【大本営発表】
<間もなく「敗戦の日」がまた来るが、戦果を過大に発表し、いつの間にかウソの数値を、自分たちまでも信じた「大本営発表」というのも、最大の誤算だね。>
と前に書いた。
「大本営発表」というと、成果の水増しないし誇大発表と一般には理解されているが、意図的な水増しがあったことを必ずしも意味しない。
事情は「降圧剤の臨床試験におけるデータ処理」とよく似ており、戦果の確認・検証が不十分だったことが一因だ。
例えば1944年10月の「台湾沖航空戦」がある。
10月20日にマッカーサー軍のレイテ島上陸を予定していた米軍は、フィリピンの日本軍航空機を撃滅させた後、10月9日におとり艦隊を南鳥島に出撃させ、砲撃を加えた。同時に航空母艦から多数の爆撃機を発進させ、沖縄を初めとする南西諸島、台湾にある基地を攻撃した。
これを南九州の鹿屋、沖縄、台湾の基地から日本海軍の航空機が迎え撃ったのが「台湾沖航空戦」だ。
戦闘は15日まで続き、翌16日「大本営海軍部」は「戦果と損害」を次のように発表した。ラジオでも新聞でも伝えられた。
「敵艦撃沈:空母11隻、戦艦2隻、巡洋艦または駆逐艦1隻
敵艦撃破:空母8隻、戦艦2隻、巡洋艦または駆逐艦1隻、艦種不明13隻
味方損害:未帰還機312機 」
この攻撃に参加した米部隊は「第38機動部隊」で、空母は4隻しかなかった。さらに実際に沈没した艦船は一隻もなかった。重巡洋艦と軽巡洋艦各1隻が大破したが、僚艦に曳航されて泊地まで帰還し、修理されて後に実戦に復帰した。米軍の損失は89機だけだった。(乗員の多くは救出された。)
312機を喪失した結果(乗員も戦死)、日本軍に残された航空機は陸軍200機、海軍230機、次の主戦場となるフィリピンにはわずか35機となった。この頃には零戦搭乗員も技量未熟で、出撃しても敵艦の「近接信管付き機関砲弾」か迎撃艦載機に撃ち落とされるだけだった。ゼロ戦にはパイロットを守る座席の装甲版も、ガソリンタンクの被弾炎上を防ぐゴム保護被膜もなかった。そこでゼロ戦に250キロ爆弾を積み、敵艦に体当たりさせる、「一機一艦」の特攻隊が生まれたのである。今週、百田尚樹「永遠のゼロ」を「買いたい新書」で書評した。「ぜひ読みたい」というメールも来たが、あの小説には台湾沖航空戦も、この時に「捷(しょう)1号作戦」が発動され、そのままレイテ戦に持ち越されたことも書いてないので、読まれる方はそこに注意して欲しい。
全く無効の抗がん剤を「特効薬」と報告するような、重大な誤りがなぜ起きたのか?それは「戦果の確認」=データの収集と確認の方法に、システム上の欠陥があったからだ。マッカーサー軍のレイテ上陸が始まる約1ヶ月前、レイテ島の西にあるミンダナオ島で、島南部の海岸監視兵が波頭を敵上陸用舟艇の接近と間違えて報告し、ミンダナオ島北部にいた、鈴木宗作中将が率いる、レイテ防衛の第三十五軍が急遽ミンダナオの南岸に移動するというハプニングが起きている。
この頃すでに監視兵は双眼鏡ももたなかったのだ。空中からの敵艦種の識別も、ベテランの搭乗員を相次いで失い、飛行時間100時間程度の未熟なな搭乗員による、遠方からの目視によっているのだから、「空母らしきもの」という通報にならざるをえない。空母、戦艦、重巡の区別もできないのだ。戦果の確認も同様で、味方機が撃墜されて敵艦の付近に水煙があがれば、「敵艦撃沈」になるわけである。
まったく同じ頃、ヨーロッパ戦線では「マーケット・ガーデン作戦」が行われていた。コーネリアス・ライアン原作、アッテンボロー監督の映画「遠すぎた橋」として描かれている。フランスからベルギー・オランダに連合軍が侵攻する作戦である。この映画の印象的な場面に、連合軍の偵察機が森の中に隠れているドイツの戦車群を、超低空飛行により写真撮影するシーンが出てくる。
時速600キロで道路すれすれに飛ぶ偵察機から、目視では戦車は見えない。が、持ち帰った撮影フィルムを現像し、引き延ばしてプリントすると、林の中に偽装して潜む戦車の群がちゃんと映っている。そこで次のシーンは爆撃隊の出撃によるピンポイント爆撃になるわけだ。
