ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【がん死】難波先生より

2013-09-04 12:40:24 | 難波紘二先生
【がん死】 <明治・大正期は平均寿命が40歳に届かない時代で、早死にする人のほとんどは、赤痢、腸チフス、結核、腎炎、脳出血だったから、これららで死なずに「長生き」した人たちががん死したように思える。


 ヒトT細胞白血病ウィルス(HTLV-1)の感染者はアフリカに多いが、免疫力の低下があり、多くは40歳になるまでに感染症で死ぬ。感染症予防に成功し、1人あたり年間国民所得が1万ドルを超える「豊かな社会」になると、平均寿命が40歳を超し、成人T細胞白血病リンパ腫(ATLL)が出現してくる。これと似た関係にある。>


 と前便で書きました。「いったい日本人で初めてがんと診断された人は誰で、何歳だろうか?」という疑問が湧きました。そこで山田風太郎「人間臨終図鑑」(徳間書店)を念のため繰ってみました。これ前便ではくさしましたが、実によく調べてある。前言を撤回します。


 驚きましたね、昭和20年より前に、癌で死んだ50歳未満の著名人はまずいません。
 樋口一葉(24)、滝廉太郎(24)、石川啄木(26)、高杉晋作(28)、青木繁(29)、中原中也(30)、高山樗牛(31)、正岡子規(35)、長塚節(36)、斎藤緑雨(37)、国木田独歩(37)、宮沢賢治(37)、尾崎放哉(41)、葛西善蔵(41)、川路利良(43)、東中軒雲右衛門(43)、直木三十五(43)、二葉亭四迷(45)、伊丹万作(46):これはすべて結核で死んだ人たちです。
 20歳以上50歳未満では、結核が死因の圧倒的多数を占めています。


 この年代でのがん死は、戦前には尾崎紅葉(36, 胃がん)のみ。
 戦後は、夏目雅子(28, 急性骨髄性白血病)、高橋和巳(40, 結腸癌)が出てくる。


 50代以後になると、癌で死ぬ人が戦前でもぼちぼち出てくるが、この関係は年とるほど目立つ。ただ今と違い、胃がん、食道癌がメインです。
 感染症は第一次要因は病原菌だが、それがすべてではない。げんにコッホの「コレラ菌」発見を疑った、ベルリン大学衛生学教授ペッテンコーフェルは、培養したコレラ菌を飲んでみせたが、コレラにかからなかった。


 感染予防の機構は、体液性免疫と細胞性免疫の2種にわかれる。前者はB細胞とそれが作る血液中の抗体が関与する。
 後者はT細胞、キラー細胞、マクロファージが関与する。
 この両方が遺伝的にダメになるのが、「重症複合性免疫不全(SCID)」で、生まれた子供は無菌の風船の中で暮らすしかない。


 結核は細胞性免疫が関与する伝染病で、その秘密は結核菌は異物を食べ込み、処理するマクロファージを感染門戸と増殖の場としている点にある。つまり「奴」は正常の免疫機構を利用して、マクロファージに食べられ、そこで消化されることなく逆に増殖し、他の部位に感染を広げていくのである。抗生物質はむき出しになった結核菌を殺すことができるが、マクロファージの中に暮らしている結核菌を殺すことはできない。つまり「結核は臨床的には治癒するが、菌は一生身体に残る」。
 老人になると「老人性結核」といって、若い頃に治癒した結核が再燃することがあるのは、このせいだ。


 初感染の時に、細胞性免疫に異常がなければ、結核菌を取り込んだマクロファージは、消化酵素によりそれを異物として分解し、細胞内共生を許さない。従って、結核を発症するということは、すでに細胞性免疫に異常(機能低下)があるということだ。(同じようにマクロファージ内部を増殖の場とするものに、発疹チフスのリケッチャがある。)


 感染は1)病原体の数が著しく多いとき、2)宿主が低栄養や不潔な衛生状態にあり、細胞性免疫が低下しているとき、の両方が重なって発症する。
 結核菌から製造されたBCGや発疹チフス・リケッチャから製造されたコックス・ワクチンは、いずれも細胞膜由来の「部分ワクチン」であり、どちらも予防効果は原理的にない。戦後、結核患者が急速に減ったのは、BCC接種のおかげではなく、食物の質の向上と不潔な住環境の改善のせいである。発疹チフスも、敗戦後の混乱期には流行しただけだ。


 エイズウイルス(HIV)は細胞性免疫の要をなす、ヘルパーT細胞を破壊する。
 HIV感染がサハラ以南のアフリカに急速に広がったとき、
 まず観察されたのはHIV陽性者のほとんどが、細胞性免疫のからむ感染症で死ぬことだった。なかでもダントツは結核だった。その他にも、原虫感染(カリニ肺胞嚢虫)による肺炎などがあり、「エイズという病気はない」という説が出るくらいだった。
 エイズは母児感染を除き、基本的には性病として広がるから、感染者のほとんどは若い人だった。一部に、輸血感染もあったが。


