ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【6/25/2018鹿鳴荘便り 前文】難波先生より

2018-07-03 14:43:37 | 修復腎移植
【ガラパゴス基準】
 かつて2007年6月に、ドイツのエッセンで開かれた国際学会で、フロリダ大の藤田士朗准教授(移植外科)が日本の修復腎移植について学会発表を行った際に、私がコメントを述べた時、サンフランシスコ大移植外科のバーバラ・アッシャー教授(女性)が座長をしていて、「日本の移植医は内なるパターナリズムを捨てていないのではないか?」という質問を後で私が座っていた椅子席まで投げかけてきて、面食らったことがあります。
 世界の医師たちが「パターナリズムは悪い」という常識を持っていた時代のことですから、やはり「世界の常識は 日本の非常識なのか?」と思いました。

 昔は悪性リンパ腫や白血病の分類にも日本独自の分類(ガラケーと同じ意味で、「ガラパゴス分類」と呼ぼう)があり、治療成績を国際的に比較できなかったのです。何しろ「日本人は弱くて、白人と同じような化学療法はできない」という日本的定説があり、本格的化学療法はできないとされていた時代です。

 国立がんセンターの副院長(内科部長で化学療法の専門家)を説得して、「日本人だけが化学療法に弱いという論文はありません。どんな化学療法も、抗がん剤の血中濃度と有効血中濃度の持続時間で薬理作用が決まります。そのため患者の体重が投与量の推定に利用されています。
 もし欧米と差が出るとしたら、化学療法の差異よりも治療中の患者をサポートする、他の要因、例えばお祈りを認めるとか、無菌室を積極的に治療に利用するとかなどに 差があるのではないでしょうか? NCI(米国立がん研究所)の附属病院の教会にはキリスト教のカトリック、プロテスタント、ユダヤ教の教会があり、周り舞台式で祭壇が回転し、患者がそれぞれの神に祈る日が設けられていました。
 宗教的救済を求める患者もいるはずですから、そういう心理的な安らぎが治療に好影響をもたらすはずだと思いますよ。」と説得して、結局その大先生を納得させてしまった。

 これなど私が飯島宗一先生(後に名古屋大学学長)の弟子で、血液病理学で当時世界一と評価されていたNCIのコスタン・ベラード先生の下に 2年間もNIH国際奨学生として招聘留学されていた実績が説得力を増したのだと思います。

 そのため、米国留学をした我々若い世代の血液病理学者(「悪の三悪人」とか「青年将校」と呼ばれた)が、国際基準に則った新分類の採用を中心課題として活動した。
 これも若くて 怖いもの知らず だったから、出来たことだ。大事をなすには「不惜身命」の心を持たなければいけない。それに慶応大の影山教授、福島県立医大の小島教授なども新しい分類が日本の学問の進歩に貢献することを理解し、みんな私たちを支持して下さった。

 臨床サイドで新分類を支持してくれたのは、まず慶応大の放射線科と阪大の放射線科だった。
面白いのは慶応大放射線科で講演した時に、「がんもどき理論」で有名な近藤誠さんが私の話を聞いたのだそうだ。あの当時の放射線科の山下教授には包容力があった。近藤さんが日本の「臨床がん分類」が がんもどきを がんとして治療していると主張するのなら、それは国際的な病理分類の立場からは 「そのとおり」だと言わざるを得ない。

 近藤さんは私を尊敬してくれており、拙著「覚悟としての死生学」(文春新書)は その前に書いたハードカバー本の「生と死の掟」(溪水社)を献本したところ、文藝春秋から新書としてダイジェスト版を出すように斡旋してくれて、優秀な独立編集者呉清美さんに取り次いでくれて、刊行できたものだ。今、電子出版に特化したある会社から電子版出版のオファーが来ている。
 基本的には受け入れる方針だが、実際に臓器移植現場を取材してみると、移植とカニバリズムの問題はやや誤解に囚われたところがあるので、出来ればページ制限の中で、修正加筆したいと思っている。

