ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【国家と生活保護】

2012-10-27 22:41:05 | 難波紘二先生
【国家と生活保護】日本国の場合、憲法が「国民に幸福で最低限度の生活」を保証し、これを受けて「生活保護法」があることがわかった。また「厚労省局長通達」により同法が「外国籍の住民」に対しても準用されていることが明らかになった。これが受給世帯数130万、うち外国人世帯数3%という異常な現状をもたらしていることも明白になった。


 これについて月刊誌「プレジデント」が記事を載せている。この元財務官僚武田知弘も、「生活保護の謎」という著書も知らないが、話は非常にわかりやすい。シャープな頭脳の持ち主なのだろう。
 http://president.jp/articles/-/7495

 それにしても国民年金の給付水準よりも生保の方が月額7万円も多いのは、納得がいきませんね。国家が保証すべき「最低限の生活」を超えているではありませんか。この生保受給資格を定めているのが、厚労省の役人です。彼らは「省益あって国益なし」で、財政的な発想がまったくないのです。


 1)生保の受給額を下げること、
 2)医療費の一部を自己負担にすること、
 3)住民税の「人頭部分(会費)」を設置すること
この3点の導入で問題は相当改善されると思います。死後、病理解剖を依頼して、「拒否率」がもっとも高いのが生保受給世帯です。「恩返し」という発想がまったくないのです。


 今は死語になったのか、差別用語になったのか、WIKIにもかろうじて「どかべん」の項にわずかに出てきますが、
 http://ja.wikipedia.org/wiki/どかべん
 昔は「にこよん」という、自治体が雇う「日雇い労働者」がいて、道路工事とか公園や道路掃除などをやっていました。日給が240円だったから「ニコヨン」と呼ばれていました。月額6000円程度の収入です。その頃の大卒小学校教師の初任給が1万円でした。1960年頃の話です。


 ニコヨンは「全日自連(全日本自由労働者連合)」という全国的な組合も結成していてなかなか盛んでした。この当時は「働かないで国家に寄生して暮らす」のを恥とする社会風潮がまだ生きていました。年間5000万円の年収がありながら、親が生保を受給しているのを放置する日本人が生まれるとは思っても見ませんでした。


 働かないでお金をもらうのは、乞食と同じです。これくらい人間の根性を腐らせるものはありません。


 「国籍(市民権)」という概念を世界で最初に採用したのは、古代アテネの黄金時代を築いたペリクレスです。
 ペルシア戦争に勝利し、「デロス同盟」の盟主になったアテネは同盟の積立金を管理したので、金が集まってきた。ペリクレスは公共投資としてパルテノンの神殿を建てたりして、ニコヨンを働かせ、職と賃金を保証した。さらに「アテネ評議会」の評議員(順番制)に日当を支給するようにした。


 こうしたアテネの繁栄と裕福な生活を知るにつれて、他のポリスやギリシア世界以外から、アテネへの移住者が増えた。そこでアテネでは世界最初の「国籍法(市民権法)」が作られた。
 ペリクレスには正妻との間に息子が2人、愛人との間に息子が1人いましたが、愛人アスパシアはアテネ人ではなかったので、この息子にはアテネ国籍がなかった。


 ペロポネソス戦争が始まり、直後に「大疫病」が流行し、上の息子二人は病死し、跡継ぎはアスパシアとの間に出来た息子だけになった。大疫病流行の責任を問われ、将軍ペリクレスは一旦は失脚したが、スパルタに遠征したアテネ海軍が大敗北し、アテネが守勢に転じるに及び、市民はペリクレスに再出馬を求めました。


 その時、彼が出した条件が「特例として息子にアテネ市民権を与えてくれ」というものです。
 もちろん、アテネ市民は喜んでこの条件を受け入れました。私は歴史上、これほどフェアーな政治家を他に知りません。


 これについては、
 1)ツキジデス:「戦史」(岩波文庫)、(京大出版会本もあり)
 2)アリストテレス:「アテナイ人の国制」(岩波文庫)(岩波版「アリストテレス全集」にもあり)
 をお読み下さい。


 ペリクレスの「大戦略」とそれが挫折する経緯については、疫病の本態についての考察とともに、拙著「誰がアレクサンドロスを殺したのか」(岩波書店)に詳しく書いておきましたので、ご参照いただければと思います。
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