今日は予定通り、ハイキングに行ってきた。西武鉄道主催の「里山再生の森 三富今昔村を訪ねる」街並みウォークだ。
朝はいつも通りに自転車で東川口駅へ行き、武蔵野線で新秋津駅まで。秋津駅から所沢駅乗り換えで、航空公園駅まで行く。
駅前で受付を済ませ、直ぐにスタート。駅前広場には「航空発祥の地『文化の薫る ところざわ』」と書かれたモニュメントが立ち、飛行機が展示されていた。
説明板を見ると、YS11型輸送機だそうだ。
ー説明板からー
YSー11は日本の航空工業界が総力を挙げて開発した唯一の本格的な近距離用のターボブロップ中型旅客機です。1962年(昭和37年)8月に初飛行し、182機が製造され、国内需要だけでなく、世界各国に輸出されました。展示のJA8732機は1969年(昭和44年)に製造された第101号機で……略……1977年(平成9年)4月13日の大島⇒東京便を最後に、総飛行時間52,991時間、総飛行回数58,253回で現役を引退しました。
私が小さかった頃、YS11について新聞やテレビで報じていたことを覚えている。戦後初の国産旅客機ということで、幼心にも誇らしかった。
並木通りのケヤキが紅葉し、日が当たってとてもきれいだ。しかし、風が強く、落ち葉が物凄い。
東京航空交通管制部のある交差点を曲がり、住宅地を通る。歩道を歩いていると、強風の中を鳥が飛んできた。スズメかと思ったら、ホオジロだ。今季初の出会いだ。
富士見公園で休憩する。園内の木々も紅葉している。黄色くなった葉の間に数羽の鳩が止まっている。
下富中央交差点で曲がると、茶畑が広がっていた。狭山茶の産地だ。その先には畑が広がっている。この辺りは丘陵地なため、田圃はない。確か、上富、中富、下富を合わせて三富新田と呼ばれたところだ。昔、社会科で勉強した記憶がある。
今日の目的の一つである三富今昔村に着いた。”体験型環境教育”フィールドとして複数の施設を総称したものが三富今昔村だそうだ。
入口で若い女性がパンフレットを配っている。見ると、石坂工業株式会社と名前が入っている。公共の施設ではなく、企業が運営しているようだ。
中に入ると水車小屋が復元されている。大きな二階建ての家屋があり、「三富今昔語りべ館」と表示されている。物置のような建物の中に入ると、黄色い昔の三輪トラックが置いてある。その隣にも古い軽自動車が置いてある。
語りべ館に入ると、昔の農具や生活用具がたくさん展示されている。昔懐かしいラジオや火鉢を見ていると、子ども時代を思い出す。今から思えば不便な生活をしていたものだが、当時は不便を不便とは思わなかった。
語りべ館を出ると、工場のようなところを通る。石坂産業がやっている「リサイクル化総合プラント」だそうだ。見学の予定はなく、「くぬぎの森交流プラザ」に行く。プラザの建物に入ると、レストランになっていた。ただし、持ち込みは禁止だそうだ。
仕方なく建物の外に行くと椅子とテーブルがあった。そこで、時間は早かったがコーヒーとおにぎりを食べる。
その後、くぬぎの森に入る。鬱蒼とした森で野鳥がいそうな感じだ。あちこち探しながら歩いたが、野鳥の姿はなかった。
森を抜けると、また畑が広がっている。歩いていくと、畑の向こうに富士山が見えた。大きな農家は、皆、屋敷森に囲まれている。北側に大きな木があり、南側が開かれていて日当たりがよさそうだ。
轟音がするので空を見上げたら、自衛隊機が飛んできた。自衛隊の必要性は理解できるが、基地の騒音は住民にとっては大きな問題だろう。
ニンジン畑の向こうに山並みが見える。丹沢山系だろう。三角の山は御岳山のようだ。
畑を見ながら行くと、先ほど通った下富中央交差点に出た。来た道とは違う道を行くと、やがて町中に戻ってきた。フェンスに囲まれた広大な空き地があった。基地かと思ったら、米軍の通信基地だそうだ。
町中を歩き、ゴールの新所沢駅に着いたのが午後12時半だった。今日は木枯らしの中を歩いたので、少々疲れた。
新所沢駅から所沢駅乗り換えで秋津駅に戻る。新秋津駅まで行く途中で昼食にした。おにぎりを一つ食べただけだったので、お腹が空いていた。
家に帰ると万歩計は22,610歩で16.7kmになっていた。今日のコースは見どころが少なく、野鳥もホオジロと出会っただけで物足りない気がする。
