【朝鮮建国の神話】
朝鮮最古の史書というと、金富軾『三国史記』(1145)と一然『三国遺事』(1277)しかない。
朝鮮の建国神話では「檀君」という天孫が「古朝鮮」を建国したとする。その時期はBC2333年10月3日だという。この話は『三国史記』(高句麗、新羅、百済の歴史)には載っておらず、それより100年以上後に僧侶が書いた『三国遺事』(「三国史記」の落ち穂拾い)に出てくる。
中国の史書・司馬遷『史記』の「朝鮮伝」には、「最初の朝鮮王満はもと中国の燕の人で、秦が燕を滅ぼした後(BC222)、燕王に仕えていた満は東方に逃げ、燕・齊からの亡命者を集めて、真蕃・朝鮮族を支配する王朝を創立した。「満」は燕人のことで、この男の姓は「衛」だった。そこでこの男を「衛満」といい、その王朝を「衛氏朝鮮」という、とある。
従って文献に確かな朝鮮王朝は、中国の燕人が樹立したということになる。朝鮮の人はしばしば「孔子の子孫だ」というが、孔子は燕人であるから、これは一理あるが、だとしたら朝鮮人は中国人の一派ということになる。
燕が秦に滅ぼされたのは、燕王の皇太子丹が始皇帝を暗殺するために刺客荊軻(けいか)を送ったが(BC227)、暗殺に失敗したためである。
『漢書』の「地理志」には、殷王朝が衰退したときに、「箕士」という男が中国を去り、朝鮮に行き、礼儀、農耕、養蚕、機織を教え、法(「箕士八条」)を制定したという。これが「箕士朝鮮」の開祖である。
箕士朝鮮の末路は不明だが、衛氏朝鮮はBC108年に漢帝国により滅ぼされ、漢はその後朝鮮に真蕃、臨屯、玄兎、楽浪の四郡をおいた。つまり朝鮮は漢の属領になったのである。文献的証拠によるかぎり、衛氏朝鮮も箕士朝鮮も中国人による制服王朝である。
以上は『東アジア民族史1:正史東夷伝』(東洋文庫)による。
朝鮮の史書『三国史記』によると、「新羅本紀」の初代王はBC57年、「高句麗本紀」の初代王「東明王」はBC37年、「百済本紀」の初代王はBC18年に即位しており、いずれも衛氏朝鮮の滅亡後に興ったものである。
李氏朝鮮世宗28(1446)年にハングルが発明されるまでは、漢文が読めるのは士太夫階級(両班)のみであり、朝鮮に「大衆文学」は存在しなかった。中国の『山海経』、『探神記』、『太平広記』、『剪燈新話』、『聊齊志異』なども朝鮮に輸入され、適当に翻訳・換骨奪胎されてハングルで読まれたようだ。朝鮮伝記文学の白眉とされる金時習『金鰲新話』は『剪燈新話』の模倣である。(日本ではこれが『怪談牡丹灯籠』に改変された。)
李氏朝鮮の太宗3(1403)年に、朝鮮では世界で初めて金属活字を発明し、印刷術を始めたとしているが、そのような印刷本は現存していない。李氏朝鮮の官報は、日本による併合まで手書きのものが送達されていた。
朝鮮の大衆文学が生まれるのは、秀吉の朝鮮侵略による社会的変動の後で、「軍談」、「回顧談」、「英雄談」が多く生まれ読まれた。中でももっとも広く愛読された『王郎返魂伝』(1753)は10年前に死んだ妻が、主人公王が熱心に読経を行ったおかげで閻魔に同情され、妻を生き返らせることにするが、肉体がもう消滅しているので、他人の肉体を借りてこの世に戻る、というストーリーであり、日本では平安時代の『今昔物語』(1070年)に沢山ある「読経の効用」の話である。これはハングルで書かれているというが、その点が目新しいだけで、レベルは日本に700年も遅れている。
以上は金台俊『朝鮮小説史』(東洋文庫)に依った。
それにしても驚くのは「強制連行」、「慰安婦」についての本は岩波新書だけでも10冊以上出ているのに、一然『三国遺事』の完訳が岩波文庫、東洋文庫、講談社学術文庫あわせて1万冊以上もある刊行点数の中に1冊もなく、わずかに明石書店版(金思訳)、三一書房版(林英樹訳)の2種があるだけだという事実だ。いずれも古書しかなく値段も2万円以上する。重要な書物なので、ぜひ良心的出版社に刊行または復刻をお願いしたい。
