【文語訳聖書】弁護士のM先生から予想もしない質問が来た。
<何年か前、「旧約を読みたい、それも文語訳で読みたい」と考えて、書店や古本屋を捜したのです。
ところが、全くみつかりません。古本屋(全国最大級の、岡山「万歩書店」)で戦後すぐの発行のものを見つけましたが、口語訳でした。
驚いたことに、戦後は、文語訳の旧約聖書は全く公刊されていないようなのです。
さて、そうなると大きな疑問が出てきます。
よく新聞や書物に旧約の文句が引用されていますが、昔は大半、近年でも相当部分が文語訳の文句です。
このひとたちは、どうやって引用句の表現を確認しているのでしょう?
孫引き?うろ覚え?それともどこかに、私がよう見つけなかった文語訳版が出ているのでしょうか?>
まず私と聖書のかかわりから:高校の頃、一時、ルーテル教会に通ったことがあります。聖書はそこでもらいました。タダですが集会の後で献金がありますから、代金は払ったことになります。この聖書は薄かったから、「新約」だけでした。もちろん口語訳です。
後に、子供がミッション系の学校に行き「新旧約聖書」をもらってきましたが、これも口語訳です。
その後、英語の「欽定訳聖書」、ギリシア語の「新旧約聖書」、ドイツ語、フランス語の「新約聖書」を入手しました。また知人友人から新しい訳の聖書もいくつかプレゼントされています。
さて問題の文語訳聖書ですが、手元に「刊行年不明、Printed in U.S.A.:𦾔新約聖書」(紐育・倫敦・東京、聖書協会聯盟)という厚い大型の聖書があります。
これは日本で訳され、タイプ印刷か何かした原版をニューヨークに送り、そこで写真製版、印刷、製本したものと思われます。一部原版を修正した跡があります。それと新約部分は通し頁番号でなく、新たに1頁から始まっています。それに「旧約」は縦1段組なのに、新約は縦2段組です。もうひとつ「旧約」の目次は全部漢字です。「出埃及記」のように。
石上玄一郎「彷徨えるユダヤ人」、色川武大「私の旧約聖書」が引用している聖書の文章は、この聖書からの引用です。
口語訳の聖書は戦後の1954年に出版され、以後はすべて口語訳のようです。
岩波の「旧約聖書(4巻)」もヘブライ語から口語への翻訳です。
色川は1984年、雑誌連載開始に当たり「古本屋で500円で旧新約一体になった大型本を再購入してきた」と書いていますから、私が所蔵している本のより新しい「刷り」だと思われます。
この文語訳聖書はまだ売られているようで、AMAZONに「日本聖書協会」(1996刊)のものが出品されています。http://www.amazon.co.jp/旧新約聖書―文語訳/dp/4820212354/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1376993656&sr=1-1&keywords=旧約聖書+文語訳
1700頁近くありますから、5000円は高くないと思います。1980年頃にくらべ、物価は10倍になっていますから、妥当な価格でしょう。
阿刀田の「旧約聖書を知っていますか」は口語訳からの引用です。 念のためキリスト教徒の作家の作品を見ますと、
遠藤周作「イエスの生涯」(1973)=口語訳新約聖書からの引用
曾野綾子「アレキサンドリア」(1997)=口語訳旧約聖書からの引用
となっています。
ここからは推測になりますが、戦前と戦後すぐの物書きやインテリは、買うかもらうか、何らかの方法で「旧新約聖書」文語訳を入手していたのだと思います。大岡昇平の「野火」など、旧約聖書を手元に置かないと書けない作品だと思います。
「たとひ われ死の陰の谷をあゆむとも、災いを恐れじ。なんぢ 我とともにいませばなり」。(「詩篇」23-4)
ここは「欽定訳聖書」ではこうなっています。
「Yea , though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil: for thou art with me.」(「Psalms」23-4)
岩波の「旧約聖書Ⅳ」はヘブライ語からの訳ですが、
「暗黒の谷を 私が行くときも 私は災いを畏れない。あなたがご一緒だから。」(「詩篇」23-4)
と味も素っ気もない訳になっています。
こうしてみると、「文語体聖書」の口調の良さは、英語「欽定訳聖書」を定本にしているからだと思われます。