 現在は血液病理の分類には WHOによる分類が標準として 採用されています。
 (血液病理学者や血液内科の専門医は国際学会に出て、演題を発表し、国際誌に英文の論文を投稿するのが、当たり前になりました。)それどころか私が指導して書かせた「眼とその付属器(涙腺、眼窩など)の悪性リンパ腫」症例を解析した英文論文は 翌年の国際的な眼科学の進歩を示す論文として、「Year Book of Ophtalmology(眼科学の英語表記)」という権威ある年鑑の一種に収録された。
 広島大学眼科学教室でYear Bookに載ったのはこれが初めてだと思う。
 これは1980年代のことで、ずいぶん昔だ。これで医学博士の学位をもらったその眼科医は、いま東広島市で開業してずいぶん繁昌しているそうだ。

 あれはまだ私が40代の頃だ。私は77歳になり、研究の最先端ではもうロートルで役に立ちませんが、「病理学総論」の分野ではまだ発言が役立つ場合があることに、「修復腎移植」問題を通じて気づきました。

 我々がもう40年近く前に、仲間の他施設(東大、国立がんセンター、広島大、福岡大学)共同研究としておこなった 5施設が提供した合計200症例の病理標本を全員がそれぞれ独自に再診断した場合の、悪性リンパ腫の病理診断一致率の悪さについての日本初の検証は、どの血液病理学者が診断しても同じ診断になるような、国際的分類基準の必要性について 問題を提起しました。以後若手の研究者が中心になり、国際基準に添うような新しい分類をいろいろ提案して来ました。
 けれども腎がんの診断に関しては、現行の臨床的な「腎がん分類」に対して「科学的にそれを測定する実験を行う」という検証は行われていないと思う。

 当時ドイツ・キール大学の病理学教授カール・レンネルトが執筆した「肉眼病理学図譜」では淡明細胞型腎細胞がんについては、腎臓の被膜を剥がした表面のカラー写真と腫瘍のカラー写真が載っていて、テキスト本文には「直径5cm以下のこの腫瘍は良性である」と書いてあった。これは今でも欧米における標準的な考え方である。
 レンネルト教授は血液病理学が専門であり、病理学的な証拠もなく、「良性」と決めつけるような学者ではない。

 悪性リンパ腫の病理診断については国際化がすでに達成されたのに対して、他の病理診断学の場合、ことに腎がんの病理分類に関してはまだ「臨床主導」であることを発見して驚いた。これは米の作家アーサー・ヘイリーが1950年代に「最後の診断」(ヘイリー, アーサー 著、永井淳訳「最後の診断」, 新潮文庫, 1959/75)で描いた世界の話である。病理診断の過ちを指摘され、それが自分の古い常識を覆すことを知り、マサチューセッツ総合病院の病理医が、自発的に引退を申し出るというのが小説「最後の診断」の主な筋である。これを日本では「老害」という。
 プロ野球の選手は能力の限界を悟ったら、自分で引退宣言をするが、ドイツ・ベルリン大学の「大外科医ザウエルブルッフの悲劇」にはあくまで現役に留まろうとして、弟子たちが手術ミスの後始末に追われる話が書いてある。
 結局、内務大臣が実質罷免するという悲劇的な結末になる。(トールワルド, ユルゲン・白石四郎訳「大外科医の悲劇:胸部外科の創始者ザウエルブルッフの悲劇」, 東京メディカルセンター, 1969/8)
 これが「老害」の実態である。

 アメリカでは「年齢による差別」は憲法違反とされているので、定年制がなく、ミスを多発するようになったら、自発的に引退するという職業倫理がある。万波誠医師は「一例でも失敗したら、その時手術やめる」と私に何度も述べた。つまり本人は引き際を心得ている。彼はアメリカの職業倫理と同じものを持っていると思う。

 ところで、腎がんの診断基準に関する病理診断の「再現性」(一人の病理医の場合、間を置いて同じ標本を診断した場合の「自己再現性(自己診断の一致率)」が何パーセントあるのか?これが80%以上ないと「科学的診断」とはいえない。
 このフィロソフィーは 悪性リンパ腫のWHO分類では受け継がれており、病理診断の誤診をできるだけ減らすために、各種免疫染色やDNA検索(がん遺伝子や染色体異常など)が必要とされている。
 つまり腎がんに特異的な免疫染色も 特異的な遺伝子変化を検出する方法も まだないということを臨床家は知らないではないか?
 臨床診断の追認に留まる病理診断など意味がない。これでは「病理診断」を医行為として厚労省に認めさせ、病理診断料が出せるようにした我々の大改革など意味がない。

