【大衆誌の医療記事特集】
「文藝春秋」8月号が近藤誠氏による「小林麻央さん乳がん公表の波紋:<乳がん検診>それでも必要ない」という記事を聞き手、森 省歩(ジャーナリスト)との対談の形で掲載している。
いうまでもなく近藤氏は「がん検診無用論」、「(白血病や悪性リンパ腫を除く)固形がんの手術・化学療法無用論」を唱えている医師だ。主張を支える欧米の比較試験について最新の文献などをよく読んでいるのに感心する。
なかでも日本の国立がん研究センターのデータに基づく、乳がんの発見数と死亡数の年次推移を示したグラフには驚いた。2014年における日本人の年間死亡総数は約127万人で、死因のトップを悪性新生物(がん)が占め、その数約37万人で、死因の28.9%を占めている。その後「日本人の3人に1人ががん死する」といわれるようになった。
女性のがんでは、大腸>肺>胃>についで、乳がんが死因第4位を占めている。
http://www.gan-info.com/188.html
2012年の女性乳がん死亡者数は、1万2,730人である。
ところが、この近藤氏が掲げるグラフを見ると、1975年から乳がんの発見数はうなぎ登りに増えているが、死亡数の方は非常にゆるやかにしか増えていない。もし「乳がんの早期発見」に「死亡抑止効果」があるとすれば、このグラフは説明不能である。
歌舞伎俳優市川海老蔵の妻小林麻央(33)は昨年10月乳がん検診で進行性の乳がんを発見され、「極秘入院後」に今年6/9に海老蔵が緊急記者会見で発表したそうだ。
上記グラフに対する近藤氏の説明は
「もし早期発見→早期治療が有効であるならば、<本物のがん>を早期発見で治していることになり、発見数の増加ととともに死亡数は減少するはずです。しかし、マンモ健診が盛んなアメリカでさえ、死亡数は横ばいで推移し、マンモ健診が役立たないと言われています。
そして日本の場合、横ばいどころか緩やかに増えているので、死亡数の増加分は治療死によるものと考えざるを得ないのです。」
と述べている。
つまり「早期発見」の乳がんの大部分は「がんもどき」だという主張だ。「乳がんの乳房温存療法」を日本で真っ先に唱えた人だけに、主張は首尾一貫している。
同じ号にタレントの西川きよし・西川ヘレンの対談「がんでオムツの<めおと闘病記>」という記事が載っている。きよしは、10年来の前立腺肥大で頻尿の症状が強かったが、昨年春に血液検査でPSAの急上昇が認められ、前立腺の針生検を受けたところ、3/14で前立腺がんが見つかり、医療ロボット・ダビンチによる内視鏡的な「前立腺全摘術」を5時間かかけて受けたという。
ところがその後、尿漏れの症状が起き、クシャミをしても尿が漏れるのでオムツを当てた状態で闘病生活をしているそうだ。
東大宗教学の教授、岸本英夫「死を見つめる心:ガンとたたかった十年間」(講談社文庫, 1973/3)が公刊された頃は、日本ではまだがん告知が一般的でなく、手記にはある種の悲壮感があったが、こうして人気タレントが「がん治療の告白」を進んでするようになると、がん治療に対する一般の知識も高まることだろうと思う。
ただPSA値も書いてなく、前立腺の内腺・外腺のどちらにがんがあったのかも述べられていないので、外科的な全摘術が妥当だったかどうか(本人が望んだ手術だが)、客観的な判断ができない。
「週刊文春」7/21号は、鳥集徹+本誌取材班による「保存版:五大がん攻略ガイド」のほかに「<週刊現代>医療記事はねつ造だ!」という記事を載せていて驚いた。
医療特集は「週刊現代」(講談社)が「ぶちぬき26ページ」というのを6月頃から、「週刊ポスト」(小学館)が「やってはいけない歯科治療」の第三弾を7/22/29号で掲載しているが、ここで講談社vs文藝春秋の「戦争」になった感じがする。
「週刊文春」は土曜日にならないと西高屋の書店に並ばないので、土曜日に買いに行ったらもうほとんど売り切れ寸前だった。同じ発売日の「週刊新潮」はまだたくさん残っていた。
7/16「産経抄」が天皇陛下の生前退位問題とからめて、故三笠宮寛仁(ともひと)親王の意見を取り上げていたが、「皇族には医療保険がなく、入院すれば自費診療になる」と不満をもらされていたという。
