ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【訃報=加島祥造】難波先生より

2016-01-12 11:31:43 | 難波紘二先生
【訃報=加島祥造】
 1/6「日経」が加島祥造(92歳)の訃を報じていた。見たことのある名前だが、どんな仕事をした人か思い出せない。「蔵書目録」に「加島祥造」と入力し、「エクセル」左上隅の◇印をクリックして、すべてのマス目(15x約6000=約9万ある)に検索をかけたら、3件がヒットした。
1) E.ヘミングウェイ(加島祥造訳)「日はまた昇る(「新集世界の文学」35)」,中央公論社,1968/11
2) 加島祥造「英語の辞書の話」,講談社学術文庫,1985/6
3) 加島祥造「引用句辞典の話」,講談社学術文庫,1990/9
このうち3)はよい本で「買いたい新書」でも書評した。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1329203515

 英米文学は高校時代で卒業したと思っていたから、50年以上ろくに読んでいない。「新集・世界の文学35」を開いてみたら、「日はまた昇る」だけが加島訳で、「われらの時代に」(石一郎)と他に11篇の短篇(谷口陸男訳)が入っていた。「The Sun Rises Also」は英語のペンギンブックで読んだので邦訳は読んでいない。谷口訳の中に「死者の博物誌(A Natural History of The Dead)」という、短篇集『勝者には何もやるな (Winner Take Nothing)』(1933)からの作品があった。
 Natural historyを「博物誌」と訳すのは誤訳で「自然史」とすべきだと思うが、ともかく旅行家マンゴー・パークなどを引き合いに出して、初めは戦争における動物や人間の死の「起こり方とその後」について、比較と考察が行われており、自然科学的態度が保たれているが、途中から第一次世界戦争中に、北イタリア山奥の洞窟に置かれた野戦病院での、瀕死の重傷兵をめぐる軍医と砲兵中尉との対立のエピソードに変わってしまう。
 「苦しませずに殺してやれ」という中尉。「それはできない。私の仕事ではない」と突っぱねる軍医。
 文学であるためには、どうしても「物語」に仕立てあげなければならなかった時代の駄作だ。今日ではニック・レーン「生と死の自然史」(東海大出版)というような、ノンフィクションで文学よりも面白い傑作もある。

 WIKIで「加島祥造」を見ると、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E5%B3%B6%E7%A5%A5%E9%80%A0
 1923年生まれで、1990年東京から信州の伊那谷に移住し、70歳になって
『タオ ヒア・ナウ』老子、PARCO出版、1993年
を出版している。1986年に横浜国立大を定年退職した後、なぜ老子に興味を持ったのかは不明だ。私見ではアメリカ現代文学の巨匠ゴア・ヴィダルの「CREATION」(初版1981、無削除版2002)の影響があるのではないか、と推測する。
 <Creation (1981, 2002) は、紀元前5世紀のペルシア帝国の盲目の文官(スピタマ)を主人公に、ギリシャ、中東諸国、インドそして中国までを舞台にし、ゾロアスター教、ギリシャ哲学、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、老荘思想、儒教など様々な思想・宗教を取り上げ、釈迦を筆頭にゾロアスター、ソクラテス、マハーヴィーラ、老子、孔子ら実在の人物が次々と登場する壮大な歴史小説である。>(WIKI「ゴア・ヴィダル」)
 登場人物の中で圧倒的に存在感があるのが、老子だ。(リ・ツー, Li Tzu)