 昔、「悪性リンパ腫の診断は病理医の気分により変わる」といわれた時代があった。今は、「臨床診断はまず疑ってかかる」というのが、血液病理医の標準的アプローチ法になっている。
 病理医の能力は、提出された標本やパパニコロやギムザの細胞診用の標本を見て、これは今までに見た標本中にあるかとまず自問自答し、鑑別すべき類似疾患をいくつ列挙できるかにかかっている。
この能力が低い病理医はとかく臨床追従型の診断を下してしまう。科学的病理診断は最初に絞り込むべき出来るだけ広い網をはり、その中から絶対にこれではありえないというものを除外していく。それをしないと誤診してしまうのである。
 これは警察が思い込みで真犯人を逃す例と似ている。
 「犯人はこれしかいない」と思い込むと自白を強要したりして、無実の人を犯人に仕立ててしまうケースが出てくる。
  科学的証拠を提示できないまま犯人としてしまうケースも類似している。後からやったDNA鑑定が検察側鑑定人と被告側鑑定人と食い違うのはこのためである。

 私は法医学の知識もあり、裁判の誤判例のケースも知っているので、病理診断の誤診例はよくわかるつもりだ。

 最近、いくつかの公的病院で主治医が「病理診断の報告書を見落としていた」という事件が報じられたが、どうもその病院では病理診断の重要性、従って「病理医の重要性」が評価されていない危険性があるという印象を受けた。(システムとして病理診断の問題点を指摘しているので、病院の固有名詞は出さない。)
 その後、中国新聞の2018.7.2社説が「がん見落とし続発 教訓生かし再発を防げ」と題して施設名を挙げているのを知った。
 この社説には普段出て来ない病院名が出ている。これはいつもの中国のスタイルとは異なる。千葉大病院の例では9人の画像診断でがんを見落とし、うち4人で治療に影響があったという。兵庫県立がんセンター、横浜市立大病院でもがんの見落としが「発覚した」と報じている。

 この記事の文体は接続詞のない典型的な「ジャーナリスト文」で、新聞社説を書く人が書いたものには間違いない。しかし医療における被曝線量にまで踏み込んで書ける記者が「中国」にいるとは思えない。ひょっとするとこれは「共同」の社説記事が原型にある可能性があるな、と思った。
 地方紙の場合、共同が書いた社説を利用することもあるのは、ひろく知られている。

 以下は余談になる。近づいている地震に興味がない方には申し訳ない。
 新聞古紙の回収に来た販売店主の話によると、この前の地震で屋根の瓦が落ちたとのこと。
瓦葺き(かわらぶき)の屋根は耐震性が低い。
 コンクリートの土台にも「安芸灘地震」の際には、亀裂が入ったとのこと。
 いずれも「想定外」だったという。
 従来の地震と異なり、「太平洋プレート」そのものが、急激に動いており、ハワイ島の火山噴火や地震もこれと関連していることが一般には理解されていないようだ*。
 ★山崎晴雄・久保純子「日本列島100万年史:大地に刻まれた壮大な物語」(講談社Blue Backs,2017/1)

 貸してあげた、堀川恵子「教誨師」(講談社、2014/1)を読んで、販売店主が感激したとのこと。
 土地勘があるので、堀川恵子さんは私の育った里、現三次市三和町(みわちょう)出身としか考えられないとの話だった。

 ここ三和町の水系は 山陰の「江の川」水系に属し、水が日本海に注ぐ。
 今住んでいる東広島市福富町は分水嶺の南側にあり、河や池の水は瀬戸内海に注ぐ。ほぼ隣町なのに、これだけのちがいがある。
 従兄弟がそこに暮らしているので、今度、会ったら確かめたいと思う。

 (堀川恵子さんは 私の勤務先だった広島大総合科学部の卒業生で、綿密な調査にもとづいて、三和町の光永寺(こうえいじ)の次男坊で東京三田の東光寺に婿入りし、姓が毛利から渡辺と変わった僧が、死刑囚の教戒師として一生を捧げる話を文学に仕上げた。
 感動的な話だ。ぜひ死刑制度を維持すべきという論者にお読みいただきたい。

