【桐山秀樹】
新聞が、自分の糖尿病を「糖質制限食」で克服したことを沢山の著書で書いた人物が突然死したと報じていた。「週刊新潮」2/25号に「糖質制限ダイエトに成功して急死した<桐山秀樹さん>の教訓」という4ページ記事が載っていたので読んで見た。
私は糖尿病のために「糖質制限食」を実行しているが、読むのは医学書だから「桐山秀樹」という人物を知らなかった。週刊新潮記事によると、桐山氏(62)は2/5「神戸のマンションから上京し、定宿のホテルにチェックインし、翌2/6にチェックアウトしないので、17:00に係員が部屋をチェックしたところ、パジャマ姿でベッドの上に倒れて死んでおり、そばにスーツがあった」という。起床後、着かえようとして心臓発作で死亡したと見られる。死亡推定時刻は「9〜10時」。医師は「心不全」とだけ説明したという。
「ス—パー糖質制限食」という「主食抜き」の実験的生き方をしていたのに、何で万一の時には病理解剖をして、死因と食事療法の関係が明らかになるように、手配をしていなかったのか、と思った。
「桐山秀樹」で蔵書目録をチェックしたら、1冊だけあった。
桐山秀樹:「<糖尿病治療>の深い闇:糖質制限食はなぜ異端視されてきたのか」, 東洋経済新報社, 2011/11。見返しのメモを見ると、2014/1に本屋で買って、読んだものだ。
もう中身は忘れていたが、読みなおしてみると、桐山氏は2010年初夏頃から、「呼吸困難、心臓が苦しい」などの自覚症状があったようだ(p26)。
本人は「風邪の悪化」としか思っていなかったようだが、「妻で文芸評論家の吉村祐美」に促されて、当時仕事場のあった旧軽井沢の町医「S医院」を受診した。
「仕事場から医院までは、林の中を歩いて10分余りの距離だが、その道のりが息苦しくて、途中で5,6度立ち止まらないとたどり着けなかった」とある。(p.32)
これは明らかに心臓・冠状動脈に異常がある徴候である。血液検査後3日目に歳受診すると、「糖尿病と心臓肥大です」と診断されている。本人は狭心症や心筋硬塞に無知だから、本には糖尿病に関する数値しか載っていないが、心筋の破壊を示すCPK(CK), GOT(AST), GPT(ALT)の数値も高かったはずだ。(今回「予定稿」査読を受けて、昔の酵素名略号がすっかり変わっていることに気づいて驚いた。括弧内が新しい略号である。)
要するに本と週刊誌の情報だけでは、桐山氏の死因が心筋硬塞、心筋炎、心肥大などの直接性の「心原性」のものなのか、「糖質制限食」に起因する別の障害に起因するものなのか、判断はできない。唯一の手がかりは初診時に「糖尿病と心肥大」と診断されていることだけだ。
しかし週刊誌記事でコメントしている新潟大名誉教授(予防医学)、「真島消化器クリニック」院長、愛知みずほ大学副学長(内科・糖尿病)などは、杉山の病歴などちっとも把握しないでコメントしているようだ。
糖質制限食を実行して糖尿病をコントロールしている著名人には、桐山本だけでなく、作家の宮本輝、鏑木蓮がいる。記事は彼らの意見も取り入れるべきだったと思う。
桐山本は、糖質制限食の発案者が、四国の市立宇和島市民病院整形外科部長をへて、同市に開業した釜池豊秋医師であること、1999年に京都高雄病院院長(当時)の江部洋一郎医師が、宇和島市で講演した際に、京大医学部の同級生である釜池医師に出会い、先駆けて「糖質制限食」を治療に導入している、自身も糖尿病患者である釜池医師から話を聞いた。
それが奇縁となり、高雄病院にこの治療法が導入されたが、これが本格的に採用されるようになったのは、自身も糖尿病である弟の江部康二医師が、「血糖値560mg/dL、HbA1c 14.5%」という重症糖尿病患者の「糖質制限食」による血糖コントロールに成功(2001)してからである、ということは桐山本が、きちんと紹介している。