「皇族」は日本国憲法に規定された日本国民ではない。よって投票権も被投票権もない。海外に行くにもパスポートは不要なはずだ。もちろん「国民保険」ないし、国民年金もない。医療は「宮内庁病院」なら無料のはずだが、東大病院とか慶応大病院に入院すると料金を請求される。皇族ともあろうものが、その程度の知識もないとは信じがたい。
さて、皇族でさえ「医療保険」が問題になるのだから、一般庶民の「医療保険」ないし今の「医療制度」に対する不安ないし不満はそうとう高まっていると思う。主要週刊誌が、「医療問題特集」をメインテーマとして取り上げるようになった要因にはそうした事情があろう。多くの人が「医者通い」でつぶれる毎日の生活を「生き甲斐がない」と思っているだろう。それに「この先どうなる?」という不安もある。
鳥集徹が「いい手術を受けるには、患者自身も賢くなることが大切だ」と「週刊文春」7/21の特集で述べているが、まったく同感だ。この記事では「胃の粘膜下層までに限局した胃がんは、内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD= Endoscopic Sumocosal Dissection)で直径5cmまでなら除去可能」と述べ、佐久医療センターの小山恒夫内視鏡内科部長の「剥ぎ取った部分の粘膜は再生するので、登院では五泊六日の入院中、三日目に重湯から食べ始め、退院日には普通食に移行する」という発言を読んで、「眼からウロコ」の思いがした。
これは「病理学総論」の教科書にある「創傷治癒」の原理・原則そのままだと思った。普通の教科書では「創傷治癒」は皮膚の火傷や外傷などを例として説明してある。
皮膚の表皮に相当するのが、胃では粘膜であり、基底膜の下が、粘膜固有層ないし粘膜下層である。皮膚の場合、基底膜の下の真皮乳頭層までの傷なら、瘢痕形成することなく表皮の再生が起こり、皮膚は元どおり治癒する。同じことが胃粘膜の場合は、粘膜下層までの傷なら再生が起こることを知ったからだ。
私はこれまで「胃の場合(再生可能なのは)粘膜固有層までだろう」と思っていたが、日本の内視鏡専門医は、粘膜下層までは再生することを実地に証明したわけだ。
こういう知識を「個別専門的な臨床医の知識」に留めておくことなく、広く一般化が可能な「病理学総論的な原理・原則」に付け加えて行く必要があると思った。恐らく内視鏡専門医の多くは「創傷治癒の原則」などには無知・無関心で、ひたすら臨床例の積み重ねで自分の腕を磨いているのではないか、と思った。「実はここに内視鏡手術の落とし穴がある」とも思った。
「がん知識」を一般市民に普及させる「週刊誌の内ゲバ」は大いに結構だと思う。だが節度を守って、条理をつくした報道合戦をしてほしいと思う。何しろこの国の国民は「大学時代には総合月刊誌をときおり読んだが、卒業して就職すると、時に週刊誌を読む程度」という人たちが圧倒的な多数を占めている。
「文藝春秋」8月号が近藤誠氏による「小林麻央さん乳がん公表の波紋:<乳がん検診>それでも必要ない」という記事を聞き手、森 省歩(ジャーナリスト)との対談の形で掲載している。
いうまでもなく近藤氏は「がん検診無用論」、「(白血病や悪性リンパ腫を除く)固形がんの手術・化学療法無用論」を唱えている医師だ。主張を支える欧米の比較試験について最新の文献などをよく読んでいるのに感心する。
なかでも日本の国立がん研究センターのデータに基づく、乳がんの発見数と死亡数の年次推移を示したグラフには驚いた。2014年における日本人の年間死亡総数は約127万人で、死因のトップを悪性新生物(がん)が占め、その数約37万人で、死因の28.9%を占めている。その後「日本人の3人に1人ががん死する」といわれるようになった。
女性のがんでは、大腸>肺>胃>についで、乳がんが死因第4位を占めている。
http://www.gan-info.com/188.html
2012年の女性乳がん死亡者数は、1万2,730人である。
ところが、この近藤氏が掲げるグラフを見ると、1975年から乳がんの発見数はうなぎ登りに増えているが、死亡数の方は非常にゆるやかにしか増えていない。もし「乳がんの早期発見」に「死亡抑止効果」があるとすれば、このグラフは説明不能である。