朝はいつも通りに自転車で東川口駅へ行き、武蔵野線で新秋津駅まで。秋津駅から所沢駅乗り換えで、航空公園駅まで行く。
駅前で受付を済ませ、直ぐにスタート。駅前広場には「航空発祥の地『文化の薫る ところざわ』」と書かれたモニュメントが立ち、飛行機が展示されていた。
説明板を見ると、YS11型輸送機だそうだ。
ー説明板からー
YSー11は日本の航空工業界が総力を挙げて開発した唯一の本格的な近距離用のターボブロップ中型旅客機です。1962年(昭和37年)8月に初飛行し、182機が製造され、国内需要だけでなく、世界各国に輸出されました。展示のJA8732機は1969年(昭和44年)に製造された第101号機で……略……1977年(平成9年)4月13日の大島⇒東京便を最後に、総飛行時間52,991時間、総飛行回数58,253回で現役を引退しました。
私が小さかった頃、YS11について新聞やテレビで報じていたことを覚えている。戦後初の国産旅客機ということで、幼心にも誇らしかった。
並木通りのケヤキが紅葉し、日が当たってとてもきれいだ。しかし、風が強く、落ち葉が物凄い。
東京航空交通管制部のある交差点を曲がり、住宅地を通る。歩道を歩いていると、強風の中を鳥が飛んできた。スズメかと思ったら、ホオジロだ。今季初の出会いだ。
富士見公園で休憩する。園内の木々も紅葉している。黄色くなった葉の間に数羽の鳩が止まっている。
下富中央交差点で曲がると、茶畑が広がっていた。狭山茶の産地だ。その先には畑が広がっている。この辺りは丘陵地なため、田圃はない。確か、上富、中富、下富を合わせて三富新田と呼ばれたところだ。昔、社会科で勉強した記憶がある。
今日の目的の一つである三富今昔村に着いた。”体験型環境教育”フィールドとして複数の施設を総称したものが三富今昔村だそうだ。
入口で若い女性がパンフレットを配っている。見ると、石坂工業株式会社と名前が入っている。公共の施設ではなく、企業が運営しているようだ。
中に入ると水車小屋が復元されている。大きな二階建ての家屋があり、「三富今昔語りべ館」と表示されている。物置のような建物の中に入ると、黄色い昔の三輪トラックが置いてある。その隣にも古い軽自動車が置いてある。
語りべ館に入ると、昔の農具や生活用具がたくさん展示されている。昔懐かしいラジオや火鉢を見ていると、子ども時代を思い出す。今から思えば不便な生活をしていたものだが、当時は不便を不便とは思わなかった。
語りべ館を出ると、工場のようなところを通る。石坂産業がやっている「リサイクル化総合プラント」だそうだ。見学の予定はなく、「くぬぎの森交流プラザ」に行く。プラザの建物に入ると、レストランになっていた。ただし、持ち込みは禁止だそうだ。
仕方なく建物の外に行くと椅子とテーブルがあった。そこで、時間は早かったがコーヒーとおにぎりを食べる。
その後、くぬぎの森に入る。鬱蒼とした森で野鳥がいそうな感じだ。あちこち探しながら歩いたが、野鳥の姿はなかった。
森を抜けると、また畑が広がっている。歩いていくと、畑の向こうに富士山が見えた。大きな農家は、皆、屋敷森に囲まれている。北側に大きな木があり、南側が開かれていて日当たりがよさそうだ。
轟音がするので空を見上げたら、自衛隊機が飛んできた。自衛隊の必要性は理解できるが、基地の騒音は住民にとっては大きな問題だろう。
ニンジン畑の向こうに山並みが見える。丹沢山系だろう。三角の山は御岳山のようだ。
畑を見ながら行くと、先ほど通った下富中央交差点に出た。来た道とは違う道を行くと、やがて町中に戻ってきた。フェンスに囲まれた広大な空き地があった。基地かと思ったら、米軍の通信基地だそうだ。
町中を歩き、ゴールの新所沢駅に着いたのが午後12時半だった。今日は木枯らしの中を歩いたので、少々疲れた。
新所沢駅から所沢駅乗り換えで秋津駅に戻る。新秋津駅まで行く途中で昼食にした。おにぎりを一つ食べただけだったので、お腹が空いていた。
家に帰ると万歩計は22,610歩で16.7kmになっていた。今日のコースは見どころが少なく、野鳥もホオジロと出会っただけで物足りない気がする。