【死亡診断書】
患者が亡くなったら医者は死亡診断書を書かなくてはいけない。これがないと役場が「火埋葬許可証」を発行してくれないから、葬式はできても遺体を焼き場に送れない。これには死因と死亡時刻の記入が必要である。またコピーを保存しておくことも必要である。田舎の役場など死亡診断書を破棄するところもあるからだ。
高校の寮時代の友人で医師となり山陰の病院に勤務していた男が、親類の家で暖房用のストーブの不完全燃焼で睡眠中にガス中毒した。葬式に出席したら、葬儀の後で出棺できないというハプニングが起きた。後で事情が判明したが、なんと死亡診断書を書いた医者が、付近の民間病院のアルバイト医で、死亡診断書に死亡日は書いたが、死亡時刻を「不明」と書いたのだそうだ。「墓地埋葬法」により遺体は死後24時間を経ないと火埋葬が禁止されている。
たとえば1月8日の朝発見された遺体について「死亡日1月8日、死亡時刻不明」という死亡診断書を書くと、この遺体は1月9日午前0時までは生きていたと法的には見なされる。よって、その時点から24時間を経た1月10日付けの火埋葬許可証しか発行できないので、1月10の昼に葬儀を行っても、火葬場への棺送りはできないのである。
宇和島あたりの田舎では公的病院でも「法定保存期間」の5年を過ぎたカルテを破棄する。「病腎移植事件」をこじらせた最大の原因はカルテ破棄だ。米ハーバード大附属病院である「マサチューセッツ総合病院」では、開院した1821年に入院第1号となった患者をふくめカルテが全保存してある。
日本移植学会の調査委が、万波移植のうち下部尿管がんの患者から切除した腎臓を修復後に移植された症例を問題にした。
母からの移植腎が4年後に機能廃絶して、人工透析に戻っていた男性に移植したところ、2年後に移植腎の腎盂に別の尿管がんを再発した。患者が腎摘出を拒否したため、部分切除で対応した例があった。この患者は部分切除術の3年後に「転移性肝がん」で肝機能不全により死亡した。
この例(症例4=男性、死亡時50歳)は「病腎移植」症例で唯一腫瘍が発生した例であり、移植学会はこれを「持ち込み腫瘍による死亡例」と決めつけはげしく攻撃した。不勉強なマスコミはその尻馬に乗った。
この症例の死因解明は、WOWOWのドラマ「死の臓器」では、武田鉄也扮する主人公の医師が、オンボロ車を走らせて患者遺族を訪ね、真相を聞くという最大のヤマ場になっている。
実際には、病院にも火埋葬許可証を発行した役場にも残されていなかった患者の死亡診断書が、妻のところに残っていた。そこから病院に永久保存されていた病理部の検査台帳とのリンクが可能となり、腎移植した患者は後に原発性肺がんを発症し、それが肝臓に転移して死亡したことが細胞診や気管支生検の記録により裏付けられた。移植学会の非難は事実無根だった。
昔、大学院生の頃、アルバイト先の病院で何人も患者の死を看取り、死亡診断書を書いたことがある。死に行く患者の遺言に応えて、大学の教室で病理解剖をしたこともある。年配の副院長に同行を求められ、急死した幼稚園女児の家を訪れたことがある。若い母親は寡婦となったばかりで、遺体の外表所見には異常がなかったが、持病の履歴がなく急死の原因は思い当たらなかった。本当は死体検案と司法解剖が必要な例だったが、副院長は穏便にすませたかったようだ。この例は今でもときどき思い出す。
その頃の「死亡診断書」は「死因」欄に病名を一つだけ書けばよかった。昭和24(1949)年に定められた死亡診断書の書式は、国民皆保険制度がなく都市化も始まっていない時代のもので、皆がかかりつけ医を持ち、医師が家族単位で患者の家庭や健康状態を把握している時代だった。
後に臨床病理学的に、基礎疾患と患者予後の関係を調査する研究を始めて、日本の死亡診断書の不備を痛感した。主病と直接死因との区別がなく、病名は記入する医師の判断にまかされていた。これでは日本の疾患別死亡統計は信頼性に乏しく、国際比較もできない。
水俣病で疫学が威力を発揮して疫学死亡者が増えたが、彼らは死亡診断書の発行現場をまったく知らなかった。共同研究した愛知がんセンター冨永佑民疫学部長に、何度もこの問題を訴えた。そのせいか1990年になって「死亡診断書」の書式が変更になった。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/manual/dl/manual_h27.pdf
「新死亡診断書」では、
死亡の原因として、
1.(ア)直接死因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間
2.(イ)(ア)の原因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間
3.(ウ)(イ)の原因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間
4.(エ)(ウ)の原因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間
