愛するココロ 作者 大隅 充
37
「これ。見える?」
由香がそう言いながらゆっくりとケイタイの液晶画面を
青く揺らいでいるロボットの視界に近づけた。
じっと見つめるエノケン一号の二つの目の中の焦点レンズ
が細かく前後に動いて、ケイタイの小さな画像にピントを
合わせて一点で止まった。そして大きく両目を瞬いた。
「何か思い出した?」
とトオルがエノケン一号の後ろに廻ってガチャ球マシーン
にお金を入れてレバーを廻した後の子供のようにウキウキ
して聞いた。
「ワタシ、ネムイデス」
青い目が薄い黄色に変化して焦点レンズが長く動いて
シャッター羽根を閉じた。
その動作がロボットのものとも思えずまるで眠気に勝てず
こっくりこっくりする老人みたいでつい笑い出してしまい
そうにトオルも由香もなった。
「まだ充電が完了してないのよ。」
「そりゃ、そうだよね。眠いときは眠い。」
「タダイマ、ケイサンデキマセン」
ぴゅうっと目玉の電源が再び切れた。
「いい夢見ろ。エノケンちゃん。」
由香からケイタイを奪い取るとトオルは椅子にどっかと
座って、カメラモードにしてパチリとスヤスヤエノケン一号
と困った由香の顔を激写した。
「こっちも眠いってー」
大きな欠伸をした。
一面の綿花畑を蒸気機関車が青空高く煙を上げて、
ロケットのように風を切って走っている。
先頭の豪華客車には、背広姿のごっつい男たちが
ウィスキーやスコッチの壜を片手に一車両占拠して、
飲むやつ、歌うやつ、ひたすら眠るやつで溢れ返っていた。
みんな遠征中のセントルイスのカージナルスの野球選手
たちだった。
その中でも一番賑わっている後ろの座席では、演芸コント
が繰り広げられていて笑いの渦が列車の走る音を
掻き消していた。
もっともその中心は、エノケンこと、エノ・モトリーノ
の動物物まねだった。カンガルーの外野手がお腹で
フライを捕って、袋の中のボールを捜すのに苦労して
なかなかバックホームができないという一人コントだった。
慌ててカンガルーが取り出すものが鍋だったり、ミルク壜
だったり、モルヒネの注射器だったりして、そのうち
ブルドッグの警官が追いかけて転んで逃げてのドタバタ模様。
涙流して笑っている白人選手たちをちらりと見て、
どうして自分は、少人数のところでしか人を笑わせることが
できないのだろうとエノケン自身深く苦笑いしながら自問して
ブラボーの拍手が起こったのを期に大げさなお辞儀をすると
目の前の空いてる席にどっかと腰を下ろした。
窓からは心地よい風が入って来ていた。
どこまで行っても白い綿花がキラキラ輝いて地の果てまで
つづいていた。白髪が目立ち出したエノケンは、ブロイラー
のように太っちょで緑の瞳の監督さんからすすめられた
コニャックを美味そうに車窓で飲んでは、遠く太平洋の彼方
を夢想した。
連結車両の通路から車掌がサインを貰いにニコニコして
入って来て、太っちょの監督に帽子を脱いでペンと
厚紙を差し出した。
監督も選手もうれしそうに口笛を吹きながらそれぞれ
にペンを執った。
ちょうど列車がはじめての緩やかなカーブに差し掛かった
とき、黄色い顔のエノケンを見つけて、切符はどうした
と急に車掌の顔色が変わってこんなとこに入り込みや
がってと通路へ追い立てた。
当然無賃乗車のエノケンは、馴れた調子で自分から立ち上
がって穴の開いた上着のポケットから親指を出して
おどけて見せたが、ピカピカに磨かれた車掌の革靴は
そんなジョークは許さずエノケンのお尻を容赦なく蹴った。
口笛や歌でワキアイアイだった野球選手たちの車両が
一瞬凍りついた。
次の瞬間太っちょの監督が緑の瞳を細めて、車掌に
大きな声で怒鳴った。
「手を出すな。エノは、うちの名物投手なんだ。
怪我でもさせたら只じゃすまんよ。」
「すいません。知りませんで・・・てっきり無賃乗車の
出稼ぎ野郎かと思いまして・・」
「エノって言うんだ。覚えてろ。」
はい、わかりましたと車掌は真っ赤な顔して慌てて
次の車両へ消えていった。
車内で拍手喝采の波が渦巻いた。
エノケンは、一言サンキュウ・サーと頬を膨らませて言った。
車両の先頭の座席にいた背の高いポロシャツの男が立ち
上がった。
ボブ・ギブソン投手だった。
彼は、長い右手を天井ぎりぎりのところで振って、
即席の東洋人の老選手に声をかけた。
ヘイ!エクサレント・エース!
