カジュアル・アミーガ         本ブログの動画、写真及び文章の無断転載と使用を禁じます。

ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

三宅くん、入院

2007年12月19日 | めんちゃん日記
ねこ先生の病院には、預かった猫が何匹かいるよ。
その中でも6年前に三宅島の噴火被災で
引き受けた黒ねこの三宅くんは、6才になるよ。
でもこのところ元気がなく
どうも心臓病らしい。
点滴して、強制給餌だって。

誰かがテレビで言っていたけれど
神戸地震や新潟の災害でペットをつれてくるかどうかで
仮設の避難所での生活が違ってくるんだって。
ペットが一緒だと心のケアーに役立つそうだよ。
そんなことがいま映画になって町でやっているみたいだね。
「マリとその子犬ー」とか言う。
ぼくも、確かに、
カッパ姉ちゃんたちといると
ペットとは言わないけれど心が安らぐよ。

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北辰、斜めにさすところ

2007年12月18日 | 写真コラム
いつか来た道。
遊びつかれて
突然の冬の雨に誰もいない公園の滑り台の下で
雨宿り。
いつの頃からか雨がゆっくり降ってるな
と思ったら、綿雪に変わっていた。
子供の頃。
雪が降ると指がアカギレになった。
それでも遊んでいると
赤く腫れた指に白いタマができて
シモヤケになって痒かった覚えがある。
いま、あの冷たさや痛痒さはどこにいったのだろう。
今年の冬は、寒くなりそう。

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世田谷ボロ市

2007年12月17日 | 美術館・イベント
冬になると
恒例の世田谷ボロ市。
12月と1月の年に二回のイベント。
三軒茶屋から世田谷線で上町下車ではじまる
代官屋敷(せたがや郷土資料館)を中心に
規模の大きな露天市場。

古着から鍋、包丁、宝石、時計、はたまた土地測量器まで何でもあり。
甘酒、焼きそば、豚汁、おやきや野沢菜の地方物産展の屋台。


今年が430年目だという江戸時代よりも古くからここで
やっているそうです。
もともとは、小田原城の北条氏が楽市を開いたのが
はじまりだと言われています。
       
今回ボロ市の歩き方がやっとわかりました。
服とか時計とか装飾品とか古本とかお目当てを決めて
見て歩くとたのしさが増すことがわかりました。
ぐるぐる見たあげく、Seikoの時計をゲットしました。

フリーマーケットとの違いは、鍋や臼、刃物、籠などのプロの露天商
が新品を安く出品していることです。
衣類も新品がラストタイムサービスで半額以下で投げ売りになります。

漫才の青空好児さんも刑務所出品を出していました。



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おしっこは、他人の玄関にするな!

2007年12月16日 | めんちゃん日記
緑道を降りていくと、エーダンモールという
商店街に出るよ。
ぼくは、いつも30分歩いてここから
6丁目のDogcafeへ行くんだけど
散歩の延長でピーっておしっこしたら
「こら! わしの玄関におしっこするな!」
って怒られた。
あらら、エーダン犬のお家だったんだね。
それは、ごめんなさい。

ここは、確か商店街の入り口の大工さんの家の前で
石になったエーダン犬さんがいつもいるところだ。
屋根をつくってもらったんだ。
大工さんが飼っていたワンちゃんが亡くなって
石のエーダン犬にしてやったってウワサがあるって
カメラおじさんが言っていたけれど・・・・
本当?
「わしは、この辺の顔じゃ、ひとのことなんだかんだセンサクする前に
 おしっこのマナーぐらい覚えな。」
すみませんぅ。


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毛皮のめんちやん

2007年12月15日 | めんちゃん日記
カッパ姉ちゃんがコートを買って、
フードは大げさだからと外したので
ぼくは、抜け目なくその毛皮をくわえて
走り回ったよ。


 そしたらぼくの毛皮の上からそのフードの毛皮を
かぶせられたんだ。
せっかくエモノの毛皮くんに噛んで勝っていたのに
ぼくは、動けなくなったよ。
しかしそのフードの毛皮はぼくのものより落ちるよ。
ぼくの毛皮のツヤヤカさは、体脂肪率20%の賜物なんだもの。

