【鳥のように】
<丸山眞男 (九天)=2016-01-13 06:40
志村五郎プリンストン大学名誉教授が『鳥のように』(筑摩eブックス kindle)に丸山眞男のことを書いています。文系理系の対比、文系での権威、文系学者の教養等々について、面白い話が書かれています。>
「九天」氏の御教示を受け、さっそく「鳥のように」(筑摩書房, 2010/3)をAmazonから紙本で取りよせ「§11.丸山真男という人」(全24頁)を読んだ。数学者らしく「パッサブル」という英語のニュアンス(つまり丸山真男という人物はパッサブルだと述べている)を説明しないで文中に使用しており、その意味については第6章「パリでパサブル」という箇所で、実に緻密に語感を説明している。これは誉め言葉でなく、「優・良・可」のうち「可」という意味だそうだ。これを読んでいわゆる「進歩的文化人」、「戦後民主主義学者」の正体がわかった。
山本義隆「私の1960年代」(金曜日、2015/10)を読むと、保釈になって出て来た若い学生が「丸山の思想と行動はダブル・スタンダードだ」と批判する山本に対して、「山本さん、ああいう批判はダメです。丸山真男のやっていることはあの人物の思想から出てきたと言わなくてはダメです。…そういうふうに根本的に彼の思想そのものを批判しなくてはいけない」と述べたと書いてある(p.117)。
志村五郎は1975年に丸山眞男(1914〜1996)と「プリンストン高等研究所」で初めて会ったと書いている。丸山は1968~69の東大紛争で心身共にボロボロに傷つき、1971/3に東大法学部教授を早期退職しているから、フリーになってからのことであろう。
ただこの研究所は自然科学系(カスティ, ジョン・L「プリンストン高等研究所物語」,青土社, 2004/12)であり、数学や理論物理学を主な研究対象としている。そこになぜ丸山が招かれることになったのか、そのいきさつを志村は書いていない。(ネットを検索したら、丸山の息子彰が数学者になっていることがわかった。当時の週刊誌に「丸山眞男教授の令息は日大全共闘の闘士デアル!」と報じられている。(写真)あるいは何か関係があるかもしれない。
志村が書いている丸山についてのエピソードは一級資料であり、今後「丸山眞男論」をかく人は絶対に参照しなければならない文献だと思った。このへんが、たとえば樋口陽一「加藤周一と丸山眞男」(平凡社、2014/12)に決定的に抜け落ちている点である。
全共闘の学生が東大法学部を封鎖した時、丸山教授室の書棚にあった本を神田の古本屋に売り飛ばしたという話を後に聞いた。「ひどい話だな…」と思ったが、志村と山本の話を合わせると、丸山眞男が当時、東大全共闘の学生からつよく憎まれていたことがよくわかった。
(図書館経由で購入したものはラベルが貼ってあるから、恐らく学生が売り払ったものは丸山が私費で購入した私物であろう。文系の研究者は本当に必要な本は、定年後のことを考えて私費で購入する傾向がある。)
全共闘白書編集委員会編「全共闘白書」(新潮社, 1994/8)には、
全国の元全共闘学生の30年後の「生活と意見」が多数収められている。その中の26人の元東大全共闘のあげる「尊敬する文化人」のところに、丸山眞男をあげたものは一人もいない。
さすがの志村五郎も、羽入辰郎『学問とは何か:「マックス・ヴェーバーの犯罪」その後』 (ミネルヴァ書房, 2008/6)までは読んでいないとみえる。
「大塚史学」と呼ばれた歴史学者大塚久雄が、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(梶山力・大塚久雄共訳、岩波文庫、上=1955/3,下=1962/8)を、梶山力(1909〜1941)の故人であるのをよいことに、大塚久雄が単独訳として新本を出版した。それを慶応大経済卒で、成蹊大経済教授の安藤英治(1921〜1998)が著書で批判しようとしたら、それに圧力をかけてきたのが丸谷眞男だということが、羽入の書に書かれている。
WIKI「梶山力」にはこうある:
<マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を初めて日本語訳し、日本におけるヴェーバー研究の礎を築いた。
