ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【間抜け】難波先生より

2013-09-17 12:58:38 | 難波紘二先生
【間抜け】「間」とは本来は空間的スペースのことだ。だから部屋を間という。芝居や落語ではセリフとセリフの継ぎ目の間隔をいう。音楽では休止符による楽節や楽章の切れ目をいう。(「広辞苑」、「国語大辞典」)


 「間」は聴き手に最大効果を与える空白時間として経験的に認識されてきたものだが、ちゃんと大脳生理学的な意味がある。
「間」は、0.5秒前後が望ましい。なぜなら耳から入った音が大脳の聴覚中枢に伝えられ、そこで処理されて前頭葉に伝えられ、意味として理解されるか、感動として理解され、意識として立ち現れるまでに(個人差があるが)、およそ0.5秒かかるからだ。


 久しぶりにNHK・TVを見たらNスペで「消費税」問題をやっていた。アナウンサーと政治家の甘利以外は、しゃべり方が「間抜け」であきれてしまった。きっと演説も大学での講義もしたことがないのであろう。客寄せの講演会では、聴衆は講師の着衣とかネクタイを見ていて、ろくに話を聞いていないから、それでよいのである。


 テレビのゲストの話は、「、」が来るべき所で間をおき、「。」のところで間を置いていないから、「立て板に水」式のしゃべりになる。発音も下手で、何を言っているのかさっぱり判らない。小泉純一郎が天才的だったのは、短い決めぜりふを美事な間を置いてしゃべったからだ。「ワンフレーズ・ポリティックス」という批判も、ポピュリズムだという批判もあったが、政治家というものは、リンカーンであれ、ヒトラーであれ、言葉で人を動かさないといけない。


 日本語が崩れたのは1974年の全共闘運動以来だ。あの世代の影響を受けた若者に「われわれわぁー」という語尾を上げる独特の発音法が始まった。
 もうひとつは関西の「早口漫才」に端を発する、セリフ間にほとんど間を置かないしゃべり方である。漫才ならわかれば笑うし、判らなければ笑わないから、反応がすぐにわかる。が、論理的な理解を要するような話は、これではダメだ。


 アナウンサーは発音や話し方について、きちんとトレーニングを受けている。が、出ていたゲストはそういう基本ができていない。あの程度の人物でも東京では通用するのか思わすような、発音としゃべり方、それに中味だった。見ておれず、途中で席を立った。


 独立した家計を営むようになってからずっと、NHK受信料はちゃんと払ってきた。大阪での受信料支払い率(不払い率ではない)は25%だそうだ(上記書P.175)。
 映画にはオーディションがあるが、NHKにはない。まともな日本語も喋れず、中味のある話もできないような人物を、NHKに出さないでもらいたい。さもなくば、もっと多くの人が対抗措置を取るようになるだろう。三橋本にはテレビからカードを抜き取るだけでよいと書いてある。
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