次の瞬間、ボブは硬球のボールをエノ選手に投げて寄越した。
エノケンは、かろじてボールをキャッチするとアンダー
スローで投げ返してにやりと笑った。客車貸切のカージナ
ルスの面々は口笛から今度はエルビスの大合唱になった。
列車は,やがて赤い大地に呑まれていった。
「エノケンは、偶々移動の列車で南部の野球チームと
親しくなってそのチームに居候することになったって
いつも聞かされたっちゃ。」
夜勤明けで病院の駐車場に出てきた久美がそのケイタイ
のメールを確定して由香に送信した。
朝日が目に痛い。
大きく背伸びして久美は、自分の軽自動車に乗り込んだ。
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「これ。見える?」
由香がそう言いながらゆっくりとケイタイの液晶画面を
青く揺らいでいるロボットの視界に近づけた。
じっと見つめるエノケン一号の二つの目の中の焦点レンズ
が細かく前後に動いて、ケイタイの小さな画像にピントを
合わせて一点で止まった。そして大きく両目を瞬いた。
「何か思い出した?」
とトオルがエノケン一号の後ろに廻ってガチャ球マシーン
にお金を入れてレバーを廻した後の子供のようにウキウキ
して聞いた。
「ワタシ、ネムイデス」
青い目が薄い黄色に変化して焦点レンズが長く動いて
シャッター羽根を閉じた。
その動作がロボットのものとも思えずまるで眠気に勝てず
こっくりこっくりする老人みたいでつい笑い出してしまい
そうにトオルも由香もなった。
「まだ充電が完了してないのよ。」
「そりゃ、そうだよね。眠いときは眠い。」
「タダイマ、ケイサンデキマセン」
ぴゅうっと目玉の電源が再び切れた。
「いい夢見ろ。エノケンちゃん。」
由香からケイタイを奪い取るとトオルは椅子にどっかと
座って、カメラモードにしてパチリとスヤスヤエノケン一号
と困った由香の顔を激写した。
「こっちも眠いってー」
大きな欠伸をした。
一面の綿花畑を蒸気機関車が青空高く煙を上げて、
ロケットのように風を切って走っている。
先頭の豪華客車には、背広姿のごっつい男たちが
ウィスキーやスコッチの壜を片手に一車両占拠して、
飲むやつ、歌うやつ、ひたすら眠るやつで溢れ返っていた。
みんな遠征中のセントルイスのカージナルスの野球選手
たちだった。
その中でも一番賑わっている後ろの座席では、演芸コント
が繰り広げられていて笑いの渦が列車の走る音を
掻き消していた。
もっともその中心は、エノケンこと、エノ・モトリーノ
の動物物まねだった。カンガルーの外野手がお腹で
フライを捕って、袋の中のボールを捜すのに苦労して
なかなかバックホームができないという一人コントだった。
慌ててカンガルーが取り出すものが鍋だったり、ミルク壜
だったり、モルヒネの注射器だったりして、そのうち
ブルドッグの警官が追いかけて転んで逃げてのドタバタ模様。
涙流して笑っている白人選手たちをちらりと見て、
どうして自分は、少人数のところでしか人を笑わせることが
できないのだろうとエノケン自身深く苦笑いしながら自問して
ブラボーの拍手が起こったのを期に大げさなお辞儀をすると
目の前の空いてる席にどっかと腰を下ろした。
窓からは心地よい風が入って来ていた。
どこまで行っても白い綿花がキラキラ輝いて地の果てまで
つづいていた。白髪が目立ち出したエノケンは、ブロイラー
のように太っちょで緑の瞳の監督さんからすすめられた
コニャックを美味そうに車窓で飲んでは、遠く太平洋の彼方
を夢想した。
連結車両の通路から車掌がサインを貰いにニコニコして
入って来て、太っちょの監督に帽子を脱いでペンと
厚紙を差し出した。
監督も選手もうれしそうに口笛を吹きながらそれぞれ
にペンを執った。
ちょうど列車がはじめての緩やかなカーブに差し掛かった
とき、黄色い顔のエノケンを見つけて、切符はどうした
と急に車掌の顔色が変わってこんなとこに入り込みや
がってと通路へ追い立てた。
当然無賃乗車のエノケンは、馴れた調子で自分から立ち上
がって穴の開いた上着のポケットから親指を出して
おどけて見せたが、ピカピカに磨かれた車掌の革靴は
そんなジョークは許さずエノケンのお尻を容赦なく蹴った。
口笛や歌でワキアイアイだった野球選手たちの車両が
一瞬凍りついた。
次の瞬間太っちょの監督が緑の瞳を細めて、車掌に
大きな声で怒鳴った。
「手を出すな。エノは、うちの名物投手なんだ。
怪我でもさせたら只じゃすまんよ。」
「すいません。知りませんで・・・てっきり無賃乗車の
出稼ぎ野郎かと思いまして・・」
「エノって言うんだ。覚えてろ。」
はい、わかりましたと車掌は真っ赤な顔して慌てて
次の車両へ消えていった。
車内で拍手喝采の波が渦巻いた。
エノケンは、一言サンキュウ・サーと頬を膨らませて言った。
車両の先頭の座席にいた背の高いポロシャツの男が立ち
上がった。
ボブ・ギブソン投手だった。
彼は、長い右手を天井ぎりぎりのところで振って、
即席の東洋人の老選手に声をかけた。
ヘイ!エクサレント・エース!
次の瞬間、ボブは硬球のボールをエノ選手に投げて寄越した。
エノケンは、かろじてボールをキャッチするとアンダー
スローで投げ返してにやりと笑った。客車貸切のカージナ
ルスの面々は口笛から今度はエルビスの大合唱になった。
列車は,やがて赤い大地に呑まれていった。
「エノケンは、偶々移動の列車で南部の野球チームと
親しくなってそのチームに居候することになったって
いつも聞かされたっちゃ。」
夜勤明けで病院の駐車場に出てきた久美がそのケイタイ
のメールを確定して由香に送信した。
朝日が目に痛い。
大きく背伸びして久美は、自分の軽自動車に乗り込んだ。