梶山訳の『プロテスタンティスズムの倫理と資本主義の精神』は原注が大幅に略されていた。大塚久雄が手を入れ、梶山・大塚の共訳として岩波文庫(上下巻、1955年)で刊行、長年にわたって版を重ねた。大塚は晩年に同書の改訳に際し(梶山の名を削り)自らの単独訳とした(岩波書店、1988年。翌89年文庫化)。
ウェーバー研究者の安藤英治は、梶山の業績を埋もれさせてはならないと、名訳の誉れ高い梶山訳の復刻を企画、1994年に略されていた原注を補い初出(1904‒05年雑誌掲載)と論文集(1920年)の異同などの校訂解説を加え刊行した。>
この書は、
梶山力訳・安藤英治編・M.ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(未来社, 1994)のことである。
大塚久雄はウェーバーの同名書を岩波文庫から1989/1に単独訳者名で出版しており、現行の岩波文庫はこれである。私はM.ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(上)」(1955/3)、M.ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(下)」(1962/8)を所持しているが、大塚単独訳の文庫は持っていない。
この岩波文庫旧版にはちゃんと原注の訳も載っており、1938年訳のオリジナルな梶山訳文がそれほど時代遅れとは思えない。昭和13年の文章を「時代遅れ」としたら、鷗外、漱石、龍之介はすべてアウトになる。
普通に考えたら、梶山の没後50年で著作権が切れたのを幸いに、大塚が自分の単独本訳のかたちにしたかったのだとしか考えられないが、それは日本に初めて本格的にウェーバーを紹介した学者に対して、あまりにも「学恩」を無視するものだと私には思われる。
丸山眞男が、大塚のやり方を批判しようとした慶応大卒の安藤英治の著書刊行に、圧力をかけたと羽入は書いている(同書pp.149-155)。「進歩的文化人」、「戦後民主主義学者」の正体がこれで明らかになったというべきだろう。「丸山真男のやっていることはあの人物の思想から出てきたと言わなくてはダメです」と言った、東大全共闘学生の言葉が正鵠を射ているように思う。
<丸山眞男 (九天)=2016-01-13 06:40
志村五郎プリンストン大学名誉教授が『鳥のように』(筑摩eブックス kindle)に丸山眞男のことを書いています。文系理系の対比、文系での権威、文系学者の教養等々について、面白い話が書かれています。>
「九天」氏の御教示を受け、さっそく「鳥のように」(筑摩書房, 2010/3)をAmazonから紙本で取りよせ「§11.丸山真男という人」(全24頁)を読んだ。数学者らしく「パッサブル」という英語のニュアンス(つまり丸山真男という人物はパッサブルだと述べている)を説明しないで文中に使用しており、その意味については第6章「パリでパサブル」という箇所で、実に緻密に語感を説明している。これは誉め言葉でなく、「優・良・可」のうち「可」という意味だそうだ。これを読んでいわゆる「進歩的文化人」、「戦後民主主義学者」の正体がわかった。
山本義隆「私の1960年代」(金曜日、2015/10)を読むと、保釈になって出て来た若い学生が「丸山の思想と行動はダブル・スタンダードだ」と批判する山本に対して、「山本さん、ああいう批判はダメです。丸山真男のやっていることはあの人物の思想から出てきたと言わなくてはダメです。…そういうふうに根本的に彼の思想そのものを批判しなくてはいけない」と述べたと書いてある(p.117)。
志村五郎は1975年に丸山眞男(1914〜1996)と「プリンストン高等研究所」で初めて会ったと書いている。丸山は1968~69の東大紛争で心身共にボロボロに傷つき、1971/3に東大法学部教授を早期退職しているから、フリーになってからのことであろう。
ただこの研究所は自然科学系(カスティ, ジョン・L「プリンストン高等研究所物語」,青土社, 2004/12)であり、数学や理論物理学を主な研究対象としている。そこになぜ丸山が招かれることになったのか、そのいきさつを志村は書いていない。(ネットを検索したら、丸山の息子彰が数学者になっていることがわかった。当時の週刊誌に「丸山眞男教授の令息は日大全共闘の闘士デアル!」と報じられている。(写真)あるいは何か関係があるかもしれない。