5.直接死因には関係しないが上記の疾病経過に影響を及ぼした傷病名等
6.手術の有無と手術年月日
7.解剖の有無とその主要所見
までを、記入するようになっている。
直接死因は脳死、呼吸停止、心停止(他に出血死、事故による即死があるが)しか普通には考えられないが、従来は脳卒中、脳出血、急性心不全、窒息などの病名も「直接死因」として認められていたのを考えると、死因を直接死因、その原因(基礎疾患の合併症)、基礎疾患と三段にわけて記載する方法は大いなる進歩である。(医師に周知徹底しているかは別として。)
ある時、学生の卒論テーマとして新聞の訃報欄をデータベースとして、「有名人の寿命と死因の関係」を研究させることを考えた。だが予備研究によりあきらめた。死亡時年齢は正確だが、病名がまちまちなのである。直接死因と基礎疾患にわけて報じている新聞は一紙もない。
たとえば「悪性リンパ腫」という基礎疾患に「DIC(汎発性血管内凝固症候群)」という病態を合併することは稀でない。その結果はたいてい「急性心不全」である。訃報欄を書く記者がどれを「死因」として報じるかは、社によってまちまちである。
最近では「誤嚥性肺炎」という訃報が多い。これも昔の「呼吸停止」という病名と変わらない。死因は原病を表記しないと情報に医学的価値がない。だから「訃報欄」は医学的研究の対象にならないのである。
1/7「毎日」が今年1月から「全国がん登録」が開始されることを報じている。
<全国がん登録>死因1位…実態把握で有効な対策構築に期待
◇14年にがんで亡くなった人は36万8103人
「がん登録推進法」に基づき、1月から始まったすべてのがん患者の情報を国がデータベース化して一元管理する「全国がん登録」。日本人の死因は1981年以降、がんが一位を占め、2014年にがんで亡くなった人は36万8103人。高齢化に伴い増加しているが、がん登録の仕組みづくりは諸外国に比べて遅れていた。>
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0107/mai_160107_1724710466.html
「毎日」が記事で取り上げたことは大いに評価したい。1/8「日経」も同様の記事を報じている。ただ「国民死因登録」や「全国がん登録」の世界の実態に関する勉強はまだまだ不十分だ。がん登録の精度を計る物差しは「病理組織学的な診断裏づけ率」である。これが90%を超えない「がん登録」は信頼できない。
世界で最初に「死因登録」を開始したのは、1875年デンマークで、これは国内在住の外国人も含まれている。以後、毎年「死亡統計年報」が刊行されている。
がんについては1943年に「全国がん登録制度」が開始され、その病理組織学的な裏づけ率は95〜97%と非常に高い1)。
1968年には国民の個人番号制が導入され、がん登録データベースと個人医療保険データとのリンクが可能になった。1977年には「国立病院登録」が開始され、すべての入院カルテとのリンクが、95年からは外来・救急患者のデータとのリンクも可能になった。
同じようなシステムはスウェーデン、ノルウェーにも導入されているが、完成度からみて世界でもっとも進んでいるのはデンマークである。米国のシステムはこれに劣っている。
このシステムのおかげでデンマークは2002年に、「臓器移植による悪性腫瘍および他疾患の伝達リスク」という医学的に信頼できる報告書を世界で初めて発表した2)。
1969〜96年までの27年間にデンマークでは491体の脳死ドナーが出ており、人口100万人当たり3.4人。日本の人口に換算すれば年間400体の脳死ドナーがあることになる。
報告書をまとめたバークランド博士は、「臓器移植により悪性腫瘍が伝達されるリスクは0.2%、糸球体腎炎が伝達されるリスクは0.3%と、いずれも低い」と結論している。
こういう論文を日本移植学会の幹部や大メディアがちゃんと勉強してさえいれば、「病腎移植事件」など起こりようがなかったのである。
「毎日」は「文化部」が1/5「読書日記」で久間十義「禁断のスカルペル」を取り上げたので「修復腎移植」評価の方向に動きはじめたと理解する。
http://mainichi.jp/articles/20151222/dde/012/070/010000c
後は「科学環境部」がどう動くかだろう。
〔参考文献〕
1) 難波紘二、堤寛(2008):再考“レストア腎移植”3:世界的ドナー不足とその対処法、各国の動向. 医学のあゆみ、224(12):963-70
2) Birkeland SA et al.(2002): Risk for tumour and other disease transmission by transplantation: A population-based study of unrecognized malignancies and other disease in organ donors. Transplantation, 74(10): 1409-13
