梅雨が明けたようだ。7/21月曜日、日陰になっている北窓の戸外温度計は正午に30度を超えている。
土曜日は4月1日発令で、病理学の安井弥(わたる)教授が「広島大学大学院医歯薬保健学研究科」科長と同「研究院長」に就任し、7月1日発令で谷山清己部長が「呉医療センター・中国がんセンター」の院長に就任したお祝いの会が広島で行われ出かけた。こういう慶事のお酒はおいしい。
1991以来の大学設置基準の改変(いわゆる「大綱化})による大学院シフトと2001年の「大学院重点化」(教員の本籍を学部から大学院に移すこと)、2004年の「国立大学法人化」により、大学も大学院もすっかり(名前まで)変わった。
私より年上のOBの中に「次はぜひ学部長になってもらいたい」と勘違いの祝辞を述べる人もいた。それくらい過去10年ほどの大学の急激な変容は世間に伝わっていない。国立大時代の大学では「学部自治」が根本だったから学部長は「指定職」で、学部で一番えらく、指定職手当が月額50万円くらいあった。これが交際費として使用できたから、スキャンダルが起こらなかった。
いま、学部長は「学生委員会委員長」と変わらない。学部に所属しているのは、学生・一部事務職・ごく一部の教員だけで、手当は月5万円くらいしかないそうだ。もちろん指定職ではない。
今や、教授の肩書きは「◯◯大学大学院教授」で専門の分野が書いてないから、さっぱりわからない。もし書けば「たこつぼ専門化」が昔以上に進んでいるから、読んでもわからない。世間は肩書か専門職にお辞儀している。大学の情報発信力は完全に落ちた。困ったことだ。
聞けば広大の「医歯薬保健学大学院」には附属病院と原医硏を除いて500名近い教員が属しているそうで、教授だけで百数十名いるとか。そのトップになるというのは、大変なことだと思う。今や大学のトップは並んで前に立って、深々とお辞儀するのが仕事のひとつになったからだ。
谷山先生は11年前に呉共済病院の臨床病理科科長から旧呉国立病院研究検査科部長にスカウトされた。「病理外来」を率先して行い、病理診断科の意義を世に知らせるのに貢献したことで知られる。
病理医出身で院長になった人には、東京逓信病院の渡邊恒彦先生や国立松山病院の森脇昭介先生がおられるが、広島県では病院内部の病理医が院長になったケースはこれが初めてだ。副院長になった人は他にもあるが、院長にはなかなかなれなかった。
これも「病理標榜科」が実現し、病理診断が医行為として保険点数上で優遇されるだけでなく、ピアー・レビューとして病理科の果たす役割が評価されるようになったという時代の流れもあるだろう。もちろん本人の努力や同僚からの評価が高かったことが第一だ。
こうやって病理学の後輩たちが、社会的に評価が高まることは、「修復腎移植」の実現に向けての動きにもプラスになるだろう。病理医は病気の基礎理論を学んでいるから、「がんの腎臓を移植したらがんが移る」などという迷説には誰も賛同しない。
近ごろは「修復腎移植がんばれ」という激励のメールが多くなった。
今回は、
1【書評】=随筆集、吉村昭「ひとり旅」
2.【文書の互換性】=7/12メルマガで起こった文字化けとファイルが開けないという問題について、
3.【ハシリグモ】=7/18メルマガに書いた「アシダカグモ」は「イオウイロハシリグモ」だとわかった話、
4.【ハナグモ】=腹がきれいな緑色をしたクモを見つけ、ハナグモとわかったこと。このクモはグアニン色素を使って赤白緑と変色できるらしいこと、
5.【書き込みを読んで5】=チッチゼミでなくニイニイゼミだった話とSTAP細胞早稲田学位論文の話、
6.【奇妙な歩行】=見ただけで瞬間診断できる病気の話
7.【糖質制限食・続報】
を取り上げました。今回はメール本体に「書式ペースト」はしていないので、文字化けやファイルが開けないという問題は生じないはずですが、何かあったらご連絡下さい。