片方は栄養失調で視力が落ち、波頭を敵艦の接近と間違えて報告する。口頭報告だから証拠はない。他方は目で見えないものを写真撮影で確認する。写真なら、最高司令官でも確認できる。もうここで、「一次情報の収集能力と精度」に決定的な差がついている。
「台湾沖航空戦のまぼろし」は、「不確かな一次情報」を二次、三次の情報へと集約・集計していく段階で「都合のよい解釈」が入り込み、結果としてどんどん戦果が水増しされ、上記10月16日の大本営海軍部の「大戦果」発表になった。
その後、米機動部隊の健在が偵察機により確認され、10月17日以後、大本営海軍部は鹿屋基地の参謀を「戦果判定資料」持参で呼び寄せ、直接に戦果確認をおこなった。その結果「まぼろし」が確認されたが、レイテ防衛に責任をもつ大本営陸軍部には通知されず、もちろん国民にも訂正発表はなかった。
その結果、10月20日レイテ湾に集結した米艦船の大部隊を確認しても、日本のレイテ守備軍は「台風を避けるため一時避難したもの」とノホホンとしていた。以後の話は大岡昇平「レイテ戦記」に詳しい。
これを書きながら三橋貴明「本当はヤバイ!韓国経済」(彩図社, 2007)を読んだ。著者の予測は美事にはずれたわけだが、気がついたのは経済の指標になる「失業率」や「成長率」などで、日本と韓国の定義(基準)が違うという事実だった。
これは「交通事故死」や「手術関連死亡」の話題でも指摘したが、グローバル化の時代なのに、こういう基本的基準が統一されていない。仮に統一されていても、カプランーマイヤー法における「追跡不能例」の追跡度のように、一次データに差があれば、統計値には狂いが出る。
マスコミは「官庁記者クラブ」での発表を垂れ流しているだけで、判定基準が同一かどうか、統計の計算法はどうなのかまで突っ込んで検証した上での報道でない。「2年で交代するから勉強するヒマがない」そうだが、いいわけになるかどうか。
だから異なった国の数値を比較するのは、本当はとても難しいことなのだと分かった。
サンプル統計に問題があるとなると、では「ビッグ・データか」ということになるが、それはまた別の機会に考えたい。
<間もなく「敗戦の日」がまた来るが、戦果を過大に発表し、いつの間にかウソの数値を、自分たちまでも信じた「大本営発表」というのも、最大の誤算だね。>
と前に書いた。
「大本営発表」というと、成果の水増しないし誇大発表と一般には理解されているが、意図的な水増しがあったことを必ずしも意味しない。
事情は「降圧剤の臨床試験におけるデータ処理」とよく似ており、戦果の確認・検証が不十分だったことが一因だ。
例えば1944年10月の「台湾沖航空戦」がある。
10月20日にマッカーサー軍のレイテ島上陸を予定していた米軍は、フィリピンの日本軍航空機を撃滅させた後、10月9日におとり艦隊を南鳥島に出撃させ、砲撃を加えた。同時に航空母艦から多数の爆撃機を発進させ、沖縄を初めとする南西諸島、台湾にある基地を攻撃した。
これを南九州の鹿屋、沖縄、台湾の基地から日本海軍の航空機が迎え撃ったのが「台湾沖航空戦」だ。
戦闘は15日まで続き、翌16日「大本営海軍部」は「戦果と損害」を次のように発表した。ラジオでも新聞でも伝えられた。
「敵艦撃沈:空母11隻、戦艦2隻、巡洋艦または駆逐艦1隻
敵艦撃破:空母8隻、戦艦2隻、巡洋艦または駆逐艦1隻、艦種不明13隻
味方損害:未帰還機312機 」
この攻撃に参加した米部隊は「第38機動部隊」で、空母は4隻しかなかった。さらに実際に沈没した艦船は一隻もなかった。重巡洋艦と軽巡洋艦各1隻が大破したが、僚艦に曳航されて泊地まで帰還し、修理されて後に実戦に復帰した。米軍の損失は89機だけだった。(乗員の多くは救出された。)
312機を喪失した結果(乗員も戦死)、日本軍に残された航空機は陸軍200機、海軍230機、次の主戦場となるフィリピンにはわずか35機となった。この頃には零戦搭乗員も技量未熟で、出撃しても敵艦の「近接信管付き機関砲弾」か迎撃艦載機に撃ち落とされるだけだった。ゼロ戦にはパイロットを守る座席の装甲版も、ガソリンタンクの被弾炎上を防ぐゴム保護被膜もなかった。そこでゼロ戦に250キロ爆弾を積み、敵艦に体当たりさせる、「一機一艦」の特攻隊が生まれたのである。今週、百田尚樹「永遠のゼロ」を「買いたい新書」で書評した。「ぜひ読みたい」というメールも来たが、あの小説には台湾沖航空戦も、この時に「捷(しょう)1号作戦」が発動され、そのままレイテ戦に持ち越されたことも書いてないので、読まれる方はそこに注意して欲しい。
