幽霊屋敷 作者大隅 充
3
この冷たい風は、何かに似ている。そうだ。
あのときの風だ。
幽霊屋敷から吹いてきた冷たい風が半年前の春のあの風を
思い出させた。
あのとき冬戻りの北風は、夕張川の土手の雪を払うよう
に吹いていた。そして春氷が解けかけた川面を泣きながら
見つめていたヨッチンの涙も吹き飛ばしていった。
僕はすぐ上の小学校からちょうど寄り道して土手沿いに帰
ろうとして歩いてきたところで雪の川辺に座り込んでいる
ヨッチンを見つけたんだ。
ヨッチン!帰って来たんだ、とうれしくなって僕は思わず
叫んでしまった。
ヨッチンは、ほんの数日で背が伸びたのか大人びた顔で
ひょろりと立ち上がって振り返ると照れくさそうにヤア!
と笑った。
ヨッチン家の行方不明事件が起きたのは、その四日前だっ
た。僕らが五年生になったばかりの春、新学期なのにヨッ
チンが三日間連続で新学級を無断欠席していて、担任の野
村慶子先生と一緒にヨッチンの住んでいる駅前商店街の中
にある元喫茶店だった家に行っても窓にカーテンが締まっ
たまま誰も出てこなかった。
隣の熊谷のおじさんに聞いてみると一昨日から姿を見ない
ということで仕方なく引き返したんだ。
野村先生は、その後希望が丘病院にヨッチンのママを訪ね
て行ったがそこでも無断欠勤で行方がわからなかった。
ヨッチンが消えた。二日間はその噂で小学校でも持ちきり
だったが三日目には、学級員選挙でヨッチンの話題は、雨
上がりのアスファルトの水溜りみたいに見る見る消えてい
った。
そして僕がばったりヨッチンに川で会う前の日の夜、遅く
帰ってきた父ちゃんが止り木食堂でヨッチンとヨッチンの
ママが新夕張駅で札幌行きの電車に乗るのを見かけた肉屋
の吉田さんの話を聞いたと母ちゃんとテレビを見ながらし
ゃべっているのをテレビのボリュームを下げて僕はお茶呑
むふりして聞いた。
それは、ヨッチンのパパが二月から札幌に行ったきり帰っ
て来なくなって、ママと二人で札幌の働いていたというビ
ジネスホテルへ探しに行ったということだった。
中山敏春さんのとこは、二年前に喫茶店を廃業してからつ
うもんね。旦那さんのトシさんさ、札幌とかニセコのスキ
ー場とかホテルの賄いの出稼ぎに行くようになって、家明
けることが多くなってな。
そのうち一年もしないうちにニセコのホテルが倒産して金
を奥さんと子供の家に送金できなくなってよ。
仕事なんとか探したら夕張を引き払って札幌で一緒に暮ら
そうなんて話してたみたいでさ・・・二ヶ月三ヶ月と経っ
ていってよお。連絡も途切れがちになったとよ。
どうも札幌のビジネスホテル専門の清掃の仕事しとったよ
うで・・・
奥さんは、看護婦さんしてるんで、まだいがったがね。
息子のよっちゃんと二人でなんとか暮らしていけたんが、
病院が去年あたりから経費節約で給料がぐんと下がったよ
うでたまにトシさんが帰ってきても夫婦喧嘩が絶えなかっ
たみたいよ。
そのうちトシさん帰って来なくなって・・・
なんちゅうか、よくある話で。
トシさんな札幌で女ができたらしい。
その話をしてた肉屋の吉田さんは、ヨッチンのママと清水
沢中学時代の同級生って人で二十代からツルッパゲの色の
黒いおじさんで、僕も肉を買いに行ったときなんかオマケ
してくれてよく知っているけど、見てきたみたいにペラペ
ラしゃべるのに興奮すると唇の端に唾が溜まってくる癖が
あって、たぶんこのヨッチンの話を僕の父さんにしている
ときも唾が溜まっていたにちがいないと思う。
でも多少この話が大げさだったとしてもヨッチンの家族が
氷が解けてしまったオレンジジュースみたいに薄味になっ
ていたこととヨッチンのパパが帰って来なくなったことは、
事実で四年生の時よりヨッチンが元気がなくなっていくの
は、いつも一緒に遊んでいるとよくわかった。
そういえば遊びに行って今日はパパが帰ってるというとい
つもヨッチンがうれしそうにしていたのがだんだんパパが
帰ってると僕らに家に上げないで浮かない顔でそそくさと
自分から出てきて外へ遊びに行くようになった。
そのときよくヨッチンの家の中でパパとママが喧嘩をして
いたのを何回か見たことがあった。
ただヨッチンが涙を見せたのは、あの夕張川の冷たい風に
吹かれていたときだけだった。
それから五年生の一学期が終わるまで僕より背が五センチ
高くなったヨッチンは、今までと変わらずひょうきんでク
ラスの人気者だった。
元々クラスの人数が少ない清水沢小で父親がいなくなった
ヨッチンのことを噂したりいじめたりする者はいなかった。
しかしサッカークラブをやめた夏休みからヨッチンは、
シューパロの幽霊屋敷に異常な興味を示すようになって、
熊谷のタツヤ兄ちゃんが幽霊屋敷は夕方か夜に行かないと
オバケに会えないとか公園で中学生や僕ら小学生に話して
聞かせるのを熱心に聴いていた。
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この冷たい風は、何かに似ている。そうだ。
あのときの風だ。
幽霊屋敷から吹いてきた冷たい風が半年前の春のあの風を
思い出させた。
あのとき冬戻りの北風は、夕張川の土手の雪を払うよう
に吹いていた。そして春氷が解けかけた川面を泣きながら
見つめていたヨッチンの涙も吹き飛ばしていった。
僕はすぐ上の小学校からちょうど寄り道して土手沿いに帰
ろうとして歩いてきたところで雪の川辺に座り込んでいる
ヨッチンを見つけたんだ。
ヨッチン!帰って来たんだ、とうれしくなって僕は思わず
叫んでしまった。
ヨッチンは、ほんの数日で背が伸びたのか大人びた顔で
ひょろりと立ち上がって振り返ると照れくさそうにヤア!
