【本さまざま】古書をテーマにした小説というと、梶山季之「せどり男爵数奇譚」(ちくま文庫)とヘレン・ハンフ「チャリング・クロス街84番地」(中公文庫)が有名だ。後者は「買いたい新書」でも取りあげた。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1302787946
「せどり」というのは、古書業界の用語で不勉強な古本屋から値打ちものの本を選んで安く買い、専門古書店に高く売ることをいう。これで生活しているプロもいる。それが梶山の「せどり男爵」だ。立てて置いてある古書の背表紙だけ見て取りだし、初版本かどうか著者のサインがあるかどうかなどを、瞬時に判断するところから来た名前だといわれるが、正確な語源はわからない。
ショッピング・モールにある通俗書店の平棚で、三上延「ビブリア古書堂の事件手帖」(メディアワークス文庫)とジョン・ダニング「死の蔵書」(ハヤカワ文庫)を買ってきて目を通した。前者は帯に「2012年、年間ベストセラー文庫総合1位」と書いてある。後者の帯には「<ビブリア古書堂の事件手帖>の次ぎに読んでほしい本」とある。同じ出版社かと思ったら、ハヤカワ文庫が「ビブリア」人気に便乗して売っている本とわかり、笑ってしまった。
「死の蔵書」の方は、デンバーの古本屋ボビーが殺され、その犯人を本好きで家の半分が古書だという刑事が追いつめて行く話で、出てくる本が日本の読者にはなじみのない、英語の古書ばかりだし、叙述は散漫で冗長だし、途中で放り出した。ハヤカワもこういうコバンザメ商法をしているようでは、先がないな。
「ビブリア」という言葉はない。本はギリシア語でBiblos(ビブロス)といい、中性名詞だ。「ア」が語尾につくのは、女性名詞だけだ。誤用はともかく、「本の古書堂」というタイトルはおかしい。筆者も編集者も、矛盾に気づかなかったのか?
話は単純で、謎の美女で入院中の古書店オーナーにより、アルバイトに雇われたニートの「俺」が、客が持ち込んできた古書の値踏みのために、病院に行き、美女の古書解説を受けつつ、その指示により事件を解決して行くという連作だ。「俺」がニートで無知であり、つまり読者の立場にたって質問をするという形式が若い読者に受けているのだろう。
4話あるから、出て来る本は4点だ。
1)「夏目漱石全集・全34巻・新書判」(岩波書店、1956年7月刊)
2)小山清「落穂拾ひ・聖アンデルセン」(新潮文庫、1955年1月刊)
3)ヴィノグラドフ&クジミン「論理学入門」(青木書店文庫、1955年刊)
4)太宰治「晩年」(砂子屋書房、1936年刊、アンカット版)
「アンカット版」というのは、全紙両面に印刷し、折りたたんで仮とじした本を端を裁断せずに、そのまま表紙を付けた本をいう。
これを読むには、ペーパーナイフで頁の端を切って読む。フランスにはこの手の本が今もあるが、日本でも戦前には出ていたことを知らなかった。
岩波新書で「漱石全集」が出ていたのは知らなかった。しかし「岩波新書の歴史」、「岩波新書の50年」を繰ってみたが、該当する全集がない。
これは「普及版・漱石全集」(岩波書店、の間違いではないかと思う。本文には「<第8巻:それから>と印刷された筺(はこ)から本を出した」とある。
新書に筺は付いていない。これは著者の間違いではないかと思う。
小山清の文庫本初版は、AMAZONを見ると5,000~1万6,000円の古書価がついているが、新品なら500円で買える。
このヴィノグラドフは、「法における常識」(岩波文庫)で有名なP.G.Vinogradoff(ロシア生まれだが、英国に帰化した法制史学者)かと思ったが、S.N.ヴィノグラドフで旧ソ連の学校教科書を書いた哲学者だった。だから左翼出版の青木書店が訳本を出したのだろう。
これはAMAZON古書で約6万円の値がついている。
著者は本文中で、ある人物に三段論法を使わせているが、これが完全な間違い。著者には論理学がわかっていない。
