ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【書評など】夏目漱石『吾輩は猫である』/難波先生より

2015-01-19 18:44:48 | 難波紘二先生
【書評など】
 エフロブ「買いたい新書」のNo.252書評に、夏目漱石『吾輩は猫である』を取りあげました。私はこの初版本の復刻版を持っています。紙質も装丁も箱も当時のままです。
 漱石が松山中学を辞め,熊本の第五高校の教授になり,文部省派遣留学生としてロンドンに留学し,明治36(1903)年に帰国して東京帝大英文科講師となった後,明治38年、38歳で初めて書いた小説です。友人の正岡子規の門下生高浜虚子に勧められて,雑誌「ホトトギス」に10回にわたり掲載された。現代文の規範となった腐朽の名作と言えよう。
 いま読んでもちっとも古くないし、当時の小説のレベルが高いのに驚かされる。坪内逍遙は早稲田の教授だったし、鷗外は陸軍の軍医でベルリン留学を体験しているし、ともかくみな外国語がめっぽう強かった。当時の読者はこういう小説を読むことで、楽しみながら新知識を吸収したことがよくわかります。いまは、小説が現実を後追いしているようです。

 主人公は中学の英語教師珍野苦沙弥と珍野家の飼い猫「吾輩」(共に漱石の分身)である。十章で明らかなように珍野家がとっている新聞は「読売」。後に漱石は大学を辞めて「朝日」文芸部に入社した。構想が初めからあって書かれたものでなく,猫の恋愛や猫から見た人間の生活が斬新で好評だったので,書き継がれて全部で11章になった。だから通しのストーリーはなく,各章がほぼ独立した連作として読める。
 終章では人間のまねをしてビールを飲んだ「吾輩」が水におぼれて死ぬという意外な結末になっている。表題が有名な割には,この結末はあまり知られていない。(続きは以下のサイトで…。)
 http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1420424694

 献本お礼1=梶杏子さんから随筆集『夜の日時計』(龍書房、2015/1)の謹呈があった。お礼申し上げます。広島ペンクラブと日本ペンクラブの会員とある。「杏子」は「ももこ」と読むのだそうだ。「杏」という漢字は「杏子」(あんずこ、きょうこ)、「杏奴」(あんぬ)と人名に用いられた例は知っているが、「ももこ」は知らなかった。
 広島ペンクラブの会員名簿には、本名で載っている人と筆名で載っている人がある。さすがに雅号の人はきょう日いない。
 タイトルは、それに該当する標題作が含まれていないが「昼行灯」と同じような意味か?
 巻末「初出一覧」で一番新しい「広島県医師協だより」(2013/11)に掲載された「棺」という小品を読ませてもらった。わずか11ページの短篇だが、起承転結があり、笑わせて、次ぎにしみじみとした結末が来る。見事である。

 老いて二人暮らしの夫婦のうち、男が突然死してしまう。商社マンのひとり息子は海外出張で、葬儀に間に合わない。動転した妻は葬儀社のいいなりに、高級棺桶、伴僧2人の僧による読経、九谷焼の骨壺と高い葬儀を営んでしまい、その後も仏事・法事で、預金通帳の残高がみるみる減ってしまう。一周忌がすんだ後、息子が戻ってきて、親が心配だから今の会社を辞めて、広島で勤め先を探すと言いだす。それをいさめる母親。だが息子は翻意しない。
 名古屋で一人暮らしをしている友人に電話してみると、「エコ棺」という再生紙ででき寝棺があり、自分は老後のことも、葬儀もエコ棺でやってくれる会社と契約しているという。葬儀社がケアハウスもやっているらしい。
 ダンボールの組み立て式だから、宅配も可能といい、友人がサンプルを送ってくれた。中に寝てみるとまことに寝心地がよい。ついその中で眠ってしまった。

 ここまでが起・承で、次ぎに意外な転がきて、結末がくる。面白いから、そこは書かない。
 こういうのが新聞の文化欄に、2回くらいで連載されると、私も読みたくなる。
 徳島大学薬学部を出て、「金沢に24年在住」とある。どうりで冒頭の「鳩」という短篇では、平和公園が見えるマンションのベランダに巣をかけた鳩との「たたかい」で、対策のため「動物行動学入門」なんて本を読むという箇所が出てくるわけだ。 
 作風は田辺聖子の短篇を思わせるおかしみがある。お薦めの一冊だ。