と笑った。
ヨッチン家の行方不明事件が起きたのは、その四日前だっ
た。僕らが五年生になったばかりの春、新学期なのにヨッ
チンが三日間連続で新学級を無断欠席していて、担任の野
村慶子先生と一緒にヨッチンの住んでいる駅前商店街の中
にある元喫茶店だった家に行っても窓にカーテンが締まっ
たまま誰も出てこなかった。
隣の熊谷のおじさんに聞いてみると一昨日から姿を見ない
ということで仕方なく引き返したんだ。
野村先生は、その後希望が丘病院にヨッチンのママを訪ね
て行ったがそこでも無断欠勤で行方がわからなかった。
ヨッチンが消えた。二日間はその噂で小学校でも持ちきり
だったが三日目には、学級員選挙でヨッチンの話題は、雨
上がりのアスファルトの水溜りみたいに見る見る消えてい
った。
そして僕がばったりヨッチンに川で会う前の日の夜、遅く
帰ってきた父ちゃんが止り木食堂でヨッチンとヨッチンの
ママが新夕張駅で札幌行きの電車に乗るのを見かけた肉屋
の吉田さんの話を聞いたと母ちゃんとテレビを見ながらし
ゃべっているのをテレビのボリュームを下げて僕はお茶呑
むふりして聞いた。
それは、ヨッチンのパパが二月から札幌に行ったきり帰っ
て来なくなって、ママと二人で札幌の働いていたというビ
ジネスホテルへ探しに行ったということだった。
中山敏春さんのとこは、二年前に喫茶店を廃業してからつ
うもんね。旦那さんのトシさんさ、札幌とかニセコのスキ
ー場とかホテルの賄いの出稼ぎに行くようになって、家明
けることが多くなってな。
そのうち一年もしないうちにニセコのホテルが倒産して金
を奥さんと子供の家に送金できなくなってよ。
仕事なんとか探したら夕張を引き払って札幌で一緒に暮ら
そうなんて話してたみたいでさ・・・二ヶ月三ヶ月と経っ
ていってよお。連絡も途切れがちになったとよ。
どうも札幌のビジネスホテル専門の清掃の仕事しとったよ
うで・・・
奥さんは、看護婦さんしてるんで、まだいがったがね。
息子のよっちゃんと二人でなんとか暮らしていけたんが、
病院が去年あたりから経費節約で給料がぐんと下がったよ
うでたまにトシさんが帰ってきても夫婦喧嘩が絶えなかっ
たみたいよ。
そのうちトシさん帰って来なくなって・・・
なんちゅうか、よくある話で。
トシさんな札幌で女ができたらしい。
その話をしてた肉屋の吉田さんは、ヨッチンのママと清水
沢中学時代の同級生って人で二十代からツルッパゲの色の
黒いおじさんで、僕も肉を買いに行ったときなんかオマケ
してくれてよく知っているけど、見てきたみたいにペラペ
ラしゃべるのに興奮すると唇の端に唾が溜まってくる癖が
あって、たぶんこのヨッチンの話を僕の父さんにしている
ときも唾が溜まっていたにちがいないと思う。
でも多少この話が大げさだったとしてもヨッチンの家族が
氷が解けてしまったオレンジジュースみたいに薄味になっ
ていたこととヨッチンのパパが帰って来なくなったことは、
事実で四年生の時よりヨッチンが元気がなくなっていくの
は、いつも一緒に遊んでいるとよくわかった。
そういえば遊びに行って今日はパパが帰ってるというとい
つもヨッチンがうれしそうにしていたのがだんだんパパが
帰ってると僕らに家に上げないで浮かない顔でそそくさと
自分から出てきて外へ遊びに行くようになった。
そのときよくヨッチンの家の中でパパとママが喧嘩をして
いたのを何回か見たことがあった。
ただヨッチンが涙を見せたのは、あの夕張川の冷たい風に
吹かれていたときだけだった。
それから五年生の一学期が終わるまで僕より背が五センチ
高くなったヨッチンは、今までと変わらずひょうきんでク
ラスの人気者だった。
元々クラスの人数が少ない清水沢小で父親がいなくなった
ヨッチンのことを噂したりいじめたりする者はいなかった。
しかしサッカークラブをやめた夏休みからヨッチンは、
シューパロの幽霊屋敷に異常な興味を示すようになって、
熊谷のタツヤ兄ちゃんが幽霊屋敷は夕方か夜に行かないと
オバケに会えないとか公園で中学生や僕ら小学生に話して
聞かせるのを熱心に聴いていた。