになるからです。
平和・人権・環境は大事なことです。しかし、それによって他を攻撃してしまっては、意味がありません。平和を求めて武装したり、人権侵害を正すために厳しく吊し上げを行ったり、環境破壊をする者に暴力で答えたりというぐあいに、これらは極端な場合ではありますが、主義が凝り固まってしまうと多かれ少なかれ、他を攻撃してしまう傾向があるからです。
○○主義は、その主義でない者に対して対立することもあります。
仏の教えは常に現在進行形です。どんなにいい事でも、執着してしまうと、迷いになるし、苦しみになると説きます。

執着しないことにも執着しない。それが大事だと思います。


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