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愛するココロ-39-

2007年12月14日 | 投稿連載
愛するココロ 作者 大隅 充
        39
乾燥室は、何のことはないボイラー室の天井配管に紐を張り
巡らして洗濯物を内干しする六畳ほどの地下室のことで他に、
掃除道具置き場でもあり、ホテルのシーツやタオル類を洗う
洗濯機が三台置かれた洗濯室でもあった。
 学は、ここが大嫌いだった。いつもここに来るときは何が
しかの折檻が待ち構えていた。
そこは、学の母親・歩美の職場だった。
歩美は、このビジネスホテルの深夜当番フロントが
仕事で午前三時と明け方の早番が出勤してくる九時頃
にこの乾燥室に来ては煙草を吸う。
まだ学が幼稚園のときは、この乾燥室のソファで寝か
しつけられていた時もあった。
掃除の小母さんに朝方遊んでもらったこともあったが、
学がお漏らしをした日は、裸で犬の首輪をつけられて
夜通し閉じ込められたこともあった。
学が小学校五年になったときには、できるだけ母親から
遠く離れたくて野球を口実に裕福な祐樹の家に出入り
することが多くなった。
しかし二年前から歩美と付き合うようになった物流
倉庫の白髪の中年男がアパートに同居することに
なってから、学の居場所がなくなった。
酔って白髪男が暴れると朝はこの母のホテルで朝飯を
食べることになっていた。
「朝飯なんてある思うてんの。」
歩美はいきなり中指の間接を尖らせた拳骨で学の頭を叩いた。
一瞬学の視界が白く光った。
「またあの人から電話でクソガキが逃げたとぶつぶつ
言われて、あたしの立場どないなるん?なんでもっと
素直に言うこと聞く子になれへんの。」
今度は歩美の右手が学の頬をビンタしようと思い切り
振り回された。
しかし学は、野球で鍛えた俊敏さでうまく体をそらして避けた。
風を切った歩美の右手が床に着きそうに彷徨って、
歩美自身がふらりと前のめりによろけた。
「反抗するねんね。あんた。」
「・・・・・」
「これ以上母ちゃんの人生邪魔するの、やめてんか。又あの
人が来てくれんようなるわ。」
「ウッサイ!・・」
「何だと!」
「バカあ・・・」
歩美は、車盗難でキーホルダーの配線で直結
してエンジンをかけるみたいに何の猶予もなくまっすぐに
学の首を両手でしめた。
歩美にのしかかれる形で学の頭が洗濯籠の中の汚れた
シーツの山に沈みこんだ。
倒れながら鉄の棒のようになった歩美の紺の長袖の両腕
を剥がそうと必死に力をこめて、学は押し戻そうとしたが、
びくとも動かない。
「おまえなんか、いんでまえ。」
「うっぅぅぅぅ・・・」
学の白目に血管が浮いて、低いコンクリの天井に
架かった蛍光管が黒々とした表情のない母親の白い顔
を際立たせていた。
学の喉は歩美の赤い爪が食い込んで血が流れてシーツ
に滲んでいた。
なんとかしなきゃ。
早く学君を助けなきゃ。
死んじゃうよ。
開け放されていた階段下の防火扉から様子を見ていた
トオルが中へ入ろうとするのをエノケン一号が腕でとめた。
???
遅れて階段を降り来た由香にエノケン一号はさらに
そのまま止まるように手を挙げて、階段下に移動した。
「どうしたの?」
由香がステップの途中でそうっと呟くと、今度はトオル
もエノケン一号といっしょになってシーっ、静かにと、
ふたりして唇に人差し指を当てて由香を黙らせた。
「ぅぅぅもう、イヤだ!」
学は、母親を力の限り撥ね退けた。
歩美は防水塗料を塗った青く冷たい床に仰向けに転った。
はじめて学が親の力に勝った瞬間だった。
ジィィィと蛍光灯の鳴る音と絆を絶った母子の肩で
息する乾いた呼吸音が地下室に響いた。
母親は、下水溝までこだまする大きな舌打ちをひとつ
して両眼を剥きながら天井へ向かって叫んだ。
「悪いやつ、ばっかりや。悪いやつは、殺すんや・・」
再び飛び掛ろうと歩美が、どこから出てくるのか
低い地を這うような声を発して起き上がった、
その胸を学が泣きながら蹴った。
「スカン。スカン。スカン・・・」
ボイラーにがつんと頭をぶつけて歩美は動かなくなった。
「みんな母ちゃんが悪いんや・・・・・
みんなうちが悪いんやねん・・・・・・」
トオルも由香もエノケン一号も防火扉の入口の中へ入って、
前のめりに母子の修羅を見つめていた。
学は、振り返って防火扉へ走った。
それは、逃げたというより置き去りにしたと言った方
が正しいだろう。
そして走った先には、エノケン一号がいた。
学は、キラキラと三色に輝くエノケン一号の胸にしが
みついて泣くのを強い自分の意志でやめて洟をすすった。
「コレカラハ、ジブンデイキル。」
「・・・・」
「モウ、マナブハデキル。ダイジョウブ」
由香は、学の擦り剥けた手を握った。
そして顔を上げた学の額にキスをした。
学は、ふぅっと頬を赤らめた。
大人の男の顔をしていた。



