ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

1-4-2016鹿鳴荘便り/難波先生より

2016-01-04 14:58:31 | 難波紘二先生
新しい年になった。今年は「修復腎移植」の公認へむけて、新たな動きが起こることを大いに期待したい。

年末に配信リストで重複があるもの、デーモンになって戻ってくるものなどを整理したので、一部に不着が起こるかも知れない。引き続き配信をご希望の方は、その旨お知らせください。

個人的にはできるだけ時間をつくって、今年はギリシア語とヘブライ語、アラビア語の勉強を始めたいと思っている。古代フェニキア語まで遡れば、アルファベットは共通だから、やってできないほどの事とではないだろうと思っている。
またおいおいに、進歩のほどはお知らせしたい。

2日に【初詣】に行って来た。といっても神社仏閣ではない。元旦の「中国」が広島県北西部「三段峡」近くの山中にある「安芸太田町那須地区」を大写真入りで、詳しく報じていた。かつて50軒以上あった集落が高齢化により現住は5戸、それも正月にはみな広島市などの都会に行き、無住になるという。

自宅からは向原ー吉田ー安芸高田と走り中国自動車道に載り、戸河内インターで降りると1時間ちょっとで行ける。太田川の源流を高い崖にそった県道(1車線!)をくねくねと走り、北の山裾の谷川にそった町道を登ると、本当に山の奥の袋小路になったところに、問題の集落があった。(Fig.1 Google Map)

右端の細長い広場の谷川に立っている屋根に茶色の瓦が載っているのが、小学校の跡だ。北側に各種記念碑が立ち、エノキ大木もあった。
Googleの文字の上にある広場は遺棄されたゲートボール場で、上にヘリポートもある。農地はほとんどなく、かつては林業で成り立っていたと見える。

 往時の家の配置を示した看板が廃校のそばに残っていた。(Fig.2)
左上、谷川の曲がるところに「集会所」とあり、廃校が地区の集会所として用いられていたことがわかる。この集落はもはや「ゴーストタウン」としかいいようがない。

 集落そのものには見るところがほとんどなかったが、途中の町道の山側には丸石を積み重ねた石垣があり、ここに生えた苔が美事だった。真冬なのに青々としていて、近寄って観察したら少なくとも4種類はあり、そのうち1種は我が家の庭では見られないものだった。

 この「苔むした玉垣」だけでも一見の価値があるな、と思った。
 今年もこうした「廃集落」が増えて行くことだろう。

 今回は、
1.【書評など】
2.【キング・コング】
3.【ブレークスルー】
4.【何が必要か?】
5.【カフェインのLD50】
6.【薬食い】
7.【家守と井守】(写真4枚)
という7つの話題を取りあげました。
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