<秦人は褐色で、鼻が扁平なのに対して、周人は色がもっと白く、顔の彫りが深い。
 土着のカタイ人は、黒髪、黒目、体毛がなく、周の武士階級は「黒髪人」と呼んでいることを知る。周人はアーリア人の移動と同じ頃、中原を征服。スピタマは、周人はアーリア人ではないかと疑う。
 スピタマはシェー候と「光の館」を訪れ、老子:リ・ツー(Li Tzu)に会う(Master Li=老先生)。 彼は、「無為(wu-wei)」を最高の価値としている。周の図書室の役人。
 周の人たちは、無為とは何かを知らずして無為を実行している。陽気で、活動的な人たち。
 老子と道(Tao)について論じる。
 スピタマの質問「道を作ったのは誰か」に対して、老子は「分からない」と答える。>
 「道(タオ、Way)」は自然法則であり、老子は安易に「神」を持ち出さず、「分からない」と答えた。孔子(コンフュシャス)は「われ鬼神を論ぜず」と答えを拒否した。
 法則は、アインシュタインが述べたように、人間的意識による抽象の産物であり、「脳の中にある」としか言いようがない。
 それはともかく、この小説は紀元前5世紀の世界に、ゾロアスター、シャカ、孔子、老子が同時代に生きており、世界の重要な哲学・思想がいっせいに生まれたこと、その範囲は今日のイランの北西部からインド北部、中国の黄河と揚子江に挟まれた「中原」の北部であったことを示している。その時、ギリシア世界はこの文化圏の西端に位置していて、まだ黎明期だった。
 この大河小説は「ギリシア・ローマ文明史感」に変更を迫るものであり、英文学を職業としてきた加島祥造が、読んでいたら(1981年に全米ベストセラー1位になったから、読んでいないはずがない、と思うが)、価値観の一変を生じても不思議ではない。
 (ゴア・ヴィダルについては、
 Fred Kaplan (ed.) :The Essential Gore Vidal, Random House, 1999
という全作品要約(抜粋)と評伝が出ているが、肝心の「CREATION」には未だに邦訳がない。)

 だが、ヴィダルと加島との関係はスペキュレーションにすぎず、加島がなぜ老子に目覚め、伊那谷での暮らしを送るようになったのかを知るために、彼の著作:
 1)『伊那谷の老子』淡交社、1995年。朝日文庫、2004年。
 2)『タオ 老子』筑摩書房、2000年。ちくま文庫、2006年。
 3)『老子までの道』朝日文庫、2007年
 を発注した。新発見があったらまた述べたい。
 WIKIの年譜を見て思うに、加島も外山滋比古に似ていて、70代後半からの知的生産活動が盛んになっていると思う。これは理想的な一生だと思う。高齢化社会の模範となるだろう。

<1/10付記=土曜日の午後に注文したのに、日曜日の昼頃に2)がもう届いた。一日一食の食事を14:00頃に取りながら、さっそく眼を通した。やはり予想していたように、この人の「老子」は英訳本を下地にしている。「文庫本あとがき」によると、
 「タオ、ヒア・ナウ」(パルコ出版, 1993)
を出版し、これを改訳し「老子」全81章を詩形式で訳出したものが、
 「タオ、老子」(筑摩書房、2000/3)で、この文庫化が2)だとある。
 老子「道徳経」の全訳とあるから、「はて?」と面食らったが、これは世に言う「老子」の全文のことである。たとえば中央公論社版「老子, 荘子(世界の名著4)」(中央公論社,1968/7)漢文と読み下し文、邦訳とともに収録されているような。
 ただ英語訳を参照して、自由な口語詩に訳したところは出色だと思う。
(「老子」の重要な部分はR.O.Ballou(ed.)「The Portable World Bible」(Penguin Books)にヒンズー、仏教、ゾロアスター(パルシー)、ユダヤ教、キリスト教、イスラム、孔子と並んで収録されている。)
 「老子」冒頭の
 「道のいうべきは常の道にあらず。名の名付くべきは常の名に非ず。名なきは天地の始めにして、名有るは万物の母なり」は、
「これが道(タオ)だと口で言ったからって
 それは本当の道(タオ)じゃないんだ。
 なぜってそれを道(タオ)だと言ったり
 名づけたりするずっと以前から
 名の無い道(タオ)の領域が
 はるかに広がっていたんだ。

 まずはじめは
 名の無い領域であった。
 名の無い領域から
 天と地が生まれ、
 天と地のあいだから
 数知れぬ名前が生まれた。
 だから天と地は
 名の有るすべてのものの「母」と言える。」

 ゴア・ヴィダル「CREATION」の主題は「天地創造」であり、換言すれば主人公のペルシア帝国外交官であるキロス・スピタマが「この世は神が作ったのか?それとも自然にできたのか?」という問いへの答えを求めて、西はアテネから東はカタイ(中国の古名)にまで遍歴する物語である。これに答える資格を持った人間は当時、中国の老子と甥の「原子論者」デモクリトスしかいなかった。
 加藤祥造がヴィダルを読んだ蓋然性は高くなったが、結論は残りの2冊を読んでからにしよう。(結論が出せればの話だ。文系は手の内を隠す、「学恩」に知らんぷりをする、傾向がある。)
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