歌舞伎俳優市川海老蔵の妻小林麻央(33)は昨年10月乳がん検診で進行性の乳がんを発見され、「極秘入院後」に今年6/9に海老蔵が緊急記者会見で発表したそうだ。
上記グラフに対する近藤氏の説明は
「もし早期発見→早期治療が有効であるならば、<本物のがん>を早期発見で治していることになり、発見数の増加ととともに死亡数は減少するはずです。しかし、マンモ健診が盛んなアメリカでさえ、死亡数は横ばいで推移し、マンモ健診が役立たないと言われています。
そして日本の場合、横ばいどころか緩やかに増えているので、死亡数の増加分は治療死によるものと考えざるを得ないのです。」
と述べている。
つまり「早期発見」の乳がんの大部分は「がんもどき」だという主張だ。「乳がんの乳房温存療法」を日本で真っ先に唱えた人だけに、主張は首尾一貫している。
同じ号にタレントの西川きよし・西川ヘレンの対談「がんでオムツの<めおと闘病記>」という記事が載っている。きよしは、10年来の前立腺肥大で頻尿の症状が強かったが、昨年春に血液検査でPSAの急上昇が認められ、前立腺の針生検を受けたところ、3/14で前立腺がんが見つかり、医療ロボット・ダビンチによる内視鏡的な「前立腺全摘術」を5時間かかけて受けたという。
ところがその後、尿漏れの症状が起き、クシャミをしても尿が漏れるのでオムツを当てた状態で闘病生活をしているそうだ。
東大宗教学の教授、岸本英夫「死を見つめる心:ガンとたたかった十年間」(講談社文庫, 1973/3)が公刊された頃は、日本ではまだがん告知が一般的でなく、手記にはある種の悲壮感があったが、こうして人気タレントが「がん治療の告白」を進んでするようになると、がん治療に対する一般の知識も高まることだろうと思う。
ただPSA値も書いてなく、前立腺の内腺・外腺のどちらにがんがあったのかも述べられていないので、外科的な全摘術が妥当だったかどうか(本人が望んだ手術だが)、客観的な判断ができない。
「週刊文春」7/21号は、鳥集徹+本誌取材班による「保存版:五大がん攻略ガイド」のほかに「<週刊現代>医療記事はねつ造だ!」という記事を載せていて驚いた。
医療特集は「週刊現代」(講談社)が「ぶちぬき26ページ」というのを6月頃から、「週刊ポスト」(小学館)が「やってはいけない歯科治療」の第三弾を7/22/29号で掲載しているが、ここで講談社vs文藝春秋の「戦争」になった感じがする。
「週刊文春」は土曜日にならないと西高屋の書店に並ばないので、土曜日に買いに行ったらもうほとんど売り切れ寸前だった。同じ発売日の「週刊新潮」はまだたくさん残っていた。
7/16「産経抄」が天皇陛下の生前退位問題とからめて、故三笠宮寛仁(ともひと)親王の意見を取り上げていたが、「皇族には医療保険がなく、入院すれば自費診療になる」と不満をもらされていたという。
「皇族」は日本国憲法に規定された日本国民ではない。よって投票権も被投票権もない。海外に行くにもパスポートは不要なはずだ。もちろん「国民保険」ないし、国民年金もない。医療は「宮内庁病院」なら無料のはずだが、東大病院とか慶応大病院に入院すると料金を請求される。皇族ともあろうものが、その程度の知識もないとは信じがたい。
さて、皇族でさえ「医療保険」が問題になるのだから、一般庶民の「医療保険」ないし今の「医療制度」に対する不安ないし不満はそうとう高まっていると思う。主要週刊誌が、「医療問題特集」をメインテーマとして取り上げるようになった要因にはそうした事情があろう。多くの人が「医者通い」でつぶれる毎日の生活を「生き甲斐がない」と思っているだろう。それに「この先どうなる?」という不安もある。
鳥集徹が「いい手術を受けるには、患者自身も賢くなることが大切だ」と「週刊文春」7/21の特集で述べているが、まったく同感だ。この記事では「胃の粘膜下層までに限局した胃がんは、内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD= Endoscopic Sumocosal Dissection)で直径5cmまでなら除去可能」と述べ、佐久医療センターの小山恒夫内視鏡内科部長の「剥ぎ取った部分の粘膜は再生するので、登院では五泊六日の入院中、三日目に重湯から食べ始め、退院日には普通食に移行する」という発言を読んで、「眼からウロコ」の思いがした。
