【朴槿恵と「徳川家康」】拘留中の韓国の朴槿恵前大統領が、山岡荘八『徳川家康』を読んでいるという10/12「朝鮮日報」の記事には驚いた。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/10/12/2017101200638.html
これは、1950〜1967まで18年間にわたり、「東京」ほか4ブロック紙にわたり連載された小説で、文庫本(講談社)で26巻もある。ジュール・ロマン「善意の人々」と並び、世界で一番長い小説だそうだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7_(%E5%B1%B1%E5%B2%A1%E8%8D%98%E5%85%AB)#.E9.96.A2.E9.80.A3.E6.9B.B8.E7.B1.8D
朴槿恵(1952〜)の父朴正煕(1917〜1979)は、日本名を高木正雄といい日本の陸軍士官学校を首席で卒業しているから、『徳川家康』を日本語で読んだ可能性があるが、娘の方は韓国語訳で読んでいるのではなかろうか?と思う。
WIKIによると、朴正煕は<貧しい農家の5男2女の末子として生まれた。父親は科挙に合格したが、韓国が日本に併合された後に没落し、墓守をしていた。>とあり、「日帝」による義務教育制度の導入により、奨学金をえて師範学校に進学、後に学費無料の士官学校に進んだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95#.E6.9C.9D.E9.AE.AE.E5.8F.B2.E8.A6.B3
その生涯を見ると、性格と行動が「豊臣秀吉」−「徳川家康」−「織田信長」と変化している。「本能寺の変」は、1971年の中央情報部長金載圭による朴正煕大統領射殺事件に相当するだろう。こう見てくると、もう終わった人である朴槿恵は、山岡荘八のこの長編小説に亡父のイメージを重ね合わせて読んでいるのだろうか?と思った。
父親のこの言葉、<日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。
さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。>
(金完燮 『日韓「禁断の歴史」』小学館)>
を娘がちゃんと読んでいれば、慰安婦問題も日韓関係もあれほど悪化することはなかったろうに、と思う。
「記事転載は事前にご連絡いただきますようお願いいたします」
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これは、1950〜1967まで18年間にわたり、「東京」ほか4ブロック紙にわたり連載された小説で、文庫本(講談社)で26巻もある。ジュール・ロマン「善意の人々」と並び、世界で一番長い小説だそうだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7_(%E5%B1%B1%E5%B2%A1%E8%8D%98%E5%85%AB)#.E9.96.A2.E9.80.A3.E6.9B.B8.E7.B1.8D
朴槿恵(1952〜)の父朴正煕(1917〜1979)は、日本名を高木正雄といい日本の陸軍士官学校を首席で卒業しているから、『徳川家康』を日本語で読んだ可能性があるが、娘の方は韓国語訳で読んでいるのではなかろうか?と思う。
WIKIによると、朴正煕は<貧しい農家の5男2女の末子として生まれた。父親は科挙に合格したが、韓国が日本に併合された後に没落し、墓守をしていた。>とあり、「日帝」による義務教育制度の導入により、奨学金をえて師範学校に進学、後に学費無料の士官学校に進んだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95#.E6.9C.9D.E9.AE.AE.E5.8F.B2.E8.A6.B3
その生涯を見ると、性格と行動が「豊臣秀吉」−「徳川家康」−「織田信長」と変化している。「本能寺の変」は、1971年の中央情報部長金載圭による朴正煕大統領射殺事件に相当するだろう。こう見てくると、もう終わった人である朴槿恵は、山岡荘八のこの長編小説に亡父のイメージを重ね合わせて読んでいるのだろうか?と思った。
父親のこの言葉、<日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。
さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。>
(金完燮 『日韓「禁断の歴史」』小学館)>
を娘がちゃんと読んでいれば、慰安婦問題も日韓関係もあれほど悪化することはなかったろうに、と思う。
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