患者が亡くなったら医者は死亡診断書を書かなくてはいけない。これがないと役場が「火埋葬許可証」を発行してくれないから、葬式はできても遺体を焼き場に送れない。これには死因と死亡時刻の記入が必要である。またコピーを保存しておくことも必要である。田舎の役場など死亡診断書を破棄するところもあるからだ。
高校の寮時代の友人で医師となり山陰の病院に勤務していた男が、親類の家で暖房用のストーブの不完全燃焼で睡眠中にガス中毒した。葬式に出席したら、葬儀の後で出棺できないというハプニングが起きた。後で事情が判明したが、なんと死亡診断書を書いた医者が、付近の民間病院のアルバイト医で、死亡診断書に死亡日は書いたが、死亡時刻を「不明」と書いたのだそうだ。「墓地埋葬法」により遺体は死後24時間を経ないと火埋葬が禁止されている。
たとえば1月8日の朝発見された遺体について「死亡日1月8日、死亡時刻不明」という死亡診断書を書くと、この遺体は1月9日午前0時までは生きていたと法的には見なされる。よって、その時点から24時間を経た1月10日付けの火埋葬許可証しか発行できないので、1月10の昼に葬儀を行っても、火葬場への棺送りはできないのである。
宇和島あたりの田舎では公的病院でも「法定保存期間」の5年を過ぎたカルテを破棄する。「病腎移植事件」をこじらせた最大の原因はカルテ破棄だ。米ハーバード大附属病院である「マサチューセッツ総合病院」では、開院した1821年に入院第1号となった患者をふくめカルテが全保存してある。
日本移植学会の調査委が、万波移植のうち下部尿管がんの患者から切除した腎臓を修復後に移植された症例を問題にした。
母からの移植腎が4年後に機能廃絶して、人工透析に戻っていた男性に移植したところ、2年後に移植腎の腎盂に別の尿管がんを再発した。患者が腎摘出を拒否したため、部分切除で対応した例があった。この患者は部分切除術の3年後に「転移性肝がん」で肝機能不全により死亡した。
この例(症例4=男性、死亡時50歳)は「病腎移植」症例で唯一腫瘍が発生した例であり、移植学会はこれを「持ち込み腫瘍による死亡例」と決めつけはげしく攻撃した。不勉強なマスコミはその尻馬に乗った。
この症例の死因解明は、WOWOWのドラマ「死の臓器」では、武田鉄也扮する主人公の医師が、オンボロ車を走らせて患者遺族を訪ね、真相を聞くという最大のヤマ場になっている。
実際には、病院にも火埋葬許可証を発行した役場にも残されていなかった患者の死亡診断書が、妻のところに残っていた。そこから病院に永久保存されていた病理部の検査台帳とのリンクが可能となり、腎移植した患者は後に原発性肺がんを発症し、それが肝臓に転移して死亡したことが細胞診や気管支生検の記録により裏付けられた。移植学会の非難は事実無根だった。
昔、大学院生の頃、アルバイト先の病院で何人も患者の死を看取り、死亡診断書を書いたことがある。死に行く患者の遺言に応えて、大学の教室で病理解剖をしたこともある。年配の副院長に同行を求められ、急死した幼稚園女児の家を訪れたことがある。若い母親は寡婦となったばかりで、遺体の外表所見には異常がなかったが、持病の履歴がなく急死の原因は思い当たらなかった。本当は死体検案と司法解剖が必要な例だったが、副院長は穏便にすませたかったようだ。この例は今でもときどき思い出す。
その頃の「死亡診断書」は「死因」欄に病名を一つだけ書けばよかった。昭和24(1949)年に定められた死亡診断書の書式は、国民皆保険制度がなく都市化も始まっていない時代のもので、皆がかかりつけ医を持ち、医師が家族単位で患者の家庭や健康状態を把握している時代だった。
後に臨床病理学的に、基礎疾患と患者予後の関係を調査する研究を始めて、日本の死亡診断書の不備を痛感した。主病と直接死因との区別がなく、病名は記入する医師の判断にまかされていた。これでは日本の疾患別死亡統計は信頼性に乏しく、国際比較もできない。
水俣病で疫学が威力を発揮して疫学死亡者が増えたが、彼らは死亡診断書の発行現場をまったく知らなかった。共同研究した愛知がんセンター冨永佑民疫学部長に、何度もこの問題を訴えた。そのせいか1990年になって「死亡診断書」の書式が変更になった。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/manual/dl/manual_h27.pdf
「新死亡診断書」では、
死亡の原因として、
1.(ア)直接死因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間
2.(イ)(ア)の原因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間
3.(ウ)(イ)の原因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間
4.(エ)(ウ)の原因と発病(発症)又は受傷から死亡までの期間
5.直接死因には関係しないが上記の疾病経過に影響を及ぼした傷病名等
6.手術の有無と手術年月日