 連続殺人犯で少年死刑囚・永山則夫の手記「無知の涙」を読んだ人にも、堀川啓子さんのこの本はまだ広く知られていないと思う。死刑相当の犯罪の基準として、判例の「永山基準」に、名を残したことでも有名だ。連続殺人と大量殺人の点では、岡山県の津山の山奥の集落で起きた銃による三十余人の住民殺害事件が有名だが、犯人が3通の遺書を残して、銃で犯行後に自殺しているので、裁判にはなっていない。
 この事件は数年前だが、山口県周南町で起きた、連続的な町民殺害事件と構図がよく似ている。この事件は大阪どこかの町から戻ってきた 後の犯人を、住民が白眼視したと思い込んだ犯人が報復のためにやったと動機について、供述している。

 以前、屋久島のリゾート・ホテルに滞在した時、その日の新聞がホテルに届くのは夕方5時以降であるのに、驚いたことがある。子供の頃、新聞が翌日配達だったことを思い出した。
それくらい三次市三和町というところは、大田舎である。
 新聞報道のタイムラグの問題点については別の機会に論じたい。

 「朝日の質が良くなった」と話したら、素直に喜んでいた。紙新聞の購読率低下には悩んでいるとのこと。最近は最右派の産経が朝日報道に噛みつくケースも、滅多に起こらなくなった。
 社長が交代して、記事の改革が進展しているのだと思う。
 「読売に次いで2番目に読者が多い新聞なので、新聞離れは営業上痛い」という。

新聞は記者の意見を述べる場ではない。あくまでもニュース報道が中心であるべきだ。この辺のバランスが非常に難しいところだ。ともかく「5W1Hの原則」を守って、意見は解説欄で述べる新聞であってほしい。本田勝一の「中国の旅」ではないが、執筆者の思想がまずあって、それに沿うような事実だけがピックアップされているような記事や連載はもうご免だ。
 真実の報道がなされたかどうかは、読者が問題にしなくても、歴史が検証する。

 読み終えた古新聞の回収までやってくれると、紙新聞の読者も復活するのではなかろうか。
 ゴミの分別(ぶんべつ)出しが一般化したので、分類してゴミ出しするのは大変である。

 戦後はやった「ミネソタの卵売り」という流行歌に(歌手は江利ちえみ だったか?)「三日前の古新聞、読む気があったら買っとくれ」という歌詞の一節があったと記憶する。
 あの頃はまだ民放がなく、ホットな情報は父の手作りした真空管式ラジオで、NHKの放送を聴いていた。
 今は広島市立「舟入病院」なっている場所は 戦争中・戦後も「感染症患者の隔離病院」だったが、そこからの出火で倒壊したわが生家は全焼した。もちろんレコード・プレイヤーも丸焼けとなった。
 子供の時の習慣は生涯持続するものらしく、不器用でラジオが自作できない私は、未だに紙新聞の愛読者である。

【修復腎移植】その後、入って来た情報によると、
1. ジャーナリストの高橋幸春さんが雑誌「潮」の4月号から3回連続で「修復腎移植」の闘いについて、最新のレポートを掲載するとのこと。

 この記事については、今治の聖マルチン病院の名誉院長で、泌尿器科部長の西光雄先生から4月号の「PDF化したファイル」で送られてきた。高橋さんも西先生もご苦労様でした。
 戦略的には厚労省も透析医療費を減らすのに本腰を入れ始め、勝負の勝ちは見えてきたも 同然だが、「野球は9回から」というように、「勝つ!」と思って慢心すると、どこかに隙ができて、「アリの一穴(いっけつ)から、堤防が崩れる」という事態も起こりかねない。
 私はあまり戦力になっていないが、軍師としての才能はあると思うから、味方の慢心を戒めたい。
 それにしても「修復腎移植」に反対した学会指導者は いずれも透析医療にコミットしており、反対意見は「利益相反」の疑いがあることが、次第にジャーナリストの取材で明らかになりつつある。

