なんだかこの手の話ばかりで、
"君はいっつもそんなことばかり考えているのかい"
と訊かれたらハイ、そうですと答えたほうがいいんだろうな。
どうも最近まで今ひとつよくわからなかった言葉で、
新たな見解ができたから書いてみようと思う。
例えばこうやって毎日変化のない生活をして一体何になる、という考え方が
一般的にマイナス思考といわれ、何かいいことがあるだろうと信じられることがプラス思考とよばれる。
まぁ上の説明は概ね間違っていない、と思う。
でも、上の文では誰も救えないこともなんとなくわかる、というか、感じる。
◇
さて、最近話した人の中に
"何か辛いことがあったときには神様が自分を試しているんだとよく思った"
といっている人がいた(俺ではない)。
これを聞いてどう思うかな。
何言ってんだ、と思うかもしれないし、それで?と思うかもしれないし、
そりゃあ大変ねぇ…と思ったかもしれない。
少なくとも以前の僕はそう思ったに違いない。
だけど、最近、この手の言葉を使う人は、イマイチ報われないがゆえに
視点をすり替えていることに気が付いた。
例えば、仕事なら、自分が全精力をかけてやっていたプロジェクトが
上の意向でおじゃんになってしまうようなときだろう。
上に書いたような形で自分の努力が水泡に帰したとき、
"ぐだぐだ考えても仕方がない、今出来ることをやろう"とか
"せっかく軌道に乗ってきたのに、皆が邪魔をする"とか
"ああ、プロジェクトってこういうものなのか"とか
"俺は頑張ったのに、客先に謝りに行かなきゃならない"とか、色々思う可能性はあるわけで。
そこに出てくる"神様が俺を試してる"。
上に出てくる言葉との決定的な違いは、言葉の視点が仕事から離れている点にある。
しかし、これが恐らくプラス思考の始まりだと思う。
努力が報われていないと感じ(て、モチベーションを失ってい)るときに、
社会的にありそうな目標を離れいかに自分だけの目標を捏造するか、
そのプロセスがプラス思考というのではなかろうか。
理不尽さに対する理不尽さでの対抗、と言いたいのだが文語上正確かはわからない。
"神様…"は話が大きいかもしれないが、
"ドタキャンに慣れる"という目標を本気で捏造できたら、
そのイベントだって多少前向きに捉えられるはず。
まぁ、機転の一種かもしれない。
上の4例はまぁ非常に現実的なコメントだが、
一番上のコメントがよくて二番目と四番目のコメントが悪いということはない。
まぁ、文句ばかり言っていると皆自分のもとからいなくなってしまうという
結構大きな弊害はあるにせよ。
だから、小学校くらいから何やら決定することを迫られ続けている"目標"って奴は、
本来現状への不満を前提として初めて借り物でない自分の目標として機能する、はずだ。
みんな口には出さないけど、どんな自分だけの目標を築き上げているのかな…
なんて思ってもしまう秋の夜長。
"仕事で一山あてるぜ!"とか
"演奏会10000人動員してやるぜ!"とか、そういうのもいいけどね、
"今の(自由時間が少ない状況で)状況で時間を作るトレーニングをする"とか、
"二度手間を避けるマネジメント手法を身につける"とかね、
そういう地味なものの方が、よっぽど現状に即しているから。
"君はいっつもそんなことばかり考えているのかい"
と訊かれたらハイ、そうですと答えたほうがいいんだろうな。
どうも最近まで今ひとつよくわからなかった言葉で、
新たな見解ができたから書いてみようと思う。
例えばこうやって毎日変化のない生活をして一体何になる、という考え方が
一般的にマイナス思考といわれ、何かいいことがあるだろうと信じられることがプラス思考とよばれる。
まぁ上の説明は概ね間違っていない、と思う。
でも、上の文では誰も救えないこともなんとなくわかる、というか、感じる。
◇
さて、最近話した人の中に
"何か辛いことがあったときには神様が自分を試しているんだとよく思った"
といっている人がいた(俺ではない)。
これを聞いてどう思うかな。
何言ってんだ、と思うかもしれないし、それで?と思うかもしれないし、
そりゃあ大変ねぇ…と思ったかもしれない。
少なくとも以前の僕はそう思ったに違いない。
だけど、最近、この手の言葉を使う人は、イマイチ報われないがゆえに
視点をすり替えていることに気が付いた。
例えば、仕事なら、自分が全精力をかけてやっていたプロジェクトが
上の意向でおじゃんになってしまうようなときだろう。
上に書いたような形で自分の努力が水泡に帰したとき、
"ぐだぐだ考えても仕方がない、今出来ることをやろう"とか
"せっかく軌道に乗ってきたのに、皆が邪魔をする"とか
"ああ、プロジェクトってこういうものなのか"とか
"俺は頑張ったのに、客先に謝りに行かなきゃならない"とか、色々思う可能性はあるわけで。
そこに出てくる"神様が俺を試してる"。
上に出てくる言葉との決定的な違いは、言葉の視点が仕事から離れている点にある。
しかし、これが恐らくプラス思考の始まりだと思う。
努力が報われていないと感じ(て、モチベーションを失ってい)るときに、
社会的にありそうな目標を離れいかに自分だけの目標を捏造するか、
そのプロセスがプラス思考というのではなかろうか。
理不尽さに対する理不尽さでの対抗、と言いたいのだが文語上正確かはわからない。
"神様…"は話が大きいかもしれないが、
"ドタキャンに慣れる"という目標を本気で捏造できたら、
そのイベントだって多少前向きに捉えられるはず。
まぁ、機転の一種かもしれない。
上の4例はまぁ非常に現実的なコメントだが、
一番上のコメントがよくて二番目と四番目のコメントが悪いということはない。
まぁ、文句ばかり言っていると皆自分のもとからいなくなってしまうという
結構大きな弊害はあるにせよ。
だから、小学校くらいから何やら決定することを迫られ続けている"目標"って奴は、
本来現状への不満を前提として初めて借り物でない自分の目標として機能する、はずだ。
みんな口には出さないけど、どんな自分だけの目標を築き上げているのかな…
なんて思ってもしまう秋の夜長。
"仕事で一山あてるぜ!"とか
"演奏会10000人動員してやるぜ!"とか、そういうのもいいけどね、
"今の(自由時間が少ない状況で)状況で時間を作るトレーニングをする"とか、
"二度手間を避けるマネジメント手法を身につける"とかね、
そういう地味なものの方が、よっぽど現状に即しているから。