ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【オニヤンマ】難波先生より

2017-12-31 14:30:48 | 難波紘二先生
【オニヤンマ】「広島大医学部同窓会」(広仁会)の「広島中央支部」(東広島市・竹原市在住会員からなる)が11//25(土)夜に東広島市のホテルで開かれ、多数の参加者があった。
 かねがね「世の中は複雑系で、誰がどう繋がっているかわからない」、と述べているが、医学生時代の解剖学の恩師、澤野十蔵教授(故人)のご子息と懇親会テーブルで、差し向かいになろうとは思いもしなかった。「県立障害者リハビリテーション・センター」の顧問・澤野邦彦先生(医師)で、澤野教授は絶滅危惧種「ミヤジマトンボ」の研究を退官後もしておられた。

 お聞きしたところによると、父君の澤野名誉教授は「難波君が、オニヤンマの学名Anotogaster siebolidii (Selys)の属名は何に由来するか?という手紙を寄こした」ということを何度も気にしておられたようだ。そんなことはすっかり忘れていた。種名のSieboldiiがシーボルトにちなんだものだとは分かるが、「A-noto-gaster」という属名の意味がわからなかったのだ。

 ご子息もなかなかの昆虫学者で、ラテン語の属名を私でもわかるように、すらすらと解説してくださった。それによると、
 A-は「ない」を意味する接頭語(例:a-calcula=計算不能症、a-pathia=無感動症)で、notoはnotochord(脊索)やnotochorda(脊索動物)のように「背中」を意味する。Gasterはgastro
と同義で、「胃」あるいは「腹部」を意味する。
 要するに、オニヤンマには他のヤンマトンボとちがい、胸腹部背側に存在すべき、ある種の突起がないのが特徴なのだそうだ。

 ほろ酔い機嫌で自宅に戻って梶島孝雄『資料・日本動物史』(八坂書房、2002)を開いて見たら、「トンボは古代には蜻蛉(せいれい)と呼ばれた。蜻蛉島(あきつしま)の語源」とあった。
 『続日本紀』には日本列島の南北を蜻蛉の羽根になぞらえた記載がある。『倭名類聚抄』には、「蜻蛉の小さいものを赤い“赤恵無波(えむは)”と黄色い“木恵無波(きえむは)”とに分けた」とあるという。
 梶島によると「えむは」が後になまって、大型のトンボ名「ヤンマ」になったという。
 「馬大頭(おにやんま)」という言葉が登場するのは、江戸時代の寺島良安『和漢三才図会』(1713)からだそうだ。大シーボルトは1823年に長﨑のオランダ商館付き医務官として来日、1829年に帰国しているから、『和漢三才図会』を弟子の日本人や通訳を通して知る機会はあったと思われる。命名者のSelysについては、今のところ不明だが、ひょっとするとシーボルトが日本から持ち帰った標本の中に、「オニヤンマ」があったのかも知れない、と思った。

 というわけで、故澤野教授に成り代わって、ご子息の澤野先生が何十年ぶりかで御返書を下さった感じがした。厚くお礼申し上げます。
 余談だが、日本植物学に関しては牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝』(講談社学術文庫)のような名著があるが、昆虫学に関しては匹敵する類書を知らないのは私の無知のせいだろうか?と思う。


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