太宰治「晩年」のアンカット版など古書に見つからない。小説では300万円の値打ちがあるとされているが、実在しているかどうか。読み通せるかどうかは別として、アンカット判を買った人は最初の数頁は切ってみるものだ。文庫本なら新品で約500円、KINDLE判なら「女生徒」とあわせて無料でダウンロードできる。(したら、読者レビューに「本編ではない。太宰が感想を述べたもので、読む必要なし」とあった。太宰の文章を読むと、「『晩年』の初版は約500部、2刷が1,000部」とある。たった1500部しか出ていないのである。)
しかし「晩年」にアンカット判があるのかどうかは、定かでない。
(ふと思い出して主寝室にある書棚の「近代日本文学館」1973年刊、「ほるぷ社」販売、「精選・名著復刻全集」を見たら、なかに「晩年」があった。刊行は昭和11年6月25日、定価2円となっている。確かにアンカット判だった。この全集は、近代日本文学館が、初版本をそっくりそのまま、紙質まで揃えて、復刻したので間違いない。
添付1はその画像で、正確には8頁分の上側がアンカット、うち4頁ずつ2箇所で、横がアンカットになっている。下側は不揃いだが、印刷時にカットしてある。右端に端が毛羽だったページが見えるが、これがペーパーナイフで切った箇所だ。
手元に印刷に失敗したA4用紙があったら、横にして三つ折りすると、同じ形式のものができるので、試してほしい。
この本は「葉」、「思ひ出」ほか15の短篇を集めたもので、「晩年」というのは本のタイトルであり、該当短篇はない。
開いて見ると「葉」の全ページと「思ひ出」の途中までは頁が切ってあるが、あとはアンカットのままだ。要するにあまりにもくだらない作品なので、私は途中で読むのを止めたわけだ。
同じ書棚に、いま話題の堀辰雄「風立ちぬ」初版本とか夏目漱石「永日小品」自筆原稿の復刻版もあった。金のない頃、何十万円もする「全集」をなぜ買ったのか、自分でもわけがわからない…
要するに「晩年」というタイトルの短篇集本はかつてあったが、太宰に「晩年」というタイトルの小説はないのである。
がから、このメルマガの読者はくれぐれも「晩年」という小説を読もうなどとは思わないように、警告しておきたい。
「ビブリオ古書店」はこの点が、不親切である。)
作者の「三上延」は海堂尊と同じように「覆面」だ。が、古書に詳しいことは確かだと思う。文体がみずみずしいので年齢はかなり若い人ではないか。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1302787946
「せどり」というのは、古書業界の用語で不勉強な古本屋から値打ちものの本を選んで安く買い、専門古書店に高く売ることをいう。これで生活しているプロもいる。それが梶山の「せどり男爵」だ。立てて置いてある古書の背表紙だけ見て取りだし、初版本かどうか著者のサインがあるかどうかなどを、瞬時に判断するところから来た名前だといわれるが、正確な語源はわからない。
ショッピング・モールにある通俗書店の平棚で、三上延「ビブリア古書堂の事件手帖」(メディアワークス文庫)とジョン・ダニング「死の蔵書」(ハヤカワ文庫)を買ってきて目を通した。前者は帯に「2012年、年間ベストセラー文庫総合1位」と書いてある。後者の帯には「<ビブリア古書堂の事件手帖>の次ぎに読んでほしい本」とある。同じ出版社かと思ったら、ハヤカワ文庫が「ビブリア」人気に便乗して売っている本とわかり、笑ってしまった。
「死の蔵書」の方は、デンバーの古本屋ボビーが殺され、その犯人を本好きで家の半分が古書だという刑事が追いつめて行く話で、出てくる本が日本の読者にはなじみのない、英語の古書ばかりだし、叙述は散漫で冗長だし、途中で放り出した。ハヤカワもこういうコバンザメ商法をしているようでは、先がないな。
「ビブリア」という言葉はない。本はギリシア語でBiblos(ビブロス)といい、中性名詞だ。「ア」が語尾につくのは、女性名詞だけだ。誤用はともかく、「本の古書堂」というタイトルはおかしい。筆者も編集者も、矛盾に気づかなかったのか?
