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『ソシュールの思想』

丸山 圭三郎 19810715 岩波書店,384p.

last update: 20171027

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■丸山 圭三郎 19810715 『ソシュールの思想』,岩波書店,384p. ISBN:4000012207 ISBN-13: 978-4000012201 4200 [amazon]/[kinokuniya] ※

■内容(本書のカバー折込部分より)

近代言語学の父、ソシュール。だが広く流布したその像をこえて、彼の仕事は何処に全体像を結ぶのか。言語機能と人間精神の関係への多様な思索は、人間諸科学の方法論と認識に実体概念から関係概念へというパラダイム変換を促し、構造主義以降現代まで、20世紀後半の思想の共通基盤を造った。本書は「一般言語学講義」原資料に拠って、原初の記号理論と思想の本質を明らかにする。精密な実証的裏付けと、神話やアナグラム研究の初の紹介とは、ソシュール研究の決定版として今後の眺望を拓くことになろう。

■目次

まえがき
Ⅰ ソシュールの全体像
第1章 ソシュールの生涯とその謎
 1 家族と幼年時代(1857―1869)
 2 処女作「諸言語に関する試論」と《鳴鼻音》の発見 ――中等学校時代(1869―1875)
 3 『覚え書』と学位論文――大学時代(1875―1880)
 4 パリ時代(1880―1891)
 5 ジュネーヴ時代(1891―1913)
第2章 『一般言語学講義』と原資料
 1 ソシュール批判
 2 『講義』の成立事情と、原資料
第3章 ソシュール理論とその基本概念
 1 言語能力と社会制度と個人
   ランガージュとラング ラングとパロール
 2 体系の概念
   価値体系としてのラング 連辞関係と連合関係 共時態と通時態
 3 記号理論
   言語名称目録観の否定 シニフィアンとシニフィエ 形相と実質
   言語記号の恣意性 記号学と神話・アナグラム研究


Ⅱ ソシュールと現代思想
第1章 ソシュールとメルロ=ポンティ ――語る主体への帰還――
 1 ムーナンのメルロ=ポンティ批判
 2 コトバの非記号性
 3 経験主義批判
 4 主知主義
 5 真の命名作用
第2章 ソシュールとテル・ケル派 ――貨幣と言語記号のアナロジー――
 1 ソシュールの用いた比喩
 2 テル・ケル派の解釈と批判
 3 ラングの価値とパロールの価値創造
第3章 ソシュールとバルト ――記号学と言語学の問題をめぐって――
 1 バルト批判
 2 ソシュールの記号学
 3 《原理論》としての記号学と、《構成された構造》の記号学
第4章 ソシュールとサルトル ――言語の非記号性と意味創造――
 1 非記号の記号化と、記号の非記号化
 2 言語の内在する意味
 3 外示(デノテーション)と共示(コノテーション)


Ⅲ ソシュール学説の諸問題
第1章 ラングとパロールと実践
 1 ラング概念の多様性
 2 パロール概念の多様性
 3 《構成された構造》と《構成する構造=主体》
 4 《構成原理》の次元
 5 個人的実践とパロール
第2章 シーニュの恣意性
 1 パンヴェニストのソシュール批判
 2 外的必然性と記号学的恣意性
 3 分節言語の自立性と恣意性
第3章 言語における《意味》と《価値》の概念
 1 二重のソシュール現象
 2 『講義』自体に見出される疑問点
 3 ピュルジェの仮説
 4 二つの実現
 5 価値と意義(シニフイカシオン)と意味(サンス)

