球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

ジャッキーの声

2006-10-30 | オケと音楽
人は死ねば無に還るというが、確かな偶然はその生を決して風化させず、
英雄はいつまでも、形を変えて人の心に生き続ける。

題名にもあるように、今日はデュ・プレのDVDを鑑賞した話をしたいのだが、
その前に少し、チェロという楽器の話をしておこう。

チェロという楽器は、その演奏スタイルにおいて、時代と共に自由と進化を獲得した。
最初は足の間に挟んで弾くものだったのが(ゆえにあまり極端な角度は取れない)
エンドピンが開発され、垂直に構えることも斜め45度の角度で構えることもできるようになり、
演奏者の好みの姿勢で弾くことを可能にした。
現実的には指が届かなくなるため必要以上に傾けることはないが、
上手ければ、それだって個性になるだろう。

運指法について。カザルスがポジションの概念を開発し、
親指を使った奏法を開発した。それにより、通奏低音を受け持つ楽器から
旋律を弾く楽器、あるいは自身のみでアンサンブルができるという特性が開花し、
驚くべき表現力を獲得した、ことになる。
お陰で、今日という日に僕がこんなDVDを観ている。そういうことだ。

今日僕が出会ったのは、終戦頃に生まれ、僕が7歳のときに死んだ英国のチェリスト。
(生きていれば僕の親父と殆どタメらしい。)
教育の凄まじさやその夭折が彼女を語るときには欠かされない。

…今日の僕の目的は彼女の演奏から何かを盗み出すことだ。



エルガーのチェロコンチェルトは、非常に良い曲だ。
個人的にはクラリネットの使い方が好きな作曲家だが、
(エニグマでは"愛情"をそのまま音にしたようなやさしく暖かく、そのくせちょっと寂しげな旋律が印象的)
この曲に関しては、チェロは一人の人間になったかのように実に人間臭いモノになる。
自分の持ち物であったものが、自分に予想外に多くのことを語りかけてきたら、
本当に楽しいだろうな。
勿論、エルガーが"人間臭い"と僕に言わせる音楽を書く能力があったという言い方も可能だろう。

以上が、背景。



デュ・プレの左手を見ていると、結構指が寝ているように見えることがわかる。
それでいて、激しいビブラートをかける。
腕の骨と手の甲をほぼまっすぐにする、という点が徹底していて、
この形が指を最も自由にしなやかに遊ばせることができることを再認識。
これは特に親指に強大な影響力を与える。手首の形は指の動きに自由や制約を与えるのだ。
基礎だったはずのものに、ただの鵜呑みではありえない理屈と説得力がついてくる。

…これでは、「上手な人を映像で見た」感想になってしまうだろうか。
そうかもしれない。

映像での彼女はずっと右上の方を向いていて(多分バレンボイムの方角)、
とても無邪気そうに見えた。
実はこのDVD、録音があまり良いとは言えない。
それも相まって、ただの音楽DVDには留まらず、
ある故人とずっと絶えず会話をしているみたいな時間を過ごすことができた。
故人と話せるとしたら、きっと音声は劣化していると、思うから。


コメント
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