【対日意識】「朝鮮日報」や「中央日報」の日本語版記事を読むと、事ごとに対日意識がむき出しになっている。品がない。
<韓国の技術競争力、OECD最下位…日本は1位
2012年09月10日15時31分 [ⓒ 中央日報日本語版]
韓国の技術競争力が米国・日本など他の経済協力開発機構(OECD)加盟国より低いレベルであることが分かった。
10日のOECDによると、2010年の韓国の技術貿易収支倍率は0.33で、統計が確保されたOECD25カ国のうち最も低かった。 技術貿易収支倍率とは、技術輸出額を技術輸入額で割ったもので、数値が低いほど該当国家の技術競争力が低いという分析が可能だ。
韓国は技術輸出額が輸入額の3分の1にしかならない。 技術貿易で黒字を出すほど累積した源泉技術が足りないという意味だ。
倍率が最も高い国は日本で4.60だった。 この数値は韓国の14倍。 技術貿易の規模が他国に比べて著しく小さいエストニアを除けば、ノルウェーが2.07で日本に次ぐ2位、次いでスウェーデン(1.98)、英国(1.81)、オーストリア(1.57)などの順だった。 世界最高の技術輸出国の米国は1.46だった。>
俗に「隣の家に倉が建てば腹が立つ」というが、「国債格付けが日本より上になった」といっては喜び、「技術競争力は日本が世界一だ」といってはやっかんでいるようだ。「日本に勝つ」ことが国家戦略目標になっているようでは、先行きが心許ない。
昔、毛利元就が家臣と厳島神社に参詣した後、「何を願ったのか」と家臣に聞いた。「殿が中国の太守になられますようにと祈りました」と聞いた元就は怒った。「なぜ天下を取られますように」と祈らないのか、天下布武の志を抱いていても、せいぜい中国の太守になるのが現実だ。初めから中国太守を目標にしていたら、せいぜい安芸の国一国の領主が関の山だ、というのである。
1980年代まで韓国は他国の知的所有権を尊重せず、平気で日本の本の海賊版を出していた。東京本郷の医書出版社の社長からグチを聞いたものだ。そのへんの鈍感さを反省しないと、将来性も国際的信用力も生まれない。
「技術競争力」とは真のオリジナリティに支えられた競争だから、基盤には国際特許の質と量がある。韓国のように基礎技術開発のための研究費投資が低く、アップルとの特許訴訟に見られるように、先行技術のまねかその特許をかいくぐるような製品ばかり開発していては、技術競争力はつかない。基本特許を持たないと、つくった製品を売らないと収入にならない。ものを売らないでも、特許料収入で金が入るようになると、「技術競争力」指数は上がってくる。
1467(応仁1)年の乱以来、日本は戦国時代に入った。1543(天文12)年に種子島で2丁入手した、鉄砲の量産に間もなく成功し、1575(天正3)年の長篠の合戦で、信長は3万8,000の兵を出動させたが、うち鉄砲隊は1万、実戦に参加したのは3,000人である。
1000丁の鉄砲横列を三段に構え、交代で間断なく弾を発射するという世界初の戦法にぶつかって、武田勝頼の騎馬隊は壊滅した。
秀吉の第一次朝鮮出兵では出動16万人のうち4万が鉄砲隊であった。(N.ペリン「鉄砲を捨てた日本人」,中公文庫)
太平洋戦争中のガダルカナル戦では、負けた日本軍の隊長が「我々の装備は元亀天正の頃のものだった」とこぼしているが、事実は信長の鉄砲隊以下の装備でガダルカナル戦は戦われたのである。
内藤湖南は「日本文化史研究」(講談社学術文庫)で、「真の日本史は応仁の乱に始まる」というが、至言である。この時期に、日本人は中国や朝鮮のみを手本とすることをやめ、「南蛮」からもよいところを学ぶことを始め、真のオリジナルな文化を追及し始めたのである。
いま、鎖国時代の江戸期が「持続可能な社会」のモデルとして世界的に見直されているが、寺子屋という初等教育の普及による高い識字率、高い勤労意欲、出島の交易を通じての蘭学の吸収、それらがあいまって明治期の急速な「文明開化」と産業革命を準備したことも評価されつつある。
韓国人は目先のことに一喜一憂して視野狭窄に陥ることなく、応仁の乱以後の日本史をもっと本格的に研究してもらいたいと思う。