桐山には代謝障害である糖尿病とは別に循環障害である冠状動脈・心臓の障害があった可能性があるが、病理解剖がなされていないので、断定できない。知識人の間で、もはや「糖質制限食」は常識になっており、もし週刊誌識者がいうように「糖質制限食」自体が、桐山の「急性心不全」の原因であるとするなら、今後も同様な急死例が多発するであろう。
桐山の書「<糖尿病治療>の深い闇」というタイトルは、「糖尿病は一生治らない、と患者に思いこませ、飲み薬やインシュリン注射を処方することが、医師にとって利益につながる」というパラドックスを指摘したものである。これは透析医が「腎移植」について、患者に情報を与えないのとよく似た構造だ。
桐山は
「私はこの機会に糖尿病と徹底的に向かい合うことを決意し、糖質制限食に効果があるなら、進んで実験台になろうとした。」(p.137)と書いている。コントロールのない実験だから、成否のほどは何とも言えない。
桐山は62歳で急死したが、その晩年を「糖質制限食」の意義についてPRした(もちろん本を書いて金もうけもした)。そのことには意義があったと私は考えたい。
<2/24追記=書店で「サンデー毎日」3/6号に「桐山秀樹ショック!<糖質制限>大バトル」という記事が載っているのを見つけて、買ってきて読んだ。これは針小棒大なあおり記事である。真実を解明するよりも、雑誌が売れる方が重要らしい。
この記事の京都高雄病院・江部康二医師の証言を読んで判明したのは、桐山には「かかりつけ医」がおらず、自費購入した簡易血糖値測定器で「血糖値測定」だけして安心していたようだ。
江部医師曰く、「私は彼(桐山)に会う度に循環器内科での画像診断を勧めてきました。というのは、血糖値が下がったと喜んでいましたが、現在の動脈硬化がどんな状態なのか、血液検査ではわからないからです。」そしてこうも述べている。
「桐山さんが亡くなられたことは…糖質制限が原因ではないと思います。2010年に気分が悪くなり、病院を受診し、200mg/dLを超える高血糖、高血圧、肥満、脂質異常を指摘された、と。その少し前に糖尿病性網膜症になっていたようで、動脈硬化はかなり進行していたのではないかと考えられます。」とある。
急性病の場合は「原状回復=完治」がありえるが、糖尿病や慢性肝炎のような慢性病にはこれはありえない。皮膚のシャープな傷なら「一次治癒」が起こり、傷痕が残らないことがありえるが、化膿したりして回復が長引くと「二次治癒」つまり瘢痕を残しての治癒になる。傷は治っても場所によっては瘢痕による機能障害が残る。
病気の治癒も原理的にはこれと変わらない。糖尿病性網膜症というのは、網膜にある細動脈に糖尿病による硬化症が起こって発症する。同じような細動脈硬化は心臓や腎臓にも起こる。
糖尿病性腎症の腎臓を、糖尿病のないレシピエントに移植した場合、病変が完全に消えることは実証されているが、糖尿病患者の心臓を移植に用いた例はないと思う。(初期不良を起こすリスクが高いから、恐ろしく移植医がためらうだろう。そこで糖尿病性冠状動脈硬化症が、可逆性かどうかの確たる証拠がない。
不思議なのは桐山の著者には、「主治医」または「かかりつけ医」の名前が出て来ない。
p.48に、「自己血糖測定装置」を手に入れたいと医師に頼んだら、「それはインスリンを打つ患者にしか許可されていません」と一言で断られた。「…この時点で、私はこの医師に絶望した。」とある。
つまりよい「医師・患者関係」の構築に失敗したわけだ。
「医者を選ぶのも寿命のうち」というから、医者に見切りをつけて<独力で糖尿病を治せる>と思った桐山の自己責任が大きいだろう、とうのが記事を読んでの感想だ。)