これは「病理学総論」の教科書にある「創傷治癒」の原理・原則そのままだと思った。普通の教科書では「創傷治癒」は皮膚の火傷や外傷などを例として説明してある。
皮膚の表皮に相当するのが、胃では粘膜であり、基底膜の下が、粘膜固有層ないし粘膜下層である。皮膚の場合、基底膜の下の真皮乳頭層までの傷なら、瘢痕形成することなく表皮の再生が起こり、皮膚は元どおり治癒する。同じことが胃粘膜の場合は、粘膜下層までの傷なら再生が起こることを知ったからだ。
私はこれまで「胃の場合(再生可能なのは)粘膜固有層までだろう」と思っていたが、日本の内視鏡専門医は、粘膜下層までは再生することを実地に証明したわけだ。
こういう知識を「個別専門的な臨床医の知識」に留めておくことなく、広く一般化が可能な「病理学総論的な原理・原則」に付け加えて行く必要があると思った。恐らく内視鏡専門医の多くは「創傷治癒の原則」などには無知・無関心で、ひたすら臨床例の積み重ねで自分の腕を磨いているのではないか、と思った。「実はここに内視鏡手術の落とし穴がある」とも思った。
「がん知識」を一般市民に普及させる「週刊誌の内ゲバ」は大いに結構だと思う。だが節度を守って、条理をつくした報道合戦をしてほしいと思う。何しろこの国の国民は「大学時代には総合月刊誌をときおり読んだが、卒業して就職すると、時に週刊誌を読む程度」という人たちが圧倒的な多数を占めている。
グラフの1970年代には、65歳以上の高齢者は10%未満であった。現在は25%をこえている。
たとえば、単純計算で、65歳未満の死亡率を平均して5人、65歳以上は40人(対10万人比)とすると、
0.9×5+0.1×40 = 8.5
0.75×5+0.25×40=13.75
となる。人口ピラミッドの推移から推測される死亡率の伸びよりも抑えられているのだから、検診に効果があるんじゃないの?
そもそも、食生活の変化で発症率は増えている事が想定されるので、議論の前提が成り立っていないように思う。
こういう議論をするならば、検診をする群としない群、積極的治療を行う群と行わない群を設定し、10〜20年程度をフォローする前向きの臨床試験を組むしかない。そういう知見を持たずに、いたずらにグラフから結論を引き出して世論をあおるのは、まっとうな医者のやることではないと思う。
「節度を守って、条理をつくした報道合戦をしてほしい」には同意する。
食生活の変化で発症率が増えているという論理こそ、単なる架空です。
癌で死ぬのではなく手術や抗がん剤で死ぬんです。
と、思いたいです。
水素水と同レベルの議論だと思う。
これを食べてはダメ、あれを食べるとこうなる、とか
何も食べる物が無くなってしまう勢いだ。
医者は薬を渡すだけの職業で、薬局店員と化している。
癌そのものの存在も何やら怪しく思えてきた。
あんなのは単なる吹き出物で、何も知らないうちに自然に癌が発生して自然に治っている事象が起きているかも知れません。
医者は患者の顔を3秒見て、検査発注して、コンピュータに向かって検査結果見て、処方箋書くだけね。
がんの自然治癒は、ステージによっては普通にあり得るよ。自然に治癒しないものについて、治療をした場合としない場合とを比較して、治療をした方が有意に改善していると判断されたものについて、治療法として確立してきた歴史がある。少数の偏向した疫学データだけを根拠に、検診が意味ないとか、治療に効果がないとか流言を飛ばすのは人道に反すると思うな。
治癒した方が有意に改善していると、医師らが恣意的に判断したともいえる。
諸々の薬が毒なのと同じで、効きもしないものをばら蒔いている恐ろしい現実を知るが良い。
エビデンスのある治療法が生き残って使われるのが現代医療の世界。エビデンスに基いた論文を書かずに大衆本や週刊誌で何か言っている人の主張をまともに取り上げる方がおかしい。本当に正しい事を言っているなら、必ず治験をして論文にする科学者が存在するはず。