下記の文章には
「田中内閣成る」と「大森閑居」の題字がついている
田中内閣は
1927年4月20日に発足して 1929年7月2日まで続いた内閣であり
立憲政友会総裁・予備役陸軍大将の田中義一氏を首班とする内閣です
しかし 曾良庵句帳の中では
「田中内閣」の次に「射山先生の入閣なるに」と新しい句が差し込まれている
射山とは 小川平吉氏である
曽祖父は政治家を志していたが 小川氏に会い
氏の秘書になり 苦労を共にした
この 田中内閣が発足したとき
立憲政友会に属していた 小川平吉氏は 鉄道大臣として入閣を果たした
田中内閣の発足と入閣に時間差があったのか
他にしたためていたのかは 定かではないが・・・
喜びの句には違いない
「苦節年あり 田鼠 鶉(うずら)となる日哉」
因みに 田鼠化して鶉と為るとは季語のようで 意味は
もぐらがうづらになるという実際にはありえないことだが
春になり地中のものが地上に出て活動すると考える事ができる
苦労した日々が報われ これから飛躍しようと言う
喜びの句のように感じます