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HongKongSweets果香~シーちゃんのおやつ手帖27

2007年12月14日 | 味わい探訪
自由が丘スウィーツは、定着してきた感があります。
Hong Kong sweets果香のホームページはこちら。




何か見つけた? 本日も全開!
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生きる力

2007年12月13日 | めんちゃん日記
生きる力は、どこから出てくるのだろう。
ぼくは、毎日食べてうんちして散歩するだけで
一日が終わるよ。
冷たい雨の日も肉球が灼ける夏の日も
休まずテクテク歩いて生きているよ。
それもカッパ姉ちゃんとカメラおじさんが
なんとかガルガルと噛んでばかりの小さな
ワルガキだったぼくをこりずに
散歩させ、遊んでくれ、いっしょに寝てくれて
ここもわるくないかぁ
と思えるようになってやっと生きる力が出てきたんだ。
そう、
ここもわるくないかぁ。
と思う気持ちがお母ちゃんとはぐれた辛さをちょいと
上回ったら、今日はどんな奴(ワンちゃん)に出会うかな
と足が前にテクテク進むようになった気がする。
ここもわるくないかぁって、力になるんだね。



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ティファニー展in 目黒庭園美術館

2007年12月12日 | 美術館・イベント
ティファニーは1837年、創立者チャールズ・ルイス・ティファニーにより
贈答品や高級雑貨などを扱う店としてスタートしました。
伝統を誇るヨーロッパ宝飾の影響を受けた時代を経て、ティファニーは
アメリカの素材、デザイン、技術を結集し、ティファニー独自の洗練された
ジュエリーを創り出しました。
本展はジュエリー、装身具に焦点を当て、そのデザインの変遷を200点
の作品で紹介しています。

感想は…日曜だったせいかとにかく混んでいて、館内はすし詰め状態。
厳重にガラスケースに入れられた宝石を、人垣越しにチラッと見ただけで、
細かい部分まではほとんど見られませんでした。
もう少しゆったりと見られたら、感動出来たかもしれませんが…とても残念です。
目黒の庭園美術館で12月16日まで開催されています。


庭園美術館の建物は、1933年に朝香宮邸としてアールデコ様式で建てられ、
邸内のガラス装飾はルネ・ラリックがデザインしています。
クラシカルで渋い建物…美術館自体が立派な芸術作品です。



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黄金のめんちゃん

2007年12月11日 | めんちゃん日記
並木道は、冬本番の前に
最後の輝きをしているよ。
ぼくは、この黄色の葉っぱのハラハラ落ちて
くる上を歩くのが大好き。
銀杏さんは夏は木陰に秋は黄色く輝いて
真冬は雪に備えて裸になるよ。