 2. 前回「ノーナレ: “悪魔の医師”か“赤ひげ”か」を担当したNHK松山のディレクターから以下の案内があった。(それにしても「赤ひげ」という言葉。山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」が出典だ。同名の映画・DVDもあり、黒沢明監督の名画だが、昭和40(1965)年に一般公開(東宝系映画館)されているが、この言葉を知らない若い世代が増えているらしい。
 この年は東京オリンピックの公式記録映画「東京オリンピック」(市川崑監督)がやはり封切られている。

 2006年11月に「病腎移植」問題が浮上した時、患者のQOL(人生の質)をまず優先して考え、金のない患者には返って来ないことを知りつつ、金を貸したり、腎移植が必要な患者には、がんの腎臓でも患者にリスク説明した後、順番を繰り上げて腎移植をしたりという、万波誠医師の日常が、映画「赤ひげ」の主人公・新出居城(にいで・きょじょう、映画では三船敏郎が演じる)とそっくりだということから、患者たちがつけたあだ名である。
(これを機会に、原作の小説を読むか、映画をご覧になることをお薦めしたい。
 原作・映画「赤ひげ診療譚」の解説は以下に、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%B2%E3%81%92

 長﨑で最新のオランダ医学を学んだ若者の医師(映画では加山雄三が演じる。)が、「赤ひげ」の診療生活を観察するにつれ、地位や収入よりも本来の「医師の理想像がここにある」と目覚め、医師の社会的使命に気づき、幕府「小石川養生所」という診療所の一医師として働く道を選び、立身出世とは無縁に生きる話である。

<お世話になっております。
NHK松山放送局ディレクターの池座雅之です。

皆さまにご協力いただき制作した、万波医師と修復腎移植騒動のETV特集が、
いよいよ来週土曜日7月7日に放送になりますので、ご案内を差し上げました。

前回の「ノーナレ」から大幅に時間を拡大し、患者さんたちの切実な声や アメリカの移植医療の最新事情、万波医師の自宅でのインタビューなども加わっています。

一般の方にも、より深く、移植医療について考えていただける番組になったのではないか、と思っています。ぜひ、周囲の方々にもお知らせ頂ければと存じます。

(※転送歓迎※)
*******************************************
放送日時:7月7日(土)23:00~(59分)

番組名:ETV特集「“悪魔の医師”か”赤ひげか”~宇和島・腎移植騒動の12年~」

番組概要: 愛媛・宇和島で行われたある移植手術は、激しい批判と長年の論争を巻き起こした。週刊誌記者・学会・患者など多角的な証言から浮かび上がる、日本の医療と社会の姿とは-
 2006年、宇和島市の万波誠医師が行った手術が大きな波紋を呼んだ。
     がんなど病気の腎臓の患部を切除して移植する「病気(修復)腎移植」。
特殊な医療を独断で行ったと学会やマスコミから「人体実験だ」など猛烈な批判を 受けた。
一方、患者たちからは移植医療の選択肢として万波医師を支持する切実な声も広がった。
“医療のあり方”をめぐり論争を呼んだ 騒動のゆくえを、当事者たちの証言とアメリカでの移植の現状を交え描く。

ETV特集HP       :http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2018-07-07/31/11273/2259638/

               (7月1日より動画予告もご覧になれます)
NHKドキュメンタリーポータルサイト:https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259638/index.html

            (前回「ノーナレ」への反響等もリンクからご覧いただけます)
*******************************************
 
 皆さま、この番組は七夕の夜の11時からと遅いので、ぜひ録画してご覧下さい。
 やはりNHKは慢性透析の患者に対して、天の河の向こうから、天女に成り代わって、またとないギフトをもってきてくれるようだ。
 ご覧になっての感想は 私またはNHKの担当ディレクターにお知らせください。
私のメルアドは、konanba3@gmail.com

また、番組を観ての御感想などを直接、担当ディレクター
〒790-8501
愛媛県松山市堀之内5番地
NHK松山放送局 
放送部制作
ディレクター 池座雅之さん宛てに、送る方法もあります。
宛先は
EMail:ikeza.m-hq@nhk.or.jp
TEL:089-921-1123
FAX:089-921-3902
 2006年11月に表面化し以来、「修復腎移植」の公認をめぐる戦いも、やっと勝利の美酒で乾杯する時が、やっと近づいているようです。