話は単純で、謎の美女で入院中の古書店オーナーにより、アルバイトに雇われたニートの「俺」が、客が持ち込んできた古書の値踏みのために、病院に行き、美女の古書解説を受けつつ、その指示により事件を解決して行くという連作だ。「俺」がニートで無知であり、つまり読者の立場にたって質問をするという形式が若い読者に受けているのだろう。
4話あるから、出て来る本は4点だ。
1)「夏目漱石全集・全34巻・新書判」(岩波書店、1956年7月刊)
2)小山清「落穂拾ひ・聖アンデルセン」(新潮文庫、1955年1月刊)
3)ヴィノグラドフ&クジミン「論理学入門」(青木書店文庫、1955年刊)
4)太宰治「晩年」(砂子屋書房、1936年刊、アンカット版)
「アンカット版」というのは、全紙両面に印刷し、折りたたんで仮とじした本を端を裁断せずに、そのまま表紙を付けた本をいう。
これを読むには、ペーパーナイフで頁の端を切って読む。フランスにはこの手の本が今もあるが、日本でも戦前には出ていたことを知らなかった。
岩波新書で「漱石全集」が出ていたのは知らなかった。しかし「岩波新書の歴史」、「岩波新書の50年」を繰ってみたが、該当する全集がない。
これは「普及版・漱石全集」(岩波書店、の間違いではないかと思う。本文には「<第8巻:それから>と印刷された筺(はこ)から本を出した」とある。
新書に筺は付いていない。これは著者の間違いではないかと思う。
小山清の文庫本初版は、AMAZONを見ると5,000~1万6,000円の古書価がついているが、新品なら500円で買える。
このヴィノグラドフは、「法における常識」(岩波文庫)で有名なP.G.Vinogradoff(ロシア生まれだが、英国に帰化した法制史学者)かと思ったが、S.N.ヴィノグラドフで旧ソ連の学校教科書を書いた哲学者だった。だから左翼出版の青木書店が訳本を出したのだろう。
これはAMAZON古書で約6万円の値がついている。
著者は本文中で、ある人物に三段論法を使わせているが、これが完全な間違い。著者には論理学がわかっていない。
太宰治「晩年」のアンカット版など古書に見つからない。小説では300万円の値打ちがあるとされているが、実在しているかどうか。読み通せるかどうかは別として、アンカット判を買った人は最初の数頁は切ってみるものだ。文庫本なら新品で約500円、KINDLE判なら「女生徒」とあわせて無料でダウンロードできる。(したら、読者レビューに「本編ではない。太宰が感想を述べたもので、読む必要なし」とあった。太宰の文章を読むと、「『晩年』の初版は約500部、2刷が1,000部」とある。たった1500部しか出ていないのである。)
しかし「晩年」にアンカット判があるのかどうかは、定かでない。
(ふと思い出して主寝室にある書棚の「近代日本文学館」1973年刊、「ほるぷ社」販売、「精選・名著復刻全集」を見たら、なかに「晩年」があった。刊行は昭和11年6月25日、定価2円となっている。確かにアンカット判だった。この全集は、近代日本文学館が、初版本をそっくりそのまま、紙質まで揃えて、復刻したので間違いない。
添付1はその画像で、正確には8頁分の上側がアンカット、うち4頁ずつ2箇所で、横がアンカットになっている。下側は不揃いだが、印刷時にカットしてある。右端に端が毛羽だったページが見えるが、これがペーパーナイフで切った箇所だ。
手元に印刷に失敗したA4用紙があったら、横にして三つ折りすると、同じ形式のものができるので、試してほしい。
この本は「葉」、「思ひ出」ほか15の短篇を集めたもので、「晩年」というのは本のタイトルであり、該当短篇はない。
開いて見ると「葉」の全ページと「思ひ出」の途中までは頁が切ってあるが、あとはアンカットのままだ。要するにあまりにもくだらない作品なので、私は途中で読むのを止めたわけだ。
同じ書棚に、いま話題の堀辰雄「風立ちぬ」初版本とか夏目漱石「永日小品」自筆原稿の復刻版もあった。金のない頃、何十万円もする「全集」をなぜ買ったのか、自分でもわけがわからない…
要するに「晩年」というタイトルの短篇集本はかつてあったが、太宰に「晩年」というタイトルの小説はないのである。
がから、このメルマガの読者はくれぐれも「晩年」という小説を読もうなどとは思わないように、警告しておきたい。
「ビブリオ古書店」はこの点が、不親切である。)
作者の「三上延」は海堂尊と同じように「覆面」だ。が、古書に詳しいことは確かだと思う。文体がみずみずしいので年齢はかなり若い人ではないか。
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