 日本の文化は東京一極集中で、東京圏にいないと陽の目をみない。東京にいるだけで地方の3倍も過大に評価される。これが「東京人口集中問題」の根本で、団塊の世代が「後期高齢者」になったら、東京の福祉システムが破綻することは前から予測されていたのに、今頃になって「地方移住の促進」などと騒いでいる。

 今のアテネはダメだけど、国家としての古代アテネは人口約10万人、男が1/3、女が1/3、残りが奴隷だった。投票権をもつ正規市民は約3万人。もちろん女に投票権はない。午前中に一日の仕事をして、午後は社交や広場で集会、スポーツなどに費やした。労働の大部分は奴隷が行っていたから、市民に時間のゆとりがあり、考えたり読んだりすることができた。いち早くアルファベットを公用文字として採用し、イオニア方言を公用語とした。
 ペルシア戦争後に結成されたデロス同盟の加盟費と年会費はアテネが管理していたから、実質アテネの国庫予備金だった。事務官僚はおらず、政治・行政ともに役職は無給だった。ただし国会議員にあたる評議員のうち、貧乏人には日当を出した。今の生活保護のはしりようなものだ。ソクラテス裁判の裁判員も無給である。この政治経済的なシステムに支えられて、「ペリクレスの民主制」が可能となった。

 英国が石炭を用いて蒸気機関を動かし、奴隷労働を廃止するのに成功したのが「産業革命」である。急に豊かになったから、余暇ができて本を読み、実験をするようになった。産業革命以前のフランス啓蒙主義やドイツ観念論があまりに思弁的なのにくらべて、英国では17世紀のベーコンによる「帰納法」の発見に続いて、ロック、ヒューム、アダム・スミスなど経験論の思想が発展したのは、故なきとしない。

 広島市都市圏の人口は当時のロンドンより多い。古代アテネの10倍以上いる。
 だからそこには、ソクラテスもプラトンもアリストテレスも、アルキメデスもクセノフォンもツキジデスもいるに違いない。ロック、ヒュームがいるなら、ニュートンもファラディーもワットもジェンナーもいるだろう。
 ただ「見いだされていない」のであろう。古人曰く「名馬は常にあれど、伯楽は常にあらず」。
 いや、本のお礼がつい脱線した。
献本お礼2=「医薬経済」2015年1月15日号(通巻1484号)のご恵与を受けた。お礼申し上げます。巻頭の「話題の焦点」を書いている「ヤットコ」氏が誰かまったく知らないが、このあだ名は広島大初代原医硏所長で、のちに国立癌研究所の病理部長になった渡辺漸広大名誉教授のものだった。有名な血液病理学者天野重安(京大教授)と高校が同期で、天野の通夜の座談会で、「アルゼンチンで開かれた国際学会に、天野は日本の頭脳を代表し、わしは胃袋を代表して行った」と味のある発言をしている。
 われわれは「ヤットコさん」とみな呼んでいた。由来は知らない。息子が慶応大の臨床検査部の教授だった。

 この「ヤットコ」氏は、「幼児のボタン電池誤飲による死亡事故が増えている」と指摘している。リチウム電池を誤飲すると、陰極側で水の加水分解が生じて水酸化イオン(-OH)が発生し、放電1分以内にpH11までアルカリ側に傾くそうだ。
 これだと胃粘膜が溶けて、胃に孔があき、急性汎発性腹膜炎が起こり、大事故になる。
 すぐに緊急施術のできる病院に運び、腹を開けて、胃を開き、電池を取り出さないと生命にかかわる。内視鏡で取るだの、ダビンチで取り出すだのと言っている場合か。
 傷痕が残るのと、生命とどっちが大事か。

 マイクル・クライトンに『緊急の場合は(In Case of Emergency)』(早川文庫)があるが、いまのように手間ひまがかかるが、「傷痕が目立たない」内視鏡手術ばかりやっていると、そのうち腹部の局所解剖がわからず、緊急の場合に開腹手術ができない外科医だらけになるだろう。
 
 新聞も屁のツッパリにもならない「健康欄」でつまらん記事をのせるより、こういうことに警鐘をならすべきだろう。
 船が沈む時、女子どもを救命ボートに優先的に乗せるのは、社会を維持させるためだ。いまの日本で本当に重要なのは、子どもと生殖可能年齢にある女性だ。年寄りは後廻しでよい。
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