 で当時のケニアやガーナやコートジヴォワールは、平均寿命が40歳以下だったから、HIV陽性患者にがんを発症するものがいなかった。HTLV-1も同じように陽性者がいたが、成人T細胞性白血病は40歳すぎて発症する病気だから、これもなかった。


 アフリカにおけるHIV感染者の結核発症パターンを見ると、HIV感染後に結核菌に感染したというよりも、すでに感染してマクロファージ内に宿っていた菌が、宿主の免疫系との動的バランスを破り、一方的に増殖し始めたと考える方が妥当に思われる。
 より高齢者の多い、アメリカやヨーロッパのエイズ患者では、悪性リンパ腫や他のがん(カポシ肉腫、子宮頸がん)の合併が高率に認められた。


 このパターンを見ると、明治・大正・昭和初期の「結核死が多くて、がん死が少ない」のは、「アフリカ型」だったといえよう。
 結核菌そのものは、もとは牛の結核菌で農耕と牧畜が始まった1間年前以後に、人に感染力がある「ヒト型結核菌」が誕生した。病気自体はすでに平安時代から記載されている。


 ただ戦後のツベルクリン検査が明らかにしたように、人から人への感染(ツベルクリンの自然陽転)は人口が少なく、都市が発展していない時代にはマレだった。それを可能にしたのは明治以後の都市化の急速な発展=産業革命の産物である。感染した母集団が増え、劣悪な食事・生活環境がそろえば、結核を発症する人口が増えるのは当たり前である。治療法もないから、多くは40歳前に生を終えた。だから「がん好発年齢」には達しなかった。


 幸いにして結核を発症しなかった人たちは、50歳代以上に達し、このグループは今度は癌を発症するようになった。理屈は簡単である。環境要因で結核を発症しなかったものが、老化とともに癌を発症するのだ。どちらにも共通しているのは、細胞性免疫の機能不全である。


 永隼介「疑惑の真相:昭和8大事件を追う」(角川文庫)というB級本を読んだら、医学関係では和田心臓移植と丸山ワクチンが取りあげられていた。(B級本というのは、同じ文庫で前に違うペンネームとタイトルで出したものを、一部手直しして、別のタイトルとペンネームで出しているから。これは論文の二重投稿とおなじ。)


 日本医大皮膚科の教授だった丸山千里は、皮膚結核の治療薬として開発した「ヒト型結核菌」の細胞膜多糖類を主成分とする「丸山ワクチン」がハンセン病とがんの治療にも有効だと主張した。
 そのアイデアは1956年、ハンセン病療養所「多摩全生圓」での治療の帰り、「秋津駅ホーム」で電車を待っているうちに、「ハンセン病患者にはがんがいない」と気づいたからだという。「秋津駅の啓示」と呼ばれ、まるで核物理学者のレオ・シラードが1933年の秋に、ロンドンの通りを青信号で渡っているうちに、「核分裂反応」を思いついたような話だ。
 丸山ワクチンの有効性については、私は中立の立場をとるが、この丸山の「啓示」については懐疑的である。


 丸山は1901年生まれで、日本医専(現日本医大を卒業し、1928年に医師免許を得ている。1944年に結核ワクチンの研究を始めている。(当時日本医大助教授)
 この頃の結核患者はほとんど40歳未満で死んでいたから、「がんがない」のは当たり前だろう。
 戦後は「ストマイ・パス・ヒドラジッド」の三者併用療法により、結核は内科的に治るようになった。
 彼が多摩全生圓に週一回、通い始めたのは、1947年からである。
 1964年に、「丸山ワクチンががんに効く」と取りざたされ始めた。
 Cf. 井口民樹「愚徹のひと 丸山千里」(文藝春秋)


 当時の統計がないが、1994年の厚生省資料によると、患者延べ数19,403人のうち結核41人(0.7%)、悪性新生物(がん)184人(3.1%)となっている。つまりハンセン病患者は結核にもかかるし、がんにもかかる。
 Cf. 大谷藤郎「らい予防法廃止の歴史」(勁草書房)p.435
この年の「ハンセン病施設入所者数」は5,861人だから、がん罹患率は人口10万人当たり3,139人となり、きわめて高い。
 これは、60歳以上が84.5%という入所者の高齢化を考えても、たぶん一般人よりも高い。


 つまり「結核とハンセン病の患者にがんがない」という事実は、丸山の錯覚にすぎない。
 たとえ錯覚から始まったとしても、ちゃんと対照実験を置いたり、手順を踏んだ臨床試験をやっていたら、セレンディピティーにより、もっと別のものに繋がっていたかもしれない。
 これは「修復腎移植」についても、いえることだ。アンレフュータブルな(反駁の出来ない)データを提出することは科学においてもっとも重要なことだ。
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