銀杏の実が落ちるときものすごい匂いがするけど
銀杏もオスとメスがあるんだって。
この銀杏の木はオスかな、メスかな・・
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駒沢公園フリーマーケット

2007年12月10日 | めんちゃん日記
カッパ姉ちゃんが目黒にティファニー展に行って
ぼくは、午後の日曜日
カメラおじさんと一日一緒に散歩したよ。
駒沢公園でフリーマーケットをやっていて
ぶらぶら歩いたけれど、ひとが多くて
ぼく、つらかったよ。
ぼくは何度も片足あげて、
危なくシートの上に置かれた古着の山にピーしちゃうとこだった。

おじさん、中古カメラなんか熱心に見てたけれど
何も買わないんだ。
どうして安いのに?と見上げていたら
珍しい形で飾りで買えるものがあったらいいけど
使うには整備されてないんで買わない方がいいって。


ぼくは、同じフリマならドッグフードだけの食べ放題
の市をやってほしいなぁ。
どうせなら・・・・!
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ネコまねき

2007年12月09日 | めんちゃん日記
バスに乗って
電車に乗って
山があって
枯葉がハラハラ落ちて
ポクポクと濡れた枯葉を歩いて
冷たいアスファルトの町を人混みをよけて
変な巨大なネコさんに会ったよ。
これから正月という季節に備えて
みんな幸福に招かれたいとにんげんが来るので
きれいに洗われていたよ。
ぼくは、もう青年。一度でいいから恋がかなえば
いいんだけど・・・
あとは、望むことといえばのら猫ちゃんがふえないこと。

招き猫さんならわかると思うよ。
のら猫ちゃんは、車にひかれたり、病気になったり
長く生きられないんだ。見つけて病院に連れてこられて
手当てをうけられる奴はまだいいんだけど。
なんたって町はどんどんにんげん仕様になって
すき間がみるみるなくなっているんだもの。
ーーねえ。
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イトシア

2007年12月08日 | 街角探検
有楽町駅前の再開発で
建ったイトシア。マルイが入っている。
昔からあった甘味やさんもしっかり生き残った。
ただ
どこでもある駅前広場ショッピングビルとどこが
違うのだろう。
一等地の駅降りてすぐ一階がパチンコ屋。
隣接してショッピングモール。
有楽町の特徴はアフター5。
少しがつかり。

それでも交通会館へ行く途中に
南町奉行所の遺跡展示しているところがあり
有楽町が江戸時代から中心地にあったんだな。
またイトシアと反対側のガード下の昔から焼きそばのうまい店が
この再開発で場所が変わっても駅前でやっているのがうれしい。
ここの焼きそばは、どうしても有楽町にくると食べてしまう。
味が違う。立ち食いで珍しい一品です。