朝鮮最古の史書というと、金富軾『三国史記』(1145)と一然『三国遺事』(1277)しかない。
朝鮮の建国神話では「檀君」という天孫が「古朝鮮」を建国したとする。その時期はBC2333年10月3日だという。この話は『三国史記』(高句麗、新羅、百済の歴史)には載っておらず、それより100年以上後に僧侶が書いた『三国遺事』(「三国史記」の落ち穂拾い)に出てくる。
中国の史書・司馬遷『史記』の「朝鮮伝」には、「最初の朝鮮王満はもと中国の燕の人で、秦が燕を滅ぼした後(BC222)、燕王に仕えていた満は東方に逃げ、燕・齊からの亡命者を集めて、真蕃・朝鮮族を支配する王朝を創立した。「満」は燕人のことで、この男の姓は「衛」だった。そこでこの男を「衛満」といい、その王朝を「衛氏朝鮮」という、とある。
従って文献に確かな朝鮮王朝は、中国の燕人が樹立したということになる。朝鮮の人はしばしば「孔子の子孫だ」というが、孔子は燕人であるから、これは一理あるが、だとしたら朝鮮人は中国人の一派ということになる。
燕が秦に滅ぼされたのは、燕王の皇太子丹が始皇帝を暗殺するために刺客荊軻(けいか)を送ったが(BC227)、暗殺に失敗したためである。
『漢書』の「地理志」には、殷王朝が衰退したときに、「箕士」という男が中国を去り、朝鮮に行き、礼儀、農耕、養蚕、機織を教え、法(「箕士八条」)を制定したという。これが「箕士朝鮮」の開祖である。
箕士朝鮮の末路は不明だが、衛氏朝鮮はBC108年に漢帝国により滅ぼされ、漢はその後朝鮮に真蕃、臨屯、玄兎、楽浪の四郡をおいた。つまり朝鮮は漢の属領になったのである。文献的証拠によるかぎり、衛氏朝鮮も箕士朝鮮も中国人による制服王朝である。
以上は『東アジア民族史1:正史東夷伝』(東洋文庫)による。
朝鮮の史書『三国史記』によると、「新羅本紀」の初代王はBC57年、「高句麗本紀」の初代王「東明王」はBC37年、「百済本紀」の初代王はBC18年に即位しており、いずれも衛氏朝鮮の滅亡後に興ったものである。
李氏朝鮮世宗28(1446)年にハングルが発明されるまでは、漢文が読めるのは士太夫階級(両班)のみであり、朝鮮に「大衆文学」は存在しなかった。中国の『山海経』、『探神記』、『太平広記』、『剪燈新話』、『聊齊志異』なども朝鮮に輸入され、適当に翻訳・換骨奪胎されてハングルで読まれたようだ。朝鮮伝記文学の白眉とされる金時習『金鰲新話』は『剪燈新話』の模倣である。(日本ではこれが『怪談牡丹灯籠』に改変された。)
李氏朝鮮の太宗3(1403)年に、朝鮮では世界で初めて金属活字を発明し、印刷術を始めたとしているが、そのような印刷本は現存していない。李氏朝鮮の官報は、日本による併合まで手書きのものが送達されていた。
朝鮮の大衆文学が生まれるのは、秀吉の朝鮮侵略による社会的変動の後で、「軍談」、「回顧談」、「英雄談」が多く生まれ読まれた。中でももっとも広く愛読された『王郎返魂伝』(1753)は10年前に死んだ妻が、主人公王が熱心に読経を行ったおかげで閻魔に同情され、妻を生き返らせることにするが、肉体がもう消滅しているので、他人の肉体を借りてこの世に戻る、というストーリーであり、日本では平安時代の『今昔物語』(1070年)に沢山ある「読経の効用」の話である。これはハングルで書かれているというが、その点が目新しいだけで、レベルは日本に700年も遅れている。
以上は金台俊『朝鮮小説史』(東洋文庫)に依った。
それにしても驚くのは「強制連行」、「慰安婦」についての本は岩波新書だけでも10冊以上出ているのに、一然『三国遺事』の完訳が岩波文庫、東洋文庫、講談社学術文庫あわせて1万冊以上もある刊行点数の中に1冊もなく、わずかに明石書店版(金思訳)、三一書房版(林英樹訳)の2種があるだけだという事実だ。いずれも古書しかなく値段も2万円以上する。重要な書物なので、ぜひ良心的出版社に刊行または復刻をお願いしたい。
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