もう何年も前のことです。
日ノ出町にあるホスピスの病室で歌ったことがあります。
私は、個人的にお話をしたことはない方でしたが、ひまわり作業所で絵を教えている山本さんのご縁で歌うことになりました。私が病室に伺ったときには、あまり意識はなかったようでしたが、数曲歌わせていただきました。
そして、その時に、その方が吉永小百合さんのファンだったことを知りました。
その帰り道、溝の口の駅のホームで、偶然、吉永小百合さんのカセットテープを見つけ、迷わずそのテープを買いました。
家に帰り、子供たちに晩御飯を用意すると、またすぐに、今度は車で日ノ出町まで向かいました。
片道2時間ぐらいかかりましたが、なんとかして早く届けたくて、車を飛ばしました。
そして、テープを届け、ラジカセで何度かかけて帰りました。
その後、その方は意識が戻り、1週間ほど長生きされました。
たった一人の肉親であるご兄弟ともお話ができたそうで、本当に嬉しく思いました。
旅立たれたあと、火葬場で待っている間、みんなで一言ずつ思い出を語り、私が最後でしたので、また一曲歌いました。
その時の空には、雲の間から、素晴らしい光の線が伸びていました。今でもその光は忘れることができません。
今日、看護士の友人からメールで「ドレスを貸してほしい」とのこと。
何かな~と思ったら、命が危ない患者さんが、お子さんの花嫁ドレス姿を見たいと言ってるので、ドレスを探していると。
すぐに白いドレスと、濃いピンクのドレスを用意して、先ほど渡しました。
ピンクは小さくて一度も着ていなかったので、ちょうどよかった!!
なんとか間に合うといいなあ・・・
お嬢さんドレス姿に元気が出て、奇跡的に回復してくれたらいいなあ・・・
私のドレスがこんなところで役にたつなんて~
本当に人の命はわからないものです。
でも、その方がお嬢さんの花嫁姿を見ることができて、喜んで安心して旅立つことができたら幸せだと思うのです。どうか、間に合いますように・・・
誰にでも最期の瞬間がやってきます。
私の父が亡くなる前の晩、やっと家族4人が揃って、手をつなぎました。
その翌朝、私は父に「お父さん、よく頑張ったね!ありがとう」と声をかけると、父の口元が少し動きました。
そしてその数秒後に、隣の部屋からモニターを見ていた先生が飛んできました。
あれから6年半が経ちましたが、今でも、父は私のすぐそばにいるようです。
父が使っていたキーホルダーを、今私が使っています。
その鈴の音が響くたびに、父がそばにいるのを感じます。
私にもいつか最期の瞬間がくるでしょう。
その時に、私はやっぱり家族みんなで手をつないでいたいです。
明日は義父のお参りに行ってきます!!
<追記>
看護士の友人からメールがあり、今朝(15日朝)、旅立たれたそうです。
お会いしたことはありませんが、涙がこぼれました。
ご冥福をお祈りしています。