 参考文献
 ソシュール手稿目録
 ソシュール著作目録
 事項索引
 人名索引

■引用

P. 27
言語記号そのものより記号間の差異であり、それが対立的価値の働きを構成する
P. 44
その一つは、ソシュール思想の根柢をなす《ラング》と《パロール》の概念規定に関わるものである。たとえばラングのもつ社会制度というアスペクトと示差的価値体系というアスペクトとは矛盾しないであろうか。言語はそのあらゆるレヴェルにおいて変異体(ヴァリアント)をもっているが、変異体というのは示差的機能を有していないので、社会的制約もまた蒙らないのが原則である。ところがこの拘束を受ける《結合変異体variante combinatoire》は、ラングによって義務づけられ、個人の自由にならないという意味では制度的である一方、音素とは違って弁別機能を持たないため示差的ではない。それでは結合変異体は強制されたものとしてラングに属するべきか、非示差的なものとしてパロールに属するべきか。また社会制度に対立する個人の言行為として捉えられる活動としてのパロールと、形相(フォルム)に対する実質、本質的(p. 44)構造に対する物理的顕在現象でしかないパロールとを、同一概念として扱ってよいかどうか。
いや一言にしていえば、ソシュールにおいてすべてが両義的なのは何故か。言語記号(シーニュ)の不分離性(=言語表現と意味の一体化)とその二重性(シーニュはシニフィエ、シニフィアンからなる)、言語記号の必然性とその恣意性、言語の不易性と可易性、ラングの現実性と抽象性、さらにはパロールの創造性と没意味的物質性、等々の逆説的真理はどこから生まれるのか。(p. 45)
P. 46
周知のごとく、この書が外国語に翻訳されたのは、日本における小林英夫氏のものがはじめてである。出版の十二年後である一九二八年に、『講義』は『言語学原論』という題名のもとに岡書院から訳出され、のちにその版権が岩波書店に移って一九四〇年にはその改訳新版が登場し、さらに一九七二年にその題名を『一般言語学講義』と変えた改版が出された。今でこそ現代言語学の元祖であるとともに、ひろく人間科学一般にわたる方法論とエピルテモロジーにコペルニクス的転回をもらたしたソシュールの評価は高まる一方であるが、当時はお膝元のヨーロッパにおいてさえごく一部の専門家の間でしか話題とならなかった。日本語訳についてドイツ語訳がなされ(一九三(p. 46)一年)、ロシア語訳が続き(一九三三年)、さらにスペイン語(一九四五年)に訳されたものの、アングロ=サクソン系の最初の翻訳は、一九五九年まで出されなかったのである。これに続いて、ポーランド語(一九六一)、ハンガリア語(一九六七年)、イタリア語(一九六七年)、スウェーデン語(一九七〇年)とさまざまの国語に訳される(p. 47)
P. 79
ソシュールはまず人間のもつ普遍的な言語能力・抽象能力・カテゴリー化の能力およびその諸活動をランガージュlangageとよび、個別言語共同体で用いられている多種多様な国語体をラングlangueとよんで、この二つを峻別した。前者はいわば《ヒトのコトバ》もしくは《言語能力》(p. 79)と訳せる術語で、これこそ人間文化の根柢に見出される、生得的な普遍的潜在能力である。まことに、ヒトがhomo faberでありhomo sapiensであるためには、まずhomo loquensである必要があったし、ランガージュの所有は、その間接性、代替性、象徴性、抽象性によて人間の一切の文化的営為を可能にせしめた。レヴィ=ストロースLevi-Straussは、自然と文化の境界線を《道具》の存在の中に見る従来の定説をくつがえし、《コトバ》の所有のうちにこそ、人間の真の飛躍があると言っているが、この考え方はソシュールの次の発言に照応している。
 ランガージュは、人類を他の動物から弁別するしるしであり、人類学的な、あるいは社会学的といってもよい性格をもつ能力と見做される。
これに対して、ラングは一応《言語》という訳があてられる概念で、ランガージュがそれぞれの個別の社会において顕現されたものであり、その社会固有の独自の構造をもった制度である。この普遍性と個別性・特殊性とはいささかも矛盾しない。たとえば、家族制度というものはどんな人間集団にも共通して認められる普遍的な特徴となっているが、民族や時代の違いでさまざまな形をとって現われるように、ヒトのコトバも、その機能に関しては同一でありながら、別の言語共同体に属する人々(たとえばスワヒリ語を話す人々と日本語を話す人々)がお互いに伝達しあうことは不可能に近い事実を想起しよう。換言すれば、ランガージュは自然に対置された人間文化la cultureの源であり、ラングは社会との関係においれ歴史的、地理的に多様化している個別文化les culturesにあたるのである。(p. 80)
P. 88
第一のパロールは、全く物理的・偶然的な現象に過ぎず、厳密な意味では科学の対象にはなり得ないもので、データとしての意味しかもたない副次的行為である。ソシュールがベートーヴェンのソナタやシンフォニーをラングに譬え、その演奏をパロールに譬えた時のパロールがそれで、まさに「一つのシンフォニーはその演奏なしにも存在する現実である。同じように、ラングの中に与えられているもののパロールによる実行は、非本質的」であると言えよう。もし、パロールがこの現象だけであったら、《二つの言語学》の必然性は失われ、言語学はラングの言語学の同義語にならざるを得ない。事実、「生理的音声は言語学に属さず、……言語学の補助的な学である」と断言しているソシュールは、第二のパロールの重要性を知っていればこそ、パロールの言語学に言及したのであった。
