ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【個人情報】難波先生より

2012-08-20 12:41:32 | 難波紘二先生
【個人情報】8/19のメルマガで、厚労省調査委員会の委員長だった相川厚(東邦医大)が患者を扇動したと述べた。
 これには証拠がある。


 2009年5月に相川は『日本の臓器移植:現役腎移植医のジハード』(河出書房新社)という本を出版した。この第4章が「病腎移植はなぜいけないのか」である。その中に彼が調査した5病院と6例のドナーのことが、そっくり、個人同定ができるかたちで書かれている。バカ「朝日」の記者は、この本の存在を知らずに記事を書いたのである。


 「症例4 腎嚢胞性患者から腎臓を摘出、移植に提供」(p.129-133)というのがそれで、「5病院」とは「三原日赤、岡山協立、川崎医大、備前市立吉永、北川」を指すことは、当時、岡山に住んでいたものにとって常識である。なおこの委員会には高原史も委員として参加していた。
 取り上げられた6例のうち「高齢者の腎嚢胞性患者」は備前市立吉永病院の患者だけであり、患者またはその家族が読めばすぐにわかる。


 「個人情報保護法」によれば、生存中の場合、本人の同意なくして、詳細な個人情報を公開することは禁じられている。しかもこれは、日当をもらって厚労省の仕事として行ったものである。その材料を使って、さらに印税で稼ごうというさもしい魂胆…。恐らく事前に患者の了承をえたろう(と思いたい)が、それは相川の「ジハード」の立場からすれば「あおり」行為だったろう。(彼のいうジハードとは「修復腎移植潰し」の意味である。)


 同書p.123には、(アメリカ移植学会誌に掲載された万波論文に対して)「日本移植学会は同誌宛て、この論文が事実に反していることを説明する論文を送り、同誌の編集委員会もその反論を認めて、同誌08年12月号に<編集委員会からの手紙>題して掲載されました。」と書いている。
 これは素人だましのペテンである。


 日本移植学会がオフィシャル・レターを送ったのではない。高原史を筆頭に仲谷、吉田克法らが個人で送ったもので、掲載されたのは12月号ではなく、11月号である。
 委員の高原が委員長をさしおいて、手紙の筆頭著者になっているのも、妙な話である。


 雑誌の編集委員会が「編集委員会からの手紙」を掲載することはありえない。あるとすれば「訂正(Errertum)」である。実際に掲載されたものは、「編集者への手紙(Letter to the editor)」である。
 論文の掲載には審査があるが、原則として編集委員会に掲載責任はない。日本移植学会と異なり、「言論の自由」を尊重するからである。まして「編集者への手紙」は原則として審査なしに掲載される。但し掲載前に、原著者に照会がある。原著者に拒否権はない。反論権はある。実際には「高原レター」は、万波論文のごく一部への異議申し立てで、それも不完全な調査にもとづき「尿管癌がドナーに転移した」と言い立てており、バカらしいから反論しなかっただけに過ぎない。


 自分で英語論文を書き、国際的な一流誌に投稿した経験をもつものなら、これらのことは常識である。それを知らなかったとすれば、一流でないということだ。知っていたとすれば、「アメリカ移植学会が、日本移植学会の抗議に応じて、詫び状を学会誌に掲載した」という誤情報を、意図的に素人の市民に流したということだ。


 この章の終わりはこうなっている。「…危険な病腎移植を模索する必要があるとは思えません。それよりも、亡くなった方からの腎臓提供を推進していくほうが、よほどスタンダードではないでしょうか。」こういう言説を「うどん屋の釜」という。その心は…「湯(ゆう)だけや」。


 この本出版の2年後、高原史はこう書いた。
 「…新・臓器移植法が施行されたが、死体から提供される臓器提供件数はほとんど増えていない(実際は減っている)。人口100万人当たりの年間臓器提供件数は1.5件程度であり、欧米先進国の15~40件に比べれば絶望的な少なさである。お隣の韓国の6~7件、台湾の5~6件に比べても大きく遅れている。脳死体からの肝・心・肺・膵移植数は以前の5倍程度にまで増加したが、必要とされる提供数にはほど遠く、献腎移植に至っては計算上の待機年数は100年近くにまで上昇している。」(「医学のあゆみ」2011/4/30号)


 これには説明が必要だろう。臓器移植法を改正して、「本人の意思表示がない場合は、脳死の場合、家族の同意だけで臓器提供ができる」ことになった。
これで少し脳死体からの臓器提供が増えたが、逆に心臓死からの臓器提供件数がぐんと減ったのである。心臓死した場合でも、腎臓は移植に使用できる。だから移植に使用できる腎臓数が大きく減ったというわけだ。そこで「100年待ち」というミゼラブルな状況になったのである。
 このことに対する移植学会幹部、ことに腎移植医による率直な反省の弁を聞いたことがない。読んだことがない。


 なぜ近隣諸国にくらべ、日本だけ突出して死後の臓器提供率が低いのか?
 答えは一つしかない。「移植医療不信」の存在だ。
 和田心臓移植を心から反省し、「第三の移植」を認め、移植医療に対する国民の信頼を取り戻すしか、対策はなかろう。
 その努力を行っておき、修復腎移植に責任転嫁するのは大きな間違いである。
 ベストセラーになった白石拓『医師の正義』(宝島社, 2008/7)では、「病腎移植」がトップに取り上げられ、熱烈な支援が送られている。
 国民の支持は、こちらにあることを知らなければいけない。
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