 この闘いでは、専門の血液病理学(白血病と悪性リンパ腫)以外の、腎移植とか透析とか腎がんの分類と予後について、勉強しなおす必要がありましたが、幸い「病理学総論」の最新の英語専門書を読んでいたので、すぐに追いつきました。

 日本基準というのは、「ガラケー」に代表される島国の産物ですが、今、工業製品は仕様がISBN(国際基準)に統一されています。
 糖尿病の血糖値基準については、この前まで「日本糖尿病学会・基準」というのが通用していたのですが、国際基準に改定したら日本の糖尿病患者が著しく減少しました。
 つまりムダな医療費が削減できたのです。

 同じことは原爆医療費にも、透析医療費にもいえると思います。腎移植できる患者はどんどんドナーを増やせばいいのです。ただ透析医療で稼いでいる医療施設にとっては透析患者が減るので、好ましいことではありません。
 ただ、「病腎移植(修復腎移植)」を「悪い医療だ」と糾弾した学会指導者たちが、停年後は全員透析病院に就職した事実を見ると、やはり一種の「利益相反」があると見るのが普通でしょう。これは倫理的に許されないことです。

 近藤 誠さん(元慶応大病院放射線科講師)が「がんもどき理論」を雑誌「文藝春秋」に発表当時から、「支持する」と表明してきましたが、これもその後の勉強で病理学的にがんでないものを、臨床病理学者が日本基準に合わせて「がん」と診断していることが判明して、全ての謎が解けました。

 ABO式の血液型と性格との関連を信じているのは、日本とかつて日本の植民地だった朝鮮と台湾だけです。 この非科学的な説を広めたのは ある日本の心理学者です。昭和の初め1930年代のことです。

 いま「国際化」と称して、早期からの英語教育を重視し、英語で論文を書く風潮が高まっていますが、こういう「日本基準で思考する」ことを止めないかぎり、いつまでたっても日本の学問は国際的にならないのではないか、と思います。
 NIH(米・健康科学研究所)の国際奨学生に選ばれ、NCI(米国立がん研究所)に2年間、留学した間に、自分の頭を国際基準に切り換えるのに、たいへん苦労しましたが、その時の経験やアフリカでのエイズ調査とからんで、アフリカで輸血制度の実態と売春の実態を調査したことが脳の「国際化」に大変役立ちました。

 日本のODA(政府海外援助)の1/3がムダになっている、という指摘もありますが、日本がアフリカのエイズ撲滅に関して行った支援は、決してムダにはなっていません。
 あの時も、NHKは当時ディレクターだった池田恵理子さんが、JICAから入手した私の調査報告書をもとに、アフリカのエイズ実態を報道する取材班を送った。(池田恵理子「エイズと生きる時代」、岩波現代新書、1993/3)
 
 コマーシャルの入らないテレビ・ラジオ放送は 日本ではNHKしかない。
 米国には公共放送(PBC)があり、善意の寄付で成り立っており、無料で見られる。
寄付をするというのは、米国の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが先鞭をつけたように、プロテスタント派のキリスト教社会の特徴だ。 

 天候異変・地震の多発など、天変地異が相次いでおり、コマーシャルに依存しないNHKの報道は重要性を増している。
 情報過多の現代社会において、事実を伝え、解釈を誘導しないNHK放送の重要性は増していると、私は思う。

 誰だって1995(平成7)年1月17日の早朝に発生した「阪神大震災」の時には、すぐに起きてNHKのテレビ放送を録画したと思う。私は神戸の被災状況を心配する娘(当時はシアトルのワシントン州立大学だか、カーネギーメロン大学の生物学の大学院だかにいた。)にNHKの現地中継の録画テープを送った記憶がある。大地震にともなって発生した火災が痛ましかった。
 広島・長崎の劫火や1945年3月10日の東京大空襲がこれと似ているか、と思いながら見た。

 今回の
放送日時:7月7日(土)23:00~(59分)

番組名:ETV特集「“悪魔の医師”か”赤ひげか”~宇和島・腎移植騒動の12年~」
ETV特集HP       :http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2018-07-07/31/11273/2259638/

               (7月1日より動画予告もご覧になれます)
NHKドキュメンタリーポータルサイト:https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259638/index.html
をぜひお見逃しなく!
 この歴史的な番組を見逃したら、きっと貴方は一生後悔するでしょう。


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