第二のパロールは、ひとり類推的創造の源となるばかりでなく、個人の言行為が、あらゆる瞬間に世界の再布置化であり新しい価値の創造である点において第一のそれとは比較にならない重要性をもち、第Ⅱ部で詳しく見るように、メルロ=ポンティの言う言語の創造的使用とコノテーションの問題に深く関わっているのである。
さて、この項を終える前に、もう一つだけ押さえておかねばならないのは、ラングという概念も多義的であるという事実である。先に、「一応」と断ってラングを「言語」と訳したのもそのためで、私見によれば、ラングは次の三つの概念に分けられよう。第一は、ソシュールがles kanguesと複数形で用いたラングであり、これが「諸言語」、「諸国語体」と訳される、現実の自然言語の謂である。第二は、ソシュールがla langueと単数形で用いたラングで、これは前者の一般化から帰納される普遍的事象をさす。もちろん、ソシュールも注意深く断っているように、これとランガージュを混同してはならない。ランガージュは普遍的存在とはいっても、あくまでも生得的な構造化能力であり、構造でないことはすでに見た通りだからである。
P. 89
第三のラングは、この章の後半でも再びとりあげる記号学的原理であって、ソシュール的なラング、パロールの分岐をもつ方法論およびエピステモロジークな重要性(p. 89)は、ここに至ってはじめて見出されるのである。すなわち、ラングが社会制度の一つではなく、社会が、そして文化総体が、一つのラングとして捉えられる記号学的認識であって、ホイットニーからソシュールへの矢印を、ソシュールから(ヤーコブソンを介して)レヴィ=ストロースの方向へ逆転せしめたものとも言えるであろう。(p. 90)
P. 98
さて、以上に見てきたような言語、ひいてはこれを根柢とする文化の構造(=体系)を研究するにあたっては、即自的な実体ではなく、言語主体の視点から生ずる関係の網を対象とせねばならないことは当然であろう。ソシュールはこの関係が二つの異なった次元に見出されることに気づいていた。彼によれば、「ある語が隣接し、配列され、近づけられ、他の語と接触する様式は二つあり、これを語の二つの存在の場、もしくは語同士の間の関係の二つの領域と呼ぶことができる」のである。
第一の関係は、《顕在的》な連辞関係rapport syntagmatiqueと呼ばれるものである。話された(または書かれた)言葉は、時間的(または空間的)に線状の性質をもっており、その発話内に現われた個々の要素は、他の要素との対比関係におかれてはじめて差異化され意味をもつ。英語に具体例を求めるならば、I saw a boy. という文中で、sawがseeの過去形であることがわかるのは、Iに先立たれa boyが後続しているからこそであり、もしその前にtheとかmyといったような限定辞が来ればsawは名詞の「のこぎり」という意味になってしまう。……このように個々の語のもつ意味と機能を決定する第一の関係は、与えられた一定にコンテクスト内で直接観察されるものであり、ソシュールはこの結合グループを連辞suntagmeと呼んだ。この連辞は従来の句や節および文といった統辞論上の単位のみならず、語の下位要素の結合をも含めるもので、形態論と統辞論の壁をとりはらった画期的発想である。
第二の関係は、各要素と体系全体との関係で、その場に現われる資格は持ちながらもたまたま話者が別の要素をす/でに選択してしまったためそのコンテクストから排除される要素群との《潜在的》な関係である。先に挙げた例を使うならば、I saw a boy. のsawの位置を占め得たであろうmet, hit, lovedなどという同系列要素群との関係とも言えよう。文法的にはsawの位置を占める資格がなくても、その形の上の類似からpawやlawなどを連想したり、「のこぎり」という意味のsawから、carpenter, chisel, planeなどを想起する場合がそうである。これらは現実の文には現われず、同一コンテクスト内では相互排除、対立の関係にある。ソシュールはこれを連合関係rapport associatifと呼び、のちにイェルムスレウが範列関係rapport paradigmatiqueという術語に言いかえた。この新しい術語によって、ソシュールの考えていた「イメージの帯」という豊かな発想が幾分とも損なわれたのは残念なことと言わねばならない。確かに範列も、連合関係におかれる一つの関係ではあるが、連合関係には、まだほかにいくつもの意識的、無意識的連合の絆が存在するからである。
P. 102
ソシュールの言う連辞の型とは、換言すれば諸要素の連辞結合の規則にほかならず、のちの生成文法学派が唱える《回帰的規則recursive rule》や、テニエール用語の《結合価valance》をも含めた携帯、統辞の両領域をカヴァーする規則である。
P. 110
このように、ソシュールの提起した方法によれば、時代の移り変わるさまざまな段階で、まず共時的断面に目を据え、その俯瞰図と俯瞰図とを検討することによって体系総体の変化をたどるのが通時言語学であるということになる。
P. 113
通時的一連の事実の変化のなかには、共時的体系に結果的に影響を与える関与的変化と、共時的構造に何等の影響を及ぼさない非関与的な変化があるのは何故であろうか。自然界においては、すべての変化が、たとえ個別現象の連続であっても、その体系に影響を与えずにはおかない。個の価値は、その絶対的特性によって与えられ、個の集積と運動が、全体を形成しているからである。自然の次元においては、要素の同一性と差異は、その積極的(ポジテイヴ)な辞項間に樹立される。実質が変化すれば関係が変化するのであり、差異は客観的な差異でしかない。ところが、コトバを根柢におく文化の世界においては、差異を対立化するのは人間の視点であり、主体の意識である。共時態における同一性と差異の基準は、その体系内の他の共存辞項との対立であり、この対立を現象として生み出すのは言語主体の意識以外の何ものでもない。先にも述べたように、言語体系内の単位とは、この差異を対立化する現象の同義語なのである。