志村が書いている丸山についてのエピソードは一級資料であり、今後「丸山眞男論」をかく人は絶対に参照しなければならない文献だと思った。このへんが、たとえば樋口陽一「加藤周一と丸山眞男」(平凡社、2014/12)に決定的に抜け落ちている点である。
全共闘の学生が東大法学部を封鎖した時、丸山教授室の書棚にあった本を神田の古本屋に売り飛ばしたという話を後に聞いた。「ひどい話だな…」と思ったが、志村と山本の話を合わせると、丸山眞男が当時、東大全共闘の学生からつよく憎まれていたことがよくわかった。
(図書館経由で購入したものはラベルが貼ってあるから、恐らく学生が売り払ったものは丸山が私費で購入した私物であろう。文系の研究者は本当に必要な本は、定年後のことを考えて私費で購入する傾向がある。)
全共闘白書編集委員会編「全共闘白書」(新潮社, 1994/8)には、
全国の元全共闘学生の30年後の「生活と意見」が多数収められている。その中の26人の元東大全共闘のあげる「尊敬する文化人」のところに、丸山眞男をあげたものは一人もいない。
さすがの志村五郎も、羽入辰郎『学問とは何か:「マックス・ヴェーバーの犯罪」その後』 (ミネルヴァ書房, 2008/6)までは読んでいないとみえる。
「大塚史学」と呼ばれた歴史学者大塚久雄が、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(梶山力・大塚久雄共訳、岩波文庫、上=1955/3,下=1962/8)を、梶山力(1909〜1941)の故人であるのをよいことに、大塚久雄が単独訳として新本を出版した。それを慶応大経済卒で、成蹊大経済教授の安藤英治(1921〜1998)が著書で批判しようとしたら、それに圧力をかけてきたのが丸谷眞男だということが、羽入の書に書かれている。
WIKI「梶山力」にはこうある:
<マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を初めて日本語訳し、日本におけるヴェーバー研究の礎を築いた。
梶山訳の『プロテスタンティスズムの倫理と資本主義の精神』は原注が大幅に略されていた。大塚久雄が手を入れ、梶山・大塚の共訳として岩波文庫(上下巻、1955年)で刊行、長年にわたって版を重ねた。大塚は晩年に同書の改訳に際し(梶山の名を削り)自らの単独訳とした(岩波書店、1988年。翌89年文庫化)。
ウェーバー研究者の安藤英治は、梶山の業績を埋もれさせてはならないと、名訳の誉れ高い梶山訳の復刻を企画、1994年に略されていた原注を補い初出(1904‒05年雑誌掲載)と論文集(1920年)の異同などの校訂解説を加え刊行した。>
この書は、
梶山力訳・安藤英治編・M.ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(未来社, 1994)のことである。
大塚久雄はウェーバーの同名書を岩波文庫から1989/1に単独訳者名で出版しており、現行の岩波文庫はこれである。私はM.ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(上)」(1955/3)、M.ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(下)」(1962/8)を所持しているが、大塚単独訳の文庫は持っていない。
この岩波文庫旧版にはちゃんと原注の訳も載っており、1938年訳のオリジナルな梶山訳文がそれほど時代遅れとは思えない。昭和13年の文章を「時代遅れ」としたら、鷗外、漱石、龍之介はすべてアウトになる。
普通に考えたら、梶山の没後50年で著作権が切れたのを幸いに、大塚が自分の単独本訳のかたちにしたかったのだとしか考えられないが、それは日本に初めて本格的にウェーバーを紹介した学者に対して、あまりにも「学恩」を無視するものだと私には思われる。
丸山眞男が、大塚のやり方を批判しようとした慶応大卒の安藤英治の著書刊行に、圧力をかけたと羽入は書いている(同書pp.149-155)。「進歩的文化人」、「戦後民主主義学者」の正体がこれで明らかになったというべきだろう。「丸山真男のやっていることはあの人物の思想から出てきたと言わなくてはダメです」と言った、東大全共闘学生の言葉が正鵠を射ているように思う。
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