新聞が、自分の糖尿病を「糖質制限食」で克服したことを沢山の著書で書いた人物が突然死したと報じていた。「週刊新潮」2/25号に「糖質制限ダイエトに成功して急死した<桐山秀樹さん>の教訓」という4ページ記事が載っていたので読んで見た。
私は糖尿病のために「糖質制限食」を実行しているが、読むのは医学書だから「桐山秀樹」という人物を知らなかった。週刊新潮記事によると、桐山氏(62)は2/5「神戸のマンションから上京し、定宿のホテルにチェックインし、翌2/6にチェックアウトしないので、17:00に係員が部屋をチェックしたところ、パジャマ姿でベッドの上に倒れて死んでおり、そばにスーツがあった」という。起床後、着かえようとして心臓発作で死亡したと見られる。死亡推定時刻は「9〜10時」。医師は「心不全」とだけ説明したという。
「ス—パー糖質制限食」という「主食抜き」の実験的生き方をしていたのに、何で万一の時には病理解剖をして、死因と食事療法の関係が明らかになるように、手配をしていなかったのか、と思った。
「桐山秀樹」で蔵書目録をチェックしたら、1冊だけあった。
桐山秀樹:「<糖尿病治療>の深い闇:糖質制限食はなぜ異端視されてきたのか」, 東洋経済新報社, 2011/11。見返しのメモを見ると、2014/1に本屋で買って、読んだものだ。
もう中身は忘れていたが、読みなおしてみると、桐山氏は2010年初夏頃から、「呼吸困難、心臓が苦しい」などの自覚症状があったようだ(p26)。
本人は「風邪の悪化」としか思っていなかったようだが、「妻で文芸評論家の吉村祐美」に促されて、当時仕事場のあった旧軽井沢の町医「S医院」を受診した。
「仕事場から医院までは、林の中を歩いて10分余りの距離だが、その道のりが息苦しくて、途中で5,6度立ち止まらないとたどり着けなかった」とある。(p.32)
これは明らかに心臓・冠状動脈に異常がある徴候である。血液検査後3日目に歳受診すると、「糖尿病と心臓肥大です」と診断されている。本人は狭心症や心筋硬塞に無知だから、本には糖尿病に関する数値しか載っていないが、心筋の破壊を示すCPK(CK), GOT(AST), GPT(ALT)の数値も高かったはずだ。(今回「予定稿」査読を受けて、昔の酵素名略号がすっかり変わっていることに気づいて驚いた。括弧内が新しい略号である。)
要するに本と週刊誌の情報だけでは、桐山氏の死因が心筋硬塞、心筋炎、心肥大などの直接性の「心原性」のものなのか、「糖質制限食」に起因する別の障害に起因するものなのか、判断はできない。唯一の手がかりは初診時に「糖尿病と心肥大」と診断されていることだけだ。
しかし週刊誌記事でコメントしている新潟大名誉教授(予防医学)、「真島消化器クリニック」院長、愛知みずほ大学副学長(内科・糖尿病)などは、杉山の病歴などちっとも把握しないでコメントしているようだ。
糖質制限食を実行して糖尿病をコントロールしている著名人には、桐山本だけでなく、作家の宮本輝、鏑木蓮がいる。記事は彼らの意見も取り入れるべきだったと思う。
桐山本は、糖質制限食の発案者が、四国の市立宇和島市民病院整形外科部長をへて、同市に開業した釜池豊秋医師であること、1999年に京都高雄病院院長(当時)の江部洋一郎医師が、宇和島市で講演した際に、京大医学部の同級生である釜池医師に出会い、先駆けて「糖質制限食」を治療に導入している、自身も糖尿病患者である釜池医師から話を聞いた。
それが奇縁となり、高雄病院にこの治療法が導入されたが、これが本格的に採用されるようになったのは、自身も糖尿病である弟の江部康二医師が、「血糖値560mg/dL、HbA1c 14.5%」という重症糖尿病患者の「糖質制限食」による血糖コントロールに成功(2001)してからである、ということは桐山本が、きちんと紹介している。