P. 114
これに対して、通時的同一性なるものは、言語主体の意識を逃れている。その基準は、形相(フォルム)(=体系内の関係)ではなく、実質(シュプスタンス)の次元にある。上古時代の「つま(妻・夫)」と現代の「つま(妻)」を同一の語と考えるとすれば、これは意味の実質が変ったにも拘らず音的実質の同一性が保たれているという事実からであり、平安時代の「いたつき」と現代の「病気」を同一の語と考えるとすれば、これは音的実質が変ったにも拘らず意味の実質が同一という事実からである。いずれの場合にも、シニフィアンとシニフィエが分離された抽象の実質(シュプスタンス)における同一性であり、言語学の対象とはならない。しかも、言語とはその話し手によって史的事実である以前に意識事実である。「つま」の意味的変遷も、「いたつき」と「病気」の意味的絆も、一般に言語主体には国語学者から知らされるまでは意識されないものなのである。これはちょうど、ある音素のさまざまな変異体が、言語主体にとっては意識されず、意識されるのは音素間の対立のみであるという事情と同じであろう。ソシュールが《具体的なもの》と呼んだのは、語る主体に感じられるもののことであり、これが唯一の表意的事実、言語現実であって、触知可能な物理的・客観的事象を《具体的なもの》と考えていたのでは全くなかった事実を忘れてはならない。「言語において具体的なものは、語る主体の意識にあるものすべてのことである。」
P. 119
我々の常識は、記号(シーニュ)とは「自分とは別の現象を告知したり指示したりするもの」と考え、日常的な経験から、たとえば黒雲が嵐を予告するシーニュ、煙が火のシーニュ、三十九度の熱が病気のシーニュであるのと同じように、コトバは事物や概念のシーニュであると思いこんでいる。ところが、こうした一般常識に反して、「コトバは《記号》ではない」という認識がソシュール思想の根底にあることを忘れてはならない。もちろん、コトバは結果的には《構成された構造》内で記号の様相を呈する。しかし、コトバ以前には、コトバが指さすべき事物も概念も存在しないのである。先に見たように、言語が名称目録でないという事実は、コトバが、既に区切られた言語外現実を指し示すものではなく、一次的には、自らのうちに意味を担っているという理論を導き出す。換言すれば、言語記号signe linguistiqueは、記号と呼ばれていても他の一切の記号と異なって、自らの外にア・プリオリに存在する意味を指し示すものでは決し(p. 119)てなく、いわば表現と意味とを同時に備えた二重の存在であるということである。(p. 120)
P. 124
ソシュールは、こうしてコトバに意味を奪回した。言語記号は、自らに外在する意味を指し示す《表現》の道具であることをやめた。しかし、ソシュールはさらにこれをとことんまで追求する。この取り戻した意味の源泉は何か。これこそラングという体系に依存する価値にほかならない。そしてその価値は、一つには言語主体が樹立する差異の対立化活動から生まれ、二つにはこの実践が獲得する社会性に裏づけられて確立される。
P. 136
そもそも、ラングに内在しラングなる価値体系を支えている二つの関係、すなわち連合・連辞関係は、それぞれの領域における差異化活動の原理であると言えるであろう。連合関係は潜在的かつ同時的意識の次元、連辞関係は顕在的かつ線状的空間(時間)の次元において。言語主体の意識は、辞項の差異と関係しか知覚せず、したがって、別々に分けられたシニフィアン、シニフィエとか、個々の辞項といった、他の辞項との関係を捨象した個別抽象体は意識の領域に達しない。つまりそんなものは、もともと存在していないのである。
P. 137
先にも述べたように、形相と実質の対立はシーニュの内容面にも見られることは言うまでもない。自然言語に限って言えば、実質は音的実質と意味的実質の二つに分けられよう。そのいずれも、言語の網(形相)を投影させない限り、どこに区切りを入れようもない連続体であって、それ自体は体系と無関係な存在である。音的実質が、人間によって発声可能なすべての物質音であるとすれば、意味的実質は、人間によって体験可能なすべての非言語的現実である。ラングは、形相を通してその両面に区切りを入れ、一方では物質音を対立関係におき、他方では非言語的現実を概念化する。この対立音のイメージと概念の一体化したものが言語記号であり、言語主体はその一方だけを切り離して意識することはできない。
P. 142
