【明治維新】石原慎太郎都知事の辞任には別に驚かなかった。その前に「新党構想」の再考慮の話は匂わせていたし、「人間ドック」受診も表明してたから、野田政権の末期状況を考えれば、「都知事辞任、新党の党首就任」は十分ありえる話だと予測していた。
元もと「征夷大将軍」とは、蝦夷征伐のために朝廷から任命された最高軍事司令官をいう。坂上田村麻呂がその例だ。
朝廷の実力が落ち、「武士の時代」になって、 de factoの軍事実力者を「征夷大将軍」にするようになった。
源頼朝がそのための「政庁」として開いたのが「鎌倉幕府」である。
家康も江戸幕府を開き、同時に封建制を導入し、「藩体制」を敷いた。徳川幕藩体制である。これがおよそ300年続いたので、「勤王の志士たち」はどうしたら徳川幕藩体制が倒せるか、戦略が描けなくなった。
激しく対立していた薩摩と長州の間に同盟を結ばせ、「薩長連合」として倒幕勢力の一本化に成功させたのが坂本龍馬である。
同時に彼は「船中八策」のひとつとして「大政奉還」という戦略を考えた。
これは「征夷大将軍が持っている施政権は、あくまで天皇から付託されたものであり、信託に応えられなくなった時点で天皇に奉還するのが筋である」とするもので、幕府と血みどろの内戦を回避し、隙あらば介入しようと狙っていた英、仏、米、露の植民地化を防ぐ最善の策であった。実際フランスは幕府に肩入れしており、英国は薩摩を支援していた。
東征軍は京都から出発したが、大した戦闘もなく、勝海舟と西郷隆盛の会談により江戸城の無血開城が決まり、江戸が戦火を免れたのは周知の通りである。彰義隊のいくさだの、北越戦争だのは(東北の人には悪いが)、日本史全体から見ればマイナーな事件だ。おまけに西郷は不平士族の反乱を受けとめて、一緒に死んでくれた。これを最後として、日本には大規模武装反乱がなくなり、強力な中央政府が成立したのである。
石原慎太郎も橋下徹も、「明治維新」と「大政奉還」を意識しているのは間違いないだろう。
そのスローガンは石原の場合、「官僚制の打倒」である。これは元通産官僚の堺屋太一が『第三の開国』(講談社)で強調したことでもある。堺屋は橋下のブレーンの一人だ。
石原、堺屋、橋下が明治維新以来、日本を実質的に支配してきた「官僚制」を打破しようとしているのは間違いないだろう。
考えてみると、明治の官僚制の出発点は「明治14年の政変」にある。これの筋書きを書き、演出したのが「明治国家最大のブレーン」文部官僚の井上毅(こわし)である。
彼が築いた官僚制は、1945年の敗戦によっても生き残った。「官僚制打破」を叫ぶ政治家は多いが、いまの官僚制のよって来る由縁とそれが存続した理由まで、きちんと理解しているものは少なかろう。
間もなく米国の大統領選が始まる。仮にロムニーが勝てば、3000人に及ぶ高級官僚はほとんど入れ替えになる。「スポイルズ制」という大統領任命職であるためだ。
日本の官僚にはこれがない。「公務員の終身雇用制廃止」、「高級官僚は政治任用」を採用するしか、官僚制の打倒はありえない。しかし国家公務員は必死でこれに抵抗するに決まっている。よって「終身雇用」を認めるのと引き替えに「公務員の投票権と被投票権」剥奪するのがよろしかろう。「天下り禁止」より、よほど効果がある。
「官僚制打破」の政治理念を具体的な政策論として論議するに際して、遅かれ速かれこの問題は避けて通れなくなるだろう。
ここを避けては、「維新」はありえないからだ。
元もと「征夷大将軍」とは、蝦夷征伐のために朝廷から任命された最高軍事司令官をいう。坂上田村麻呂がその例だ。
朝廷の実力が落ち、「武士の時代」になって、 de factoの軍事実力者を「征夷大将軍」にするようになった。
源頼朝がそのための「政庁」として開いたのが「鎌倉幕府」である。
家康も江戸幕府を開き、同時に封建制を導入し、「藩体制」を敷いた。徳川幕藩体制である。これがおよそ300年続いたので、「勤王の志士たち」はどうしたら徳川幕藩体制が倒せるか、戦略が描けなくなった。
激しく対立していた薩摩と長州の間に同盟を結ばせ、「薩長連合」として倒幕勢力の一本化に成功させたのが坂本龍馬である。
同時に彼は「船中八策」のひとつとして「大政奉還」という戦略を考えた。
これは「征夷大将軍が持っている施政権は、あくまで天皇から付託されたものであり、信託に応えられなくなった時点で天皇に奉還するのが筋である」とするもので、幕府と血みどろの内戦を回避し、隙あらば介入しようと狙っていた英、仏、米、露の植民地化を防ぐ最善の策であった。実際フランスは幕府に肩入れしており、英国は薩摩を支援していた。
東征軍は京都から出発したが、大した戦闘もなく、勝海舟と西郷隆盛の会談により江戸城の無血開城が決まり、江戸が戦火を免れたのは周知の通りである。彰義隊のいくさだの、北越戦争だのは(東北の人には悪いが)、日本史全体から見ればマイナーな事件だ。おまけに西郷は不平士族の反乱を受けとめて、一緒に死んでくれた。これを最後として、日本には大規模武装反乱がなくなり、強力な中央政府が成立したのである。
石原慎太郎も橋下徹も、「明治維新」と「大政奉還」を意識しているのは間違いないだろう。
そのスローガンは石原の場合、「官僚制の打倒」である。これは元通産官僚の堺屋太一が『第三の開国』(講談社)で強調したことでもある。堺屋は橋下のブレーンの一人だ。
石原、堺屋、橋下が明治維新以来、日本を実質的に支配してきた「官僚制」を打破しようとしているのは間違いないだろう。
考えてみると、明治の官僚制の出発点は「明治14年の政変」にある。これの筋書きを書き、演出したのが「明治国家最大のブレーン」文部官僚の井上毅(こわし)である。
彼が築いた官僚制は、1945年の敗戦によっても生き残った。「官僚制打破」を叫ぶ政治家は多いが、いまの官僚制のよって来る由縁とそれが存続した理由まで、きちんと理解しているものは少なかろう。
間もなく米国の大統領選が始まる。仮にロムニーが勝てば、3000人に及ぶ高級官僚はほとんど入れ替えになる。「スポイルズ制」という大統領任命職であるためだ。
日本の官僚にはこれがない。「公務員の終身雇用制廃止」、「高級官僚は政治任用」を採用するしか、官僚制の打倒はありえない。しかし国家公務員は必死でこれに抵抗するに決まっている。よって「終身雇用」を認めるのと引き替えに「公務員の投票権と被投票権」剥奪するのがよろしかろう。「天下り禁止」より、よほど効果がある。
「官僚制打破」の政治理念を具体的な政策論として論議するに際して、遅かれ速かれこの問題は避けて通れなくなるだろう。
ここを避けては、「維新」はありえないからだ。
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