<韓国の技術競争力、OECD最下位…日本は1位
2012年09月10日15時31分 [ⓒ 中央日報日本語版]
韓国の技術競争力が米国・日本など他の経済協力開発機構(OECD)加盟国より低いレベルであることが分かった。
10日のOECDによると、2010年の韓国の技術貿易収支倍率は0.33で、統計が確保されたOECD25カ国のうち最も低かった。 技術貿易収支倍率とは、技術輸出額を技術輸入額で割ったもので、数値が低いほど該当国家の技術競争力が低いという分析が可能だ。
韓国は技術輸出額が輸入額の3分の1にしかならない。 技術貿易で黒字を出すほど累積した源泉技術が足りないという意味だ。
倍率が最も高い国は日本で4.60だった。 この数値は韓国の14倍。 技術貿易の規模が他国に比べて著しく小さいエストニアを除けば、ノルウェーが2.07で日本に次ぐ2位、次いでスウェーデン(1.98)、英国(1.81)、オーストリア(1.57)などの順だった。 世界最高の技術輸出国の米国は1.46だった。>
俗に「隣の家に倉が建てば腹が立つ」というが、「国債格付けが日本より上になった」といっては喜び、「技術競争力は日本が世界一だ」といってはやっかんでいるようだ。「日本に勝つ」ことが国家戦略目標になっているようでは、先行きが心許ない。
昔、毛利元就が家臣と厳島神社に参詣した後、「何を願ったのか」と家臣に聞いた。「殿が中国の太守になられますようにと祈りました」と聞いた元就は怒った。「なぜ天下を取られますように」と祈らないのか、天下布武の志を抱いていても、せいぜい中国の太守になるのが現実だ。初めから中国太守を目標にしていたら、せいぜい安芸の国一国の領主が関の山だ、というのである。
1980年代まで韓国は他国の知的所有権を尊重せず、平気で日本の本の海賊版を出していた。東京本郷の医書出版社の社長からグチを聞いたものだ。そのへんの鈍感さを反省しないと、将来性も国際的信用力も生まれない。
「技術競争力」とは真のオリジナリティに支えられた競争だから、基盤には国際特許の質と量がある。韓国のように基礎技術開発のための研究費投資が低く、アップルとの特許訴訟に見られるように、先行技術のまねかその特許をかいくぐるような製品ばかり開発していては、技術競争力はつかない。基本特許を持たないと、つくった製品を売らないと収入にならない。ものを売らないでも、特許料収入で金が入るようになると、「技術競争力」指数は上がってくる。
1467(応仁1)年の乱以来、日本は戦国時代に入った。1543(天文12)年に種子島で2丁入手した、鉄砲の量産に間もなく成功し、1575(天正3)年の長篠の合戦で、信長は3万8,000の兵を出動させたが、うち鉄砲隊は1万、実戦に参加したのは3,000人である。
1000丁の鉄砲横列を三段に構え、交代で間断なく弾を発射するという世界初の戦法にぶつかって、武田勝頼の騎馬隊は壊滅した。
秀吉の第一次朝鮮出兵では出動16万人のうち4万が鉄砲隊であった。(N.ペリン「鉄砲を捨てた日本人」,中公文庫)
太平洋戦争中のガダルカナル戦では、負けた日本軍の隊長が「我々の装備は元亀天正の頃のものだった」とこぼしているが、事実は信長の鉄砲隊以下の装備でガダルカナル戦は戦われたのである。
内藤湖南は「日本文化史研究」(講談社学術文庫)で、「真の日本史は応仁の乱に始まる」というが、至言である。この時期に、日本人は中国や朝鮮のみを手本とすることをやめ、「南蛮」からもよいところを学ぶことを始め、真のオリジナルな文化を追及し始めたのである。
いま、鎖国時代の江戸期が「持続可能な社会」のモデルとして世界的に見直されているが、寺子屋という初等教育の普及による高い識字率、高い勤労意欲、出島の交易を通じての蘭学の吸収、それらがあいまって明治期の急速な「文明開化」と産業革命を準備したことも評価されつつある。
韓国人は目先のことに一喜一憂して視野狭窄に陥ることなく、応仁の乱以後の日本史をもっと本格的に研究してもらいたいと思う。
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