言語の中には差異しかない。それでは、意味はどこに求めたらよいのであろうか。ソシュールによれば、コトバの意味は、綴織と同じように差異と差異のモザイクから生まれるのである。「言語は音のイメージと、心的対立の上に成り立つ体系である。綴織に譬えてみよう。重要なことは、一連の視覚印象なのであり、色調の組合わせが織物の意味を形成するのであって、糸がどのように染められたかというようなことではない。」……綴織の材料である糸の物質性や、その製造法、色の染め方は実質に属し、非関与的なパロールであっても、言語主体がそれらの差異を用いて対立化させ、差異のモザイクを創り出す行為は形相化活動であって、第二のパロール活動にあたる。《実質》の対置概念は《関係》であると同時に結果として関係の網を生み出す《関係づくりの活動》でもあるのだ。……ドレミファソラシドという音階は純粋な関係に過ぎず、ドはそれ自体では何の意味も担っていない。しかし示差的である。ドはレでなく、レはミではない。この音階を用いて作曲家が一つのメロディを生み出した場合に、はじめて作曲家の意味志向が分節されて一つの意味が生れる。あらかじめ分節された即自的(アン・ソワ)な意味が存在し、人がそれを発見し、《実質》を用いてそれを表現するのではない。内容面における《実質》というものは、それがイェルムスレウのパーポートという意味である限り、我々の生きられる世界、生体験、意味志向なのであって、この意味志向には、志向性はってもまだ分節されない連続体であるそこに言語の網をかける時に、この網が投影さ(p. 142)れて影が映ることも、その時に切り取られる形、影によって縁どられたパーポートが、もう一つの実質すなわちイェルムレウの言うシュプスタンスであることも先に述べた。ソシュールの《実質》の対置概念は、言語の網《形相》であると同時にこの網を投影させる活動、さらには網自体を創り出す活動をも意味していることを再度強調しておこう。ここにこそ、網状組織としてのラングと、網を裁ち直すパロールの相互依存の接点が見出され、コトバとは「関係」と「動き」であるというソシュールの命題の正当な位置づけが、《形相(フォルム)》と《形相化》という概念を通してなされるのである。(p. 143)
P. 144
ソシュールの述べた恣意性は、実は次の二つの意味を持っているのだが、そのいずれもが言語内の問題であることを忘れてはなるまい。
第一の恣意性は、記号(シーニュ)内部のシニフィアンとシニフィエとの関係において見出されるものである。つまり、シーニュの担っている概念xと、それを表現する聴覚映像yとの間には、いささかも自然的かつ論理的絆がないという事実の指摘であ……る。
P. 145
これに対して、第二の恣意性は、一言語体系内の記号(シーニュ)同士の横の関係(?)に見出されるもので、個々の辞項のもつ価値が、その体系内に共存する他の辞項との対立関係からのみ決定されるという恣意性のことである。具体的に言えば、英語のmuttonの価値がフランス語のmooutonの価値とは異なる、その異なり方の問題で、その言語の形相次第で現実の連続体がいかに非連続化されていくかという、その区切り方自体に見られる恣意性にほかならない。すでに見てきたように、ラングは一つの自立的体系であって、その辞項の価値は、言語内現実の中に潜在する価値が反映しているのではない。その区切り方の尺度は、あくまでもその言語社会で恣意的に定められたものであり、自然法則にはのっとっていないのである。ソシュールはこの第二の恣意性を《価値valeur》の概念とともに導入している。
P. 147
第二の恣意性すなわち価値の恣意性は、価値を生ぜしめる二つの関係に見出される。まず潜在的な連合関係に見られる恣意性は、その体系内における概念の配分と大きさの恣意性である。……「等価性を持つと見做される単語のそれぞれは、意味内容の微妙な差異を持ち、その単語が属している言語の外では、これに対応するものはないことが明らかになる。ある言語を所有することによって観念の練り上げが条件づけられる限り、また言語がすべて独自の、他とは混同されない歴史的特性を持っている限り、観念と人間の知識は何か時間の外にあるというものではなく、時間の中に浸りきった、人間共同体の経験の結実」であり、同一共同体内の個人ですら自らの語る意味内容を正確に他人に伝えられるとは言えないのであるまいか。
P. 161
《二重分節》というのは、言表ないしは信号がそれより小さい記号に分析され(=第一次分節)、さらにその記号表現面(=シニフィアン)が、その内容面に対応因子をもたない《形成素figure》へと分析される(=第二次分析)ことの謂である。換言すれば、内容面の最小単位は必ず表現面にその対応物を有するが、表現面の最小単位は内容面にその対応物を見出さない。
P. 200
ソシュール言語学の見地に立てば、分布主義にはいくつかの根本的誤謬が見出されるが、中でも最も大きいものは単位(ユニテ)の決定に関する問題である。分布主義はその定義からして、言語の諸単位があらかじめ存在していることを前提としており、その単位を発見し分布を知って全体の構造に至ろうとするタクシノミーにほからならないが、ソシュールの考えでは、コトバの要素は決してア・プリオリに与えられているものではなく、その要素が属する体系とともにしか見出されない。これはラングなる体系が、自然の潜在構造の反映ないしは敷写しではなく、人間の参加、社会的実践によってのみ決定される価値体系であるからにほかならない。確かにラングはそれが体系である限り、不連続な単位の存在を想定する。しかしその単位(ユニテ)は、自然の中に見出される実体ではないのである。
P. 201
   確かに書こうと決意する人間は、過去に対して彼だけが持っているような何らかの態度をとるものだ。文化というものはすべて、過去を継承する。……言語活動は、過去を超えるだけに満足せず、過去を要約し、回復し、実体として保持しようとする。
人間的事実=文化の構造は、正確には客観的でない。自然が法則の宇宙であるとすれば、文化はまさに尺度の宇宙である。まず存在するのは視点であり、その視点をどう選びとり主体的に事件を構成していくかが問題なのである。人間はモノをコトに仕立てあげ、過去の事実を歴史に変える。人は世界に意味を与えると同時に世界から意味を与えられ、すべての個人は世界を全体化する。
P. 224
