【死亡宣告】
年明け早々M3で「患者の臨終に立ち会った時に家族にどう告げるか?」という質問を、医者になってまだ10年にならない内科系の医師が投げかけている。
より経験年数の多い医師の一人からのアンサー:
<老人病院に勤務中に、100名以上の死亡診断書を書きました・・・「死亡時の言葉」、私も悩みました・・・「ご臨終です」が、もっとも一般的で、遺族も、その言葉が受け入れやすいと思い、使っていました。他には、「永眠されました」も使いました。「昇天」は、「笑点」と音が同じなので似合わないと思い、使いませんでした・・・他に、気になった点は、腕時計です。当時は、カシオGショックを愛用していたのですが、何か、不釣合いな気がして、思い切って、ロレックスを買いました・・・人の死に立ち会うのですから、厳粛な雰囲気にふさわしい、態度、ふるまい、言葉、小道具が必要かと思います・・・>
今頃の医学部や研修病院では医師の服装や言葉使いについて、教育しないのか…と思う。
私たちは第二内科の和田直教授から、「医者は身だしなみを整えよ、ネクタイを締めよ、丁寧な言葉で患者に応対せよ」と教えられた。
病院に出たら私は病理医なので、生きた患者を診療することはなかったが、岡田啓成病院長から、「医者は着衣や小道具に安物を使うな。患者より貧乏に見える医者に、患者が安心して受診できるか?」と教わった。一理あるが、正直「病理医でよかった」と思った。
内科出身の院長の下には優秀な内科医が集まっていた。いや、岡田天皇に感化されて優秀になったといった方がよいかも知れない。
ある時その若手内科医たちに「臨終で告げる言葉」を聞いたことがある。一番多いのは、「ご臨終です」といい、時計を見て死亡時刻を告げるタイプ。時計は外国製の腕時計というのが多かった。(堤寛さんがいうように、腕時計は不潔になりやすいので、本当はポケットから上等な懐中時計を取りだし、蓋を開いて正確な時刻を告げる方が演出効果も出ると思うが、そういう医師はもういなかった。)
その中で、一番よいと思ったのが、「ご臨終」と言わないで、時刻を告げた後、「お力が及びませんで…」と家族に告げ、遺体に黙祷をする、というある医師のマナー。
病理部は、身内患者の生検の病理診断を少しでも早く知りたいと、病院関係者が出入りするから、事務部、看護部、外来、病棟、他の検査部、営繕課、栄養科まで人がやってきて、おのずから情報が集まる。誰に聞いても、その医師の評判はよく信頼も厚かった。患者や家族とトラブルを起こしたことがない。
恐らくこれまで私が出会った内科医のうちで最高の名医だといえよう。
私も彼のおかげで助かったことがある。初めてアフリカに調査旅行をした時、黄熱病などの予防注射の他に、クロロキン耐性マラリアに対する新抗マラリア剤が必要だったが、市販されておらず、東京に一箇所だけ売っている店があった。それは発つ前に東京で入手したが、彼は「念のために」と言って細菌性腸炎の内服剤「バクシダール」を用意してくれた。
幸い黄熱病にも、コレラにもマラリアにも罹らなかったが、うっかり飲んだホテルのジャーの氷水で猛烈な細菌性腸炎を起こした。タンザニアからケニアに戻った直後で、疲労のために警戒心を忘れたのだ。
「裏急後重(テネスムス)」といって水様の便がひっきりなしに出る。トイレに行ったかと思うと、また出る。たちまち脱水を起こし、ベッドから動けなくなってしまった。
この急場を救ってくれたのがバクシダールである。持参した電気湯沸かし器で湯を沸かし、バクシダールを4時間おきに飲み、非常食のカップ味噌汁やめん類を食っているうちに、やっと回復できたが、まる一日かかった。
そういうわけで、この名医は私にとって生命の恩人である。今、山陰の母校のある県で公立病院の長をしていると聞いたが、あの人柄ならきっとよい病院をつくるだろう。
いや、「死亡宣告の仕方」の話が余談になった。
