ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【酸素マスク】難波先生より

2012-11-12 12:24:58 | 難波紘二先生
【酸素マスク】岩波のKさんから、「アサヒグラフ」1945年6月5日号表紙に掲載された、日本機パイロットが酸素マスクを装着した写真画像をお送りいただいた。お礼申し上げます。
 原画像は2枚で、各3MBあるので、上下をつなぎ、を300KBに圧縮したものを添付しました。(添付5)
 表紙下部に「義烈空挺隊発進す」とあり、昭和20年5月24日、陸軍の第八次沖縄航空総攻撃の一環として、米軍飛行場への強行着陸を目的とした特攻隊「義烈空挺隊」(九七式銃爆撃機12機)が発進した後に雑誌が出ています。

 パイロット上方の天蓋にゆとりがあり、ビームが2本見えることから戦闘機ではなく、「九七式司令部偵察機」(乗員2名)ではないか、と思います。キャプションにも「高々度に敵B29を索める征空部隊勇士」とあります。これで高度1万メートルを飛ぶ偵察機があり、与圧式でなく酸素マスク式であったことがわかりました。

 同時にお送りいただいた「航空朝日」45年11月号の座談会記事によると、3.3L入りの鉄の酸素ボンベを12本積み込んだが、「配管に問題があり、酸素が漏れてほとんど実用にならなかった」という。また高々度で亜成層圏を飛行するには、1)エンジンへ燃料噴射ポンプを設置すること、2)排気を利用してタービンを回し、プロペラに推力を付加すること、が必要となるが、敗戦までに実用にならなかったと、技術者が述べている。

 まあ、靖国神社の博物館と同じで「特攻記念館」なんてものは、「犬死にだった」とは絶対いえないので、事実以上に日本の兵器は優秀だったと説明するのでしょう。毎日の「兵器大図鑑」にも、「二式単座戦闘機 鍾馗(しょうき)」が1ヶ月半の間に東京でB29を100機撃墜したと書いてある。「大本営発表」をそのまま転記したのでしょう。
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