パロールにおけるラングの現働化は、それ自体が二重であるという事実である。パロールは、一、形相の実質化(物質的表現)と、その正反対の、二、実質の形相化(生産活動)という逆説的二面性を有している。すなわち、
一、ソシュールが《音声作用phonation》と呼ぶパロールがそれで、これはシニフィアンをラングの規範と慣用の拘束下で物質化する行為である。文字通りラングの形相を実質化する無意識的作業であって、語る主体の意志はほとんど反映されない。メルロ=ポンティの言う、言葉の経験的使用がこれにあたり、ラングを曲に譬えれば、この種のパロールは既成の曲の機械的演奏である(芸術活動の一と考えられる真の演奏については別に考えたい)。
二、ソシュールが《結合combinason》と呼んだ言語行為がそれで、のちにヤーコブソンが《選択selection》という概念で補ったパロールの活動である。これは語る主体がラングのシーニュを範列軸のなかから選びとり、それを連辞軸において、言述(ディスクール)、さらにはテクストとしてつくりあげる活動である。これはその主体が《生きられる世界》である意/味の実質を《コトバの宇宙》に変える働きであり、意味志向の状態にある《沈黙》に表現を与え、それを分節化し意味化する――すなわち形相化する行為にほかならない。メルロ=ポンティの言う、言葉の創造的使用がこれにあたり、ラングを曲に譬えれば、この種のパロールは作曲活動である。
P. 232
確かに指標indiceと信号signalをあたまから同一視することはできない。だが、指標には自然的指標(たとえば、空の呈する色と天候、三十九度の熱と病気の関係など)と人工的指標(信号やパントマイム、身振り、祭儀、さらには文学作品、造形美術作品、音楽、映画など)があるのであって、後者は必ずしもコミュニケーションの意図をもつ指標とのみは断定できず、むしろ潜在的・無意識的表意作用をもつ指標の方がわれわれの行動をより大きく左右していることを忘れてはなるまい。別のいい方をすれば、一方にコードを照らし合わせて解読decoderされる人工的指標(=信号)があり、他方にはコードのメカニスムとは無関係に解釈interpreterされる人工的指標がある。文学作品が解読されるべきものではなく解釈されるべきものであることは常識であろう。これはデノテーションとコノテーションの対立であり、ルポルタージュ言語と詩的言語、さらには、透明な《道具としてのコトバlangage-instrument》と不透明な《対象としてのコトバlangage-objet》の対立でもある。いずれも同等の資格で《文化のコトバ》である。
P. 237
著者がすでにくりかえし述べたように、言語の本質はその《非記号性》にある。すなわち、ア・プリオリに切り取られ秩序づけられている《モノ》を指さすのではなく、連続体としての意味のマグマに働きかけてこれを非連続化し、概念化し、カテゴリー化するのが言語の本来の働きである。しかし同時に、言語記号が、自らの内に含むシニフィエを通して言語外現実を指さすということもまた、記号行為を成立させるための必須条件である。この逆説的真理の解明は、ソシュールの思想を解く大きな鍵の一つであって、これこそ、「コトバはすでに区切られた事物を指さしはしないが、自らが切り取ったものを、二次的に指さす」事実の指摘にほかならず、二次的に指さされている指向対照referentは、言語によってしか生れない《コト》である点を忘れてはならない。すなわちここで言う《コト》とは、言語の網formeが意味と音のカオスpurportに投影された結果はじめて生ずる実質substanceであり、これが社会の言語外現実、すなわち《構成された構造》の実質を形成しているのである。
P. 247
ソシュールの指摘をまつまでもなく、言語とは一つの社会制度であり、いくつかの位相を持つ集団的言語活動が、そこからそれぞれの集団における主体的な価値意識が捨象され対象化されたものとしての姿を呈している。それは一言語共同体に属する個人が否応なしにくりこまれてしまう規制の構造であり、一切の生体験がそのラングのシュマによって分節され条件づけられる。そこでは《意味》はもはや人間的意識が産出するものではなく、あらかじめラングによって決定されラングに内在しているものとして人間はそれに支配される。コトバは人間の産物であり、その意味は生産し得るものであるはずなのに、我々は生れ落ちてから一度も意味生産に参加したという自覚を持たない。類としての人間の創造物であるはずのコトバが、個としての人間にとっては既成の支配物となって現われ、我々はまさに自分と無縁な意味にとりかこまれる存在となる。
P. 254
ソシュールの、そしてその記号(シーニュ)理論をさらに発展した形で継承したメルロ=ポンティの理論におけるコトバは、実はこの第二次言語であった。しかし、最後に述べておかねばならぬ最も重要なこととして、ソシュールたちの主張は、いわば一時的な日常的な言語を止揚した文学言語が第二次言語であるというのではさらさらなく、第二次言語と呼ばれているものこそ本質的なコトバの姿であり、それが惰性化したものがいわゆる第一次言語であるという認識の定立化にほかならない。コトバは本質的には非記号的なものであるため、自らの誕生と同時に意味をもつ。言語外現実に働きかけてそれを切り取った瞬間瞬間にコトバの表現が完了し、それまでは存在しなかった意味が生れるのである。この行為の過程こそ本来のパロール活動であって、ラングはその結果に過ぎないにもかかわらず、実践的惰性態と化したラングの現実は巨大なシメールとなって個人の上にのしかかっている。いわゆる第一次言語はコトバの本質を隠(p. 254)蔽しながら我々の日常の生活を支配し、規制する。コトバが記号の姿を呈し、我々はその指さす先になる既成の意味世界を追いながら一つ一つ名を覚えさせられていく。これは虚像の意味世界であるが、それが虚像であることは一般には意識されない。一見そこに見出される必然は、自然的動物である人間を支配する自然の法則であるかのようにさえ思われる。生れ落ちたときから制度化された言語現実の中に身を置き、ラングによって外から規制されながら主体的価値意識を抑圧されている我々は、その拘束が《自然的必然》と同質のものと考えてしまい、そう錯覚することによって自らの内なる自然をも蝕んでいく。(p. 255)