土曜日は4月1日発令で、病理学の安井弥(わたる)教授が「広島大学大学院医歯薬保健学研究科」科長と同「研究院長」に就任し、7月1日発令で谷山清己部長が「呉医療センター・中国がんセンター」の院長に就任したお祝いの会が広島で行われ出かけた。こういう慶事のお酒はおいしい。
1991以来の大学設置基準の改変(いわゆる「大綱化})による大学院シフトと2001年の「大学院重点化」(教員の本籍を学部から大学院に移すこと)、2004年の「国立大学法人化」により、大学も大学院もすっかり(名前まで)変わった。
私より年上のOBの中に「次はぜひ学部長になってもらいたい」と勘違いの祝辞を述べる人もいた。それくらい過去10年ほどの大学の急激な変容は世間に伝わっていない。国立大時代の大学では「学部自治」が根本だったから学部長は「指定職」で、学部で一番えらく、指定職手当が月額50万円くらいあった。これが交際費として使用できたから、スキャンダルが起こらなかった。
いま、学部長は「学生委員会委員長」と変わらない。学部に所属しているのは、学生・一部事務職・ごく一部の教員だけで、手当は月5万円くらいしかないそうだ。もちろん指定職ではない。
今や、教授の肩書きは「◯◯大学大学院教授」で専門の分野が書いてないから、さっぱりわからない。もし書けば「たこつぼ専門化」が昔以上に進んでいるから、読んでもわからない。世間は肩書か専門職にお辞儀している。大学の情報発信力は完全に落ちた。困ったことだ。
聞けば広大の「医歯薬保健学大学院」には附属病院と原医硏を除いて500名近い教員が属しているそうで、教授だけで百数十名いるとか。そのトップになるというのは、大変なことだと思う。今や大学のトップは並んで前に立って、深々とお辞儀するのが仕事のひとつになったからだ。
谷山先生は11年前に呉共済病院の臨床病理科科長から旧呉国立病院研究検査科部長にスカウトされた。「病理外来」を率先して行い、病理診断科の意義を世に知らせるのに貢献したことで知られる。
病理医出身で院長になった人には、東京逓信病院の渡邊恒彦先生や国立松山病院の森脇昭介先生がおられるが、広島県では病院内部の病理医が院長になったケースはこれが初めてだ。副院長になった人は他にもあるが、院長にはなかなかなれなかった。
これも「病理標榜科」が実現し、病理診断が医行為として保険点数上で優遇されるだけでなく、ピアー・レビューとして病理科の果たす役割が評価されるようになったという時代の流れもあるだろう。もちろん本人の努力や同僚からの評価が高かったことが第一だ。
こうやって病理学の後輩たちが、社会的に評価が高まることは、「修復腎移植」の実現に向けての動きにもプラスになるだろう。病理医は病気の基礎理論を学んでいるから、「がんの腎臓を移植したらがんが移る」などという迷説には誰も賛同しない。
近ごろは「修復腎移植がんばれ」という激励のメールが多くなった。
今回は、
1【書評】=随筆集、吉村昭「ひとり旅」
2.【文書の互換性】=7/12メルマガで起こった文字化けとファイルが開けないという問題について、
3.【ハシリグモ】=7/18メルマガに書いた「アシダカグモ」は「イオウイロハシリグモ」だとわかった話、
4.【ハナグモ】=腹がきれいな緑色をしたクモを見つけ、ハナグモとわかったこと。このクモはグアニン色素を使って赤白緑と変色できるらしいこと、
5.【書き込みを読んで5】=チッチゼミでなくニイニイゼミだった話とSTAP細胞早稲田学位論文の話、
6.【奇妙な歩行】=見ただけで瞬間診断できる病気の話
7.【糖質制限食・続報】
を取り上げました。今回はメール本体に「書式ペースト」はしていないので、文字化けやファイルが開けないという問題は生じないはずですが、何かあったらご連絡下さい。
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