全く無効の抗がん剤を「特効薬」と報告するような、重大な誤りがなぜ起きたのか?それは「戦果の確認」=データの収集と確認の方法に、システム上の欠陥があったからだ。マッカーサー軍のレイテ上陸が始まる約1ヶ月前、レイテ島の西にあるミンダナオ島で、島南部の海岸監視兵が波頭を敵上陸用舟艇の接近と間違えて報告し、ミンダナオ島北部にいた、鈴木宗作中将が率いる、レイテ防衛の第三十五軍が急遽ミンダナオの南岸に移動するというハプニングが起きている。
この頃すでに監視兵は双眼鏡ももたなかったのだ。空中からの敵艦種の識別も、ベテランの搭乗員を相次いで失い、飛行時間100時間程度の未熟なな搭乗員による、遠方からの目視によっているのだから、「空母らしきもの」という通報にならざるをえない。空母、戦艦、重巡の区別もできないのだ。戦果の確認も同様で、味方機が撃墜されて敵艦の付近に水煙があがれば、「敵艦撃沈」になるわけである。
まったく同じ頃、ヨーロッパ戦線では「マーケット・ガーデン作戦」が行われていた。コーネリアス・ライアン原作、アッテンボロー監督の映画「遠すぎた橋」として描かれている。フランスからベルギー・オランダに連合軍が侵攻する作戦である。この映画の印象的な場面に、連合軍の偵察機が森の中に隠れているドイツの戦車群を、超低空飛行により写真撮影するシーンが出てくる。
時速600キロで道路すれすれに飛ぶ偵察機から、目視では戦車は見えない。が、持ち帰った撮影フィルムを現像し、引き延ばしてプリントすると、林の中に偽装して潜む戦車の群がちゃんと映っている。そこで次のシーンは爆撃隊の出撃によるピンポイント爆撃になるわけだ。
片方は栄養失調で視力が落ち、波頭を敵艦の接近と間違えて報告する。口頭報告だから証拠はない。他方は目で見えないものを写真撮影で確認する。写真なら、最高司令官でも確認できる。もうここで、「一次情報の収集能力と精度」に決定的な差がついている。
「台湾沖航空戦のまぼろし」は、「不確かな一次情報」を二次、三次の情報へと集約・集計していく段階で「都合のよい解釈」が入り込み、結果としてどんどん戦果が水増しされ、上記10月16日の大本営海軍部の「大戦果」発表になった。
その後、米機動部隊の健在が偵察機により確認され、10月17日以後、大本営海軍部は鹿屋基地の参謀を「戦果判定資料」持参で呼び寄せ、直接に戦果確認をおこなった。その結果「まぼろし」が確認されたが、レイテ防衛に責任をもつ大本営陸軍部には通知されず、もちろん国民にも訂正発表はなかった。
その結果、10月20日レイテ湾に集結した米艦船の大部隊を確認しても、日本のレイテ守備軍は「台風を避けるため一時避難したもの」とノホホンとしていた。以後の話は大岡昇平「レイテ戦記」に詳しい。
これを書きながら三橋貴明「本当はヤバイ!韓国経済」(彩図社, 2007)を読んだ。著者の予測は美事にはずれたわけだが、気がついたのは経済の指標になる「失業率」や「成長率」などで、日本と韓国の定義(基準)が違うという事実だった。
これは「交通事故死」や「手術関連死亡」の話題でも指摘したが、グローバル化の時代なのに、こういう基本的基準が統一されていない。仮に統一されていても、カプランーマイヤー法における「追跡不能例」の追跡度のように、一次データに差があれば、統計値には狂いが出る。
マスコミは「官庁記者クラブ」での発表を垂れ流しているだけで、判定基準が同一かどうか、統計の計算法はどうなのかまで突っ込んで検証した上での報道でない。「2年で交代するから勉強するヒマがない」そうだが、いいわけになるかどうか。
だから異なった国の数値を比較するのは、本当はとても難しいことなのだと分かった。
サンプル統計に問題があるとなると、では「ビッグ・データか」ということになるが、それはまた別の機会に考えたい。
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