P. 268
ラングの多様性の中でも、さらに問題をしぼってみると、社会制度としてのラングと記号学的価値体系としてのラングという二つのアスペクトが浮かび上ってくる。
まずラングとは、ホイットニー的な意味での社会制度である。個々の言行為であるパロールに対してラングとはこの社会的条件装置であり、人間のもつ潜在的言語能力の社会的産物である。それは集団の同意によって認められてはじめて成立し、個人は社会生活を通していわばこれを受動的に蒙るものである。ラングとは、ランガージュ能力の行使を個人を許すべく社会が採り入れた、必要な契約の総体である。したがって、社会制度としてのラングのもつ本質は、個人への規制の中にこそ最も顕著に見出される。パロールが個人的な意志と知能の働きであるのに反し、ラングの方は社会の制約という形を呈している。個人はひとりでこれを創ることも変えることもできない。このことは、……「原語の恣意性」という問題とも当然関わるが、この意味のラングにおいては、言語ほど必然(p. 268)なものではないと言えるであろう。(p. 269)
P. 269
第二のアスペクトは、一つの価値体系として捉えられたラングであって、ソシュールによればこれは社会制度としてのラングが同時に有するもう一つの特性である。この価値は、自然的事物のもつ絶対的特性によって定義される即自的価値ではなく、体系内の他の辞項との共存と対立から生れる相対的・否定的価値にほかならない。体系を離れてア・プリオリに存在する積極的意味も音のイメージもないのであり、あるものは相互間の差異だけである。
……
この差異という概念は、ソシュールにおいて記号の恣意性の原理と切り離すことができない。恣意性と示差性は相関的特性なのである。恣意的な記号は差異の上にのみ成立する。ある観念に対してある音のイメージを結びつけるのが恣意的なのではなく、無定形な意味と音を同時に切り取る、その切り取り方が恣意的なのであって、もしそうでないとしたら、価値の概念は自然の中に見出される絶対的要素を含むことになり、非社会的特質に裏づけられるものとなってしまうであろう。
P. 280
著者が、《構成された構造》であるラングに対置して《構成する構造=主体》と呼んだパロールのもつ社会性がこれであって、くり返すまでもなくこのパロールは単なる生理的発声現象や物理音といったシュプスタンスとは違い、一つの構造を有するものである。これは、イディオレクトの概念にも近い、個人の価値観やイデオロギーを支える言語・意識構造にほかならないが、これまた当然のこととして既成のラングという大きな構造の中にくりこまれ、否応なしに規制されている構造でもある。一方においてラングはパロールの産物として成立し、他方においてパロールはラングに規制されるように、この二つはつくり作られる永続的な相互依存関係におかれている。このパロールこそは、物質的なものに働きかけて、それをのり超え、しかもそれを保有しながら、具体的実践を行なう個人の社会行動の本質であり、歴史や社会の中にあってそれを動的なものにする《否定の契機、反構造的契機》である。またこの意味でのパロ(p. 280)ールとそれをくりこむラングとは、いわば同心円的であり、二つの逆の矢印が示すように、ラングによって規制されるとパロールと、逆にパロールによって変革されるラングの間に烈しい緊張関係が生ずると言うことができよう。(p. 281)
P. 306
「しかしコトバとエクリチュールは、事物の自然な関係に基盤を置いてはいない。」人間は他の動物と同じく生物学的に存在しながら、同時に記号学的世界に生きている。人間はしたがって、他の一切の動物とは異なり、環境に自分を適合させるというよりは、むしろこの表象的次元を介して環境の方を自分に適合するように《恣意的に》これを変形する。人間の周囲には、自然音とそれが言語の形相を通して変形された文化音がある、と言ってもよい。《語聾症surdie? verbale》という病気が知られているが、これは耳そのものの生理的故障とは全く関係なく、言語音のみに局限される症状で、話された語の意味が理解できない一種の失語症である。つまり、この(1)のシーニュの不分離性とあいまって、言語命名論と主知主義の否定の根拠でもあり、(2)の価値体系の概念が意味する言語の自立性とともに、経験主義否定の根拠/でもある。ア・プリオリに秩序をもち、カテゴリー化され、分類化された世界の潜在構造を、人間が言語を通して発見していくのではない。また言語が、その彼方にある思考とか知性のもつ《意味》をただ指さすものではなく、自らのうちに意味を担っているということは、のちにメルロ=ポンティの言葉を借りれば「コトバは意味を持つ」という認識であり、条件反射の道具や意味の転轍手に成り下がろうとしていた人間に、《語る主体》と《語る意味》を回復せしめたとも言えるであろう。コトバは観念の表現ではなく、観念の方がコトバの産物なのである。
P. 329