7.解剖の有無とその主要所見
までを、記入するようになっている。
直接死因は脳死、呼吸停止、心停止(他に出血死、事故による即死があるが)しか普通には考えられないが、従来は脳卒中、脳出血、急性心不全、窒息などの病名も「直接死因」として認められていたのを考えると、死因を直接死因、その原因(基礎疾患の合併症)、基礎疾患と三段にわけて記載する方法は大いなる進歩である。(医師に周知徹底しているかは別として。)
ある時、学生の卒論テーマとして新聞の訃報欄をデータベースとして、「有名人の寿命と死因の関係」を研究させることを考えた。だが予備研究によりあきらめた。死亡時年齢は正確だが、病名がまちまちなのである。直接死因と基礎疾患にわけて報じている新聞は一紙もない。
たとえば「悪性リンパ腫」という基礎疾患に「DIC(汎発性血管内凝固症候群)」という病態を合併することは稀でない。その結果はたいてい「急性心不全」である。訃報欄を書く記者がどれを「死因」として報じるかは、社によってまちまちである。
最近では「誤嚥性肺炎」という訃報が多い。これも昔の「呼吸停止」という病名と変わらない。死因は原病を表記しないと情報に医学的価値がない。だから「訃報欄」は医学的研究の対象にならないのである。
1/7「毎日」が今年1月から「全国がん登録」が開始されることを報じている。
<全国がん登録>死因1位…実態把握で有効な対策構築に期待
◇14年にがんで亡くなった人は36万8103人
「がん登録推進法」に基づき、1月から始まったすべてのがん患者の情報を国がデータベース化して一元管理する「全国がん登録」。日本人の死因は1981年以降、がんが一位を占め、2014年にがんで亡くなった人は36万8103人。高齢化に伴い増加しているが、がん登録の仕組みづくりは諸外国に比べて遅れていた。>
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0107/mai_160107_1724710466.html
「毎日」が記事で取り上げたことは大いに評価したい。1/8「日経」も同様の記事を報じている。ただ「国民死因登録」や「全国がん登録」の世界の実態に関する勉強はまだまだ不十分だ。がん登録の精度を計る物差しは「病理組織学的な診断裏づけ率」である。これが90%を超えない「がん登録」は信頼できない。
世界で最初に「死因登録」を開始したのは、1875年デンマークで、これは国内在住の外国人も含まれている。以後、毎年「死亡統計年報」が刊行されている。
がんについては1943年に「全国がん登録制度」が開始され、その病理組織学的な裏づけ率は95〜97%と非常に高い1)。
1968年には国民の個人番号制が導入され、がん登録データベースと個人医療保険データとのリンクが可能になった。1977年には「国立病院登録」が開始され、すべての入院カルテとのリンクが、95年からは外来・救急患者のデータとのリンクも可能になった。
同じようなシステムはスウェーデン、ノルウェーにも導入されているが、完成度からみて世界でもっとも進んでいるのはデンマークである。米国のシステムはこれに劣っている。
このシステムのおかげでデンマークは2002年に、「臓器移植による悪性腫瘍および他疾患の伝達リスク」という医学的に信頼できる報告書を世界で初めて発表した2)。
1969〜96年までの27年間にデンマークでは491体の脳死ドナーが出ており、人口100万人当たり3.4人。日本の人口に換算すれば年間400体の脳死ドナーがあることになる。
報告書をまとめたバークランド博士は、「臓器移植により悪性腫瘍が伝達されるリスクは0.2%、糸球体腎炎が伝達されるリスクは0.3%と、いずれも低い」と結論している。
こういう論文を日本移植学会の幹部や大メディアがちゃんと勉強してさえいれば、「病腎移植事件」など起こりようがなかったのである。
「毎日」は「文化部」が1/5「読書日記」で久間十義「禁断のスカルペル」を取り上げたので「修復腎移植」評価の方向に動きはじめたと理解する。
http://mainichi.jp/articles/20151222/dde/012/070/010000c
後は「科学環境部」がどう動くかだろう。
〔参考文献〕
1) 難波紘二、堤寛(2008):再考“レストア腎移植”3:世界的ドナー不足とその対処法、各国の動向. 医学のあゆみ、224(12):963-70
2) Birkeland SA et al.(2002): Risk for tumour and other disease transmission by transplantation: A population-based study of unrecognized malignancies and other disease in organ donors. Transplantation, 74(10): 1409-13
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