君はJ.Jこと、植草甚一を知っているか?
って若い人に聞いても判らないかもしれない。
いま世田谷文学館で「植草甚一/マイ・フェイヴァリット・シングス」展
をやっている。
明治生まれで1979年71才で亡くなるまで
風のように自由人であり続けた。
散歩と映画とミステリー小説とジャズをこよなく愛した人。
神田や下北沢の古本屋に通いつめたかと思えば
ニューヨークでjazzを聴いたり、神出鬼没。
展示では、自身が創刊した雑誌「宝島」が並んでいたり
日記や原稿があり、インタビューも聴ける。
雑学、古本と音楽。
スマートなオタクの元祖。
いや、やはりオタクではなく明るい自由人と言い換えた方がしっくりくる。
これほど自由に生きられた人はいないんじやないだろうか。
ファッションにもこだわり、
キャメルの煙草にベレー帽。赤いネクタイに白いスーツ。
ときにサイケなTシャツ姿。
好きになったものは、片っ端からスクラップ。
ユリイカやスイング・ジャズ批評、話の特集、プレーボーイに映画批評
毎日散歩して原稿書いては、コーヒーを飲みまた歩く。
こんな面白い爺さんがいた。
小さなことに囚われすぎる現在の日本に
J.Jは何かのヒントになる気がする。
って若い人に聞いても判らないかもしれない。
いま世田谷文学館で「植草甚一/マイ・フェイヴァリット・シングス」展
をやっている。
明治生まれで1979年71才で亡くなるまで
風のように自由人であり続けた。
散歩と映画とミステリー小説とジャズをこよなく愛した人。
神田や下北沢の古本屋に通いつめたかと思えば
ニューヨークでjazzを聴いたり、神出鬼没。
展示では、自身が創刊した雑誌「宝島」が並んでいたり
日記や原稿があり、インタビューも聴ける。
雑学、古本と音楽。
スマートなオタクの元祖。
いや、やはりオタクではなく明るい自由人と言い換えた方がしっくりくる。
これほど自由に生きられた人はいないんじやないだろうか。
ファッションにもこだわり、
キャメルの煙草にベレー帽。赤いネクタイに白いスーツ。
ときにサイケなTシャツ姿。
好きになったものは、片っ端からスクラップ。
ユリイカやスイング・ジャズ批評、話の特集、プレーボーイに映画批評
毎日散歩して原稿書いては、コーヒーを飲みまた歩く。
こんな面白い爺さんがいた。
小さなことに囚われすぎる現在の日本に
J.Jは何かのヒントになる気がする。