恐らく、教会とお付き合いのあるクリスチャンは口語訳から引用し、無教会派のクリスチャンや非信者の物書きは、格調の高い文語訳から引用する傾向があるのではないかと思います。
「日本語訳聖書の歴史」というような本があるとよいのですが、あいにく持っていません。
吉原ゆかり:聖書日本語訳. 現代思想, 1998/4(Vol.26-5)という論文によると、戦前の聖書には、以下の3種があるようです。
1)「新約聖書」翻訳(文語体)=1880(明治13)
2)「旧約聖書」翻訳(文語体)=1887(明治20)
3) 大正改訳「新約聖書」(文語体)=1917(大正6)
これらは英語の「欽定訳聖書」を定本としているようです。上記のような英語原文ですから、つい名文の文語訳になったのでしょう。
「岩波キリスト教辞典」によると、日本聖書協会の「口語訳新約聖書」は1954年に、「口語訳旧約聖書」が1965年に初めて出版されたとあります。カトリックとプロテスタントが共同した「新共同訳聖書」の刊行は1987年です。
ですからおおざっぱにいって、1960年代までは旧約は「文語訳」が普通に使われていた、といえるようです。
で、ここからはさらに推論を重ねることになりますが、手元の「𦾔新約聖書」は、1)と2)を合して、明治20年代にアメリカで製作されたものではないかと思われます。理由は、「新約」の訳文の中に、もう明治末には使われていない表現とか、漢字のルビがあるからです。文章から見ると明治初期の文語文です。
ただ疑問が残るのは、「新約」が二段組で、句点「、」、読み点「。」と会話部分に『』と「」を採用している点です。「旧約」にはこれらがありません。もしかしたら、2)と3)の組合せかとも思いますが、大正年間にわざわざアメリカで印刷したとは考えにくいです。
「人の生くるはパンのみによるにあらず」(「マタイ伝」4-4)
「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いだされん。門を叩け、さらば開かれん。」(「マタイ」7-7)
というような名調子の文句は、やはり文語でおぼえ、引用したいですね。
このメルマガ読者には神学者のドクターもおられますから、間違っていたらご指摘下さい。
<何年か前、「旧約を読みたい、それも文語訳で読みたい」と考えて、書店や古本屋を捜したのです。
ところが、全くみつかりません。古本屋(全国最大級の、岡山「万歩書店」)で戦後すぐの発行のものを見つけましたが、口語訳でした。
驚いたことに、戦後は、文語訳の旧約聖書は全く公刊されていないようなのです。
さて、そうなると大きな疑問が出てきます。
よく新聞や書物に旧約の文句が引用されていますが、昔は大半、近年でも相当部分が文語訳の文句です。
このひとたちは、どうやって引用句の表現を確認しているのでしょう?
孫引き?うろ覚え?それともどこかに、私がよう見つけなかった文語訳版が出ているのでしょうか?>
まず私と聖書のかかわりから:高校の頃、一時、ルーテル教会に通ったことがあります。聖書はそこでもらいました。タダですが集会の後で献金がありますから、代金は払ったことになります。この聖書は薄かったから、「新約」だけでした。もちろん口語訳です。
後に、子供がミッション系の学校に行き「新旧約聖書」をもらってきましたが、これも口語訳です。
その後、英語の「欽定訳聖書」、ギリシア語の「新旧約聖書」、ドイツ語、フランス語の「新約聖書」を入手しました。また知人友人から新しい訳の聖書もいくつかプレゼントされています。
さて問題の文語訳聖書ですが、手元に「刊行年不明、Printed in U.S.A.:𦾔新約聖書」(紐育・倫敦・東京、聖書協会聯盟)という厚い大型の聖書があります。
これは日本で訳され、タイプ印刷か何かした原版をニューヨークに送り、そこで写真製版、印刷、製本したものと思われます。一部原版を修正した跡があります。それと新約部分は通し頁番号でなく、新たに1頁から始まっています。それに「旧約」は縦1段組なのに、新約は縦2段組です。もうひとつ「旧約」の目次は全部漢字です。「出埃及記」のように。
石上玄一郎「彷徨えるユダヤ人」、色川武大「私の旧約聖書」が引用している聖書の文章は、この聖書からの引用です。
口語訳の聖書は戦後の1954年に出版され、以後はすべて口語訳のようです。
岩波の「旧約聖書(4巻)」もヘブライ語から口語への翻訳です。