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愛するココロ-38-

2007年12月07日 | 投稿連載
愛するココロ 作者 大隅 充
          38 
 夜勤明けは 海べりのルートを走って朝の淡い斜めの光線に
照らされながら遠回りして、好きなアンジェラ・アキの曲と
一緒に口ずさんでお家に帰るのが久美は好きだった。
対向車も少なく一本道を走れば走るほど青々とした玄界灘が
右手にずっとついてきた。
 妹の由香とまだ両親が仲のよかった小学生のときにいつも
この海へ夏休みになると連れてきてもらった。父の毛むく
じゃらの腕とドラミちゃんの浮き輪とを支えにして足の届か
ない沖まで泳いだ。浜辺の新しい水着ではしゃいでいる妹と
お母さんの声や海水浴客の歓声が全く聞こえなくなって不安
になり丸い浮き輪の中で立ち泳ぎをしていると父が静かだろう?
と嬉しそうな顔で言った。波の音と流れる風の音だけがあった。
しばらく父は黙って久美を抱いてくれた。
妙にいつものお父さんとは違う、と感得したことを覚えている。
あのとき幸せだった。
高校生になってまさか父と母が東京と九州で別居するとは夢
にも思わなかった。
あの海への思い出は、まだ無垢の証だった。
だから今でもこの荒い海を見るとココロが落ち着く。
 結婚四年目で仕事もチームで慣れてきて、そろそろ子供が
欲しいなとこの頃、非番の日に公園で親子連れを見かける
とそう思うようになった。
遠賀川の河口に差し掛かったとき、助手席に置いたハンド
バッグの中でケイタイの着信音がした。
久美は、橋の袂で車を停めてケイタイを取り出した。
カトキチからだった。
「エノケンのアメリカでの話は、まったくわからず。
他に何か聞いたことはないだろうか。こちらは、「生ける刃」
の持ち主が行方知れずで困っちょる。」
久美は、そのメールが由香へ送ったさっきの自分のメール
のカトキチへの転送だったことを確認した。加藤教授がそれ
を見て返答してきたところをみると、由香たちの返事が
来ないということは、まだ眠っているのだろう。
ケイタイの時刻は、朝9時を廻っていた。
「私がエノケンさんの担当になったあと聞いたことは、
そのセントルイスの野球チームで野球用具の世話をして
ちょったってことと、何かボールを投げる機械をつくって
アメリカ人がみんなびっくりしたちということだけです。」
 送信すると久美は、バックミラーで荒れた唇にリップ
クリームを塗り、再びエンジンをかけた。
「そうか。それがピッチングマシーンだ。エノケンの発明狂
の第二の人生は、セントルイスからはじまっとったんだ。
ありがとう。」
車を川沿いの道に出ながら久美は、そのカトキチからのメール
を読むとケイタイを開いたハンドバッグの口の中へに投げ込んだ。
 カトキチは、坂の上の古い木造一戸建ての閉ざされた
玄関の前でスマートフォンのキーボードを老人とは思え
ない速さですぐにつづけてメールを打った。
「真鍋くん。トオルくん。判ったよ。その写真に写って
いたマウンドの後ろの機械。エノケンがつくったピッチン
グ・マシーンたい。私は、「生ける刃」のもち主の若松の
家へ来たみたが何日も不在なので今から研究室へ帰ります。」
カトキチは、振り返って玄関の郵便受けにささったまま
の数日分の新聞を指ではじいて、表通りへ出るコケの
生えた石の階段を降りていった。
「なるほど人生自分の望んだコースへは行かんもンばいね。
機械いじりでエノケンは生き返った。日本にも帰ってこれた」
歩きながら今度は独り言をつぶやいた。
「望んだようにならんでん、うまく転がることが人生の秘訣か」
朱塗りの若戸大橋が見える細く曲がりくねった道に停めて
あったワーゲンにカトキチは、歌うように節をつけてそう
言うと乗り込んだ。しかしそのせっかくのメールも京都
では誰も読む者がいなかった。
 朝日に当たりながら所々外壁が剥げかかった五階建ての
ビジネスホテルの脇の百円パーキングの駐車場に停まって
いるワゴン車の中で由香、トオル、学、エノケン一号とが
寄り添うようにぐっすり眠って、ダッシュボードの上で
マナーモードで震えている由香のケイタイに誰一人として
気づかない。
それもその筈寝たのはほんの一時間前だったのだから。
やがてそのケイタイの震えが止まって、しばらくすると
ワゴン車の後部座席の窓ガラスを叩く女の手があった。
年は、四十前後で紺色の作業服を着た痩せたその女は、
ガラスに頬を貼り付けて中で寝ている学に向かって、
生気のない低い声で言った。
「マナブ。マナブったら。起きろ。母ちゃんだよ。」 



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サンマルク~シーちゃんのおやつ手帖26

2007年12月07日 | 味わい探訪
渋谷駅からブラブラ歩いて、東急ハンズへ向かう途中に
ある大衆カフェ。チョコクロは、銀座木村屋のあんパンのような定番。
チヨコクロのクリスマス限定ケース。




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