桐山には代謝障害である糖尿病とは別に循環障害である冠状動脈・心臓の障害があった可能性があるが、病理解剖がなされていないので、断定できない。知識人の間で、もはや「糖質制限食」は常識になっており、もし週刊誌識者がいうように「糖質制限食」自体が、桐山の「急性心不全」の原因であるとするなら、今後も同様な急死例が多発するであろう。
桐山の書「<糖尿病治療>の深い闇」というタイトルは、「糖尿病は一生治らない、と患者に思いこませ、飲み薬やインシュリン注射を処方することが、医師にとって利益につながる」というパラドックスを指摘したものである。これは透析医が「腎移植」について、患者に情報を与えないのとよく似た構造だ。
桐山は
「私はこの機会に糖尿病と徹底的に向かい合うことを決意し、糖質制限食に効果があるなら、進んで実験台になろうとした。」(p.137)と書いている。コントロールのない実験だから、成否のほどは何とも言えない。
桐山は62歳で急死したが、その晩年を「糖質制限食」の意義についてPRした(もちろん本を書いて金もうけもした)。そのことには意義があったと私は考えたい。
<2/24追記=書店で「サンデー毎日」3/6号に「桐山秀樹ショック!<糖質制限>大バトル」という記事が載っているのを見つけて、買ってきて読んだ。これは針小棒大なあおり記事である。真実を解明するよりも、雑誌が売れる方が重要らしい。
この記事の京都高雄病院・江部康二医師の証言を読んで判明したのは、桐山には「かかりつけ医」がおらず、自費購入した簡易血糖値測定器で「血糖値測定」だけして安心していたようだ。
江部医師曰く、「私は彼(桐山)に会う度に循環器内科での画像診断を勧めてきました。というのは、血糖値が下がったと喜んでいましたが、現在の動脈硬化がどんな状態なのか、血液検査ではわからないからです。」そしてこうも述べている。
「桐山さんが亡くなられたことは…糖質制限が原因ではないと思います。2010年に気分が悪くなり、病院を受診し、200mg/dLを超える高血糖、高血圧、肥満、脂質異常を指摘された、と。その少し前に糖尿病性網膜症になっていたようで、動脈硬化はかなり進行していたのではないかと考えられます。」とある。
急性病の場合は「原状回復=完治」がありえるが、糖尿病や慢性肝炎のような慢性病にはこれはありえない。皮膚のシャープな傷なら「一次治癒」が起こり、傷痕が残らないことがありえるが、化膿したりして回復が長引くと「二次治癒」つまり瘢痕を残しての治癒になる。傷は治っても場所によっては瘢痕による機能障害が残る。
病気の治癒も原理的にはこれと変わらない。糖尿病性網膜症というのは、網膜にある細動脈に糖尿病による硬化症が起こって発症する。同じような細動脈硬化は心臓や腎臓にも起こる。
糖尿病性腎症の腎臓を、糖尿病のないレシピエントに移植した場合、病変が完全に消えることは実証されているが、糖尿病患者の心臓を移植に用いた例はないと思う。(初期不良を起こすリスクが高いから、恐ろしく移植医がためらうだろう。そこで糖尿病性冠状動脈硬化症が、可逆性かどうかの確たる証拠がない。
不思議なのは桐山の著者には、「主治医」または「かかりつけ医」の名前が出て来ない。
p.48に、「自己血糖測定装置」を手に入れたいと医師に頼んだら、「それはインスリンを打つ患者にしか許可されていません」と一言で断られた。「…この時点で、私はこの医師に絶望した。」とある。
つまりよい「医師・患者関係」の構築に失敗したわけだ。
「医者を選ぶのも寿命のうち」というから、医者に見切りをつけて<独力で糖尿病を治せる>と思った桐山の自己責任が大きいだろう、とうのが記事を読んでの感想だ。)
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