色川は1984年、雑誌連載開始に当たり「古本屋で500円で旧新約一体になった大型本を再購入してきた」と書いていますから、私が所蔵している本のより新しい「刷り」だと思われます。
この文語訳聖書はまだ売られているようで、AMAZONに「日本聖書協会」(1996刊)のものが出品されています。http://www.amazon.co.jp/旧新約聖書―文語訳/dp/4820212354/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1376993656&sr=1-1&keywords=旧約聖書+文語訳
1700頁近くありますから、5000円は高くないと思います。1980年頃にくらべ、物価は10倍になっていますから、妥当な価格でしょう。
阿刀田の「旧約聖書を知っていますか」は口語訳からの引用です。 念のためキリスト教徒の作家の作品を見ますと、
遠藤周作「イエスの生涯」(1973)=口語訳新約聖書からの引用
曾野綾子「アレキサンドリア」(1997)=口語訳旧約聖書からの引用
となっています。
ここからは推測になりますが、戦前と戦後すぐの物書きやインテリは、買うかもらうか、何らかの方法で「旧新約聖書」文語訳を入手していたのだと思います。大岡昇平の「野火」など、旧約聖書を手元に置かないと書けない作品だと思います。
「たとひ われ死の陰の谷をあゆむとも、災いを恐れじ。なんぢ 我とともにいませばなり」。(「詩篇」23-4)
ここは「欽定訳聖書」ではこうなっています。
「Yea , though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil: for thou art with me.」(「Psalms」23-4)
岩波の「旧約聖書Ⅳ」はヘブライ語からの訳ですが、
「暗黒の谷を 私が行くときも 私は災いを畏れない。あなたがご一緒だから。」(「詩篇」23-4)
と味も素っ気もない訳になっています。
こうしてみると、「文語体聖書」の口調の良さは、英語「欽定訳聖書」を定本にしているからだと思われます。
恐らく、教会とお付き合いのあるクリスチャンは口語訳から引用し、無教会派のクリスチャンや非信者の物書きは、格調の高い文語訳から引用する傾向があるのではないかと思います。
「日本語訳聖書の歴史」というような本があるとよいのですが、あいにく持っていません。
吉原ゆかり:聖書日本語訳. 現代思想, 1998/4(Vol.26-5)という論文によると、戦前の聖書には、以下の3種があるようです。
1)「新約聖書」翻訳(文語体)=1880(明治13)
2)「旧約聖書」翻訳(文語体)=1887(明治20)
3) 大正改訳「新約聖書」(文語体)=1917(大正6)
これらは英語の「欽定訳聖書」を定本としているようです。上記のような英語原文ですから、つい名文の文語訳になったのでしょう。
「岩波キリスト教辞典」によると、日本聖書協会の「口語訳新約聖書」は1954年に、「口語訳旧約聖書」が1965年に初めて出版されたとあります。カトリックとプロテスタントが共同した「新共同訳聖書」の刊行は1987年です。
ですからおおざっぱにいって、1960年代までは旧約は「文語訳」が普通に使われていた、といえるようです。
で、ここからはさらに推論を重ねることになりますが、手元の「𦾔新約聖書」は、1)と2)を合して、明治20年代にアメリカで製作されたものではないかと思われます。理由は、「新約」の訳文の中に、もう明治末には使われていない表現とか、漢字のルビがあるからです。文章から見ると明治初期の文語文です。
ただ疑問が残るのは、「新約」が二段組で、句点「、」、読み点「。」と会話部分に『』と「」を採用している点です。「旧約」にはこれらがありません。もしかしたら、2)と3)の組合せかとも思いますが、大正年間にわざわざアメリカで印刷したとは考えにくいです。
「人の生くるはパンのみによるにあらず」(「マタイ伝」4-4)
「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いだされん。門を叩け、さらば開かれん。」(「マタイ」7-7)
というような名調子の文句は、やはり文語でおぼえ、引用したいですね。
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