年明け早々M3で「患者の臨終に立ち会った時に家族にどう告げるか?」という質問を、医者になってまだ10年にならない内科系の医師が投げかけている。
より経験年数の多い医師の一人からのアンサー:
<老人病院に勤務中に、100名以上の死亡診断書を書きました・・・「死亡時の言葉」、私も悩みました・・・「ご臨終です」が、もっとも一般的で、遺族も、その言葉が受け入れやすいと思い、使っていました。他には、「永眠されました」も使いました。「昇天」は、「笑点」と音が同じなので似合わないと思い、使いませんでした・・・他に、気になった点は、腕時計です。当時は、カシオGショックを愛用していたのですが、何か、不釣合いな気がして、思い切って、ロレックスを買いました・・・人の死に立ち会うのですから、厳粛な雰囲気にふさわしい、態度、ふるまい、言葉、小道具が必要かと思います・・・>
今頃の医学部や研修病院では医師の服装や言葉使いについて、教育しないのか…と思う。
私たちは第二内科の和田直教授から、「医者は身だしなみを整えよ、ネクタイを締めよ、丁寧な言葉で患者に応対せよ」と教えられた。
病院に出たら私は病理医なので、生きた患者を診療することはなかったが、岡田啓成病院長から、「医者は着衣や小道具に安物を使うな。患者より貧乏に見える医者に、患者が安心して受診できるか?」と教わった。一理あるが、正直「病理医でよかった」と思った。
内科出身の院長の下には優秀な内科医が集まっていた。いや、岡田天皇に感化されて優秀になったといった方がよいかも知れない。
ある時その若手内科医たちに「臨終で告げる言葉」を聞いたことがある。一番多いのは、「ご臨終です」といい、時計を見て死亡時刻を告げるタイプ。時計は外国製の腕時計というのが多かった。(堤寛さんがいうように、腕時計は不潔になりやすいので、本当はポケットから上等な懐中時計を取りだし、蓋を開いて正確な時刻を告げる方が演出効果も出ると思うが、そういう医師はもういなかった。)
その中で、一番よいと思ったのが、「ご臨終」と言わないで、時刻を告げた後、「お力が及びませんで…」と家族に告げ、遺体に黙祷をする、というある医師のマナー。
病理部は、身内患者の生検の病理診断を少しでも早く知りたいと、病院関係者が出入りするから、事務部、看護部、外来、病棟、他の検査部、営繕課、栄養科まで人がやってきて、おのずから情報が集まる。誰に聞いても、その医師の評判はよく信頼も厚かった。患者や家族とトラブルを起こしたことがない。
恐らくこれまで私が出会った内科医のうちで最高の名医だといえよう。
私も彼のおかげで助かったことがある。初めてアフリカに調査旅行をした時、黄熱病などの予防注射の他に、クロロキン耐性マラリアに対する新抗マラリア剤が必要だったが、市販されておらず、東京に一箇所だけ売っている店があった。それは発つ前に東京で入手したが、彼は「念のために」と言って細菌性腸炎の内服剤「バクシダール」を用意してくれた。
幸い黄熱病にも、コレラにもマラリアにも罹らなかったが、うっかり飲んだホテルのジャーの氷水で猛烈な細菌性腸炎を起こした。タンザニアからケニアに戻った直後で、疲労のために警戒心を忘れたのだ。
「裏急後重(テネスムス)」といって水様の便がひっきりなしに出る。トイレに行ったかと思うと、また出る。たちまち脱水を起こし、ベッドから動けなくなってしまった。
この急場を救ってくれたのがバクシダールである。持参した電気湯沸かし器で湯を沸かし、バクシダールを4時間おきに飲み、非常食のカップ味噌汁やめん類を食っているうちに、やっと回復できたが、まる一日かかった。
そういうわけで、この名医は私にとって生命の恩人である。今、山陰の母校のある県で公立病院の長をしていると聞いたが、あの人柄ならきっとよい病院をつくるだろう。
いや、「死亡宣告の仕方」の話が余談になった。
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