ビュルジェによれば、ラングは価値の体系であり、この《価値》は純粋に潜在的な実体で、これが具体的言述の中におけるさまざまな《意義》の現前を可能にせしめている。「意義を生み出す源が価値である」という考えは、まさにこの抽象的条件が、具体的・個別的実体を生み出す要因であるという意味に外ならない。また、フランス語のmoutonと英語のsheepは、その体系内の《価値》が異なりながらも、具体的連辞においては全く同じ《意義》をもつこともあり得るし、ここにこそ、価値体系を異にする言語からもう一つの言語への翻訳が可能である理由が見出されるのだ。《価値》はラングに属する形相であり、《意義》はパロールに属する実質(シュプスタンス)ということになろう。
P. 330
ビュルジェは、ラング自体がもつ潜在性と顕在性、抽象性と具体性という二重の性格を見落としている。潜在的なものはすべてラングに、それが現前され実行されたものはすべてパロールに属せしめることは、一見明快な区別であり、ソシュールの根底的区別である形相と実質に対応しているかのごとく思われぬこともない。潜在的実体である《価値》をラングに、それが条件となり源となって《意義群》をパロールに属せしめたのは、おそらく右のような論理に基づいているだろう。ところが、事実はそれほど単純ではないのである。
P. 333
本章で特に照射したい問題は、ラング自体のもつ《潜在性》、《抽象性》と《具体性》という二重の性格である。最も端的な例として言えることは、人間のもつ生得の普遍的な言語能力、抽象化・カテゴリー化・概念化の能力(p. 333)であるところのランガージュとの関係で考察されたラングは、前者があくまでも《潜在能力》であるのに対し、後者はそれが社会的に実現された《顕在物》であるという事実である。一方、この顕在的ラングも現実の言表に現われる個々の言行為であるパロールとの対比においては、《潜在的・抽象的条件装置》であって、決して具体的・物理的実体ではない。したがって、このラングとパロールの区別という視点に立つと、今度は前者が《潜在構造》であり後者はこれを顕在化し具体化したものと言えるであろう。このパロールの行為を《個人的実現realisation individuelle》と呼べば、先のラングの《社会的実現realisation sociale》との間に見られる。同じ実現のもつ位相の差が明確になってくるのである。(p. 334)
P. 335
以上から判明することは、ソシュールのラングには、①《形相》としてのラングと、②社会的に実現された《規範》としてのラングがあるという事実である。後者の具体性は、もちろんパロールの実質(シュプスタンス)とは異質のものであるが、純粋な関係の網である形相が社会的に実現された結果、一つには音的性格を持ち(原理的には、視覚・嗅覚・味覚・触覚といういかなる実現形式をとることも可能である)、二つには、その社会慣習が許容する変異体のみが強いられる(原理的には、いかなる差異でも対立化されさえすればよい)という意味で、一種の有形性を具えているラングなのだ。①の《形相としてのラングlangue-forme》は、イェルムスレウの《図式schema》と全く一致するのに対し、②の《規範としてのラングlangue-norme》は、イェルムスレルの《規範norme》と《慣用usage》の概念をあわせもったものであって、②は①が社会的に実現された実態である。ちなみに、イェルムスレウはソシュールのラング概念を次のように三分した。
   まずラングを考察することにしよう。それは次の三点から考察される。
  a その社会的実現と物質的顕現とは無関係に定義される、純粋な形相として(=図式)。
  b 特定の社会的実現によって定義されるが、なお顕現の細部には依存しない、物質的形態として(=規範)。
  c 特定社会において採用され、観察される顕現によって定義される、慣習の総体として(=慣用)。
P. 338
連辞関係と連合関係の問題を再び取り上げてみると、《形相としてのラング》に属する連辞関係は、連合関係と同じ資格で潜在的である。……組合せを可能にする結合規則そのものが、《形相としてのラング》の属する連辞関係であり、その規則によって実現される言表は、《規範としてのラング》に属する連辞である。連辞化された結果、確かに言表は一つの具体的コンテクストをもつが、これはあくまで言語的コンテ/クストに過ぎず、「文脈」と訳されるべきものであって、他の一切の状況と比べると、かなり抽象的なものにとどまっている。……いかなる現実の場で、誰によって、どのようあイントネーション、どのような声音で語られ、その対話者が誰であり、発話者といかなる関係にあるか、といったコンテクストや、さらにひろく、マリノフスキーB. Malinowski的な意味での《文化的現実のコンテクスト》、《状況のコンテクスト》といったコンテクストのもつ具体性と比較するだけで、連辞のもつ抽象性は明白であろう。右のような、文脈を除くすべての状況こそ、パロール次元における実現の場にほかならず、《規範としてのラング》の実現環境とは峻別されねばならない。
P. 345
この《意義》が絶対的自然の特性によって即自的に存在する実体でないことも忘れてはならないだろう。この歴史的・社会的産物は、《形相としてのラング》に属する恣意的《価値》に依存しているのである。

■書評・紹介

■言及


*作成:岡田 清鷹
UP: 20080605 REV: 20081115, 20090507,0730, 20171027
◇Saussure, Ferdinand de/フェルディナン・ド・ソシュール  ◇哲学/政治哲学/倫理学  ◇身体×世界:関連書籍 1980'  ◇BOOK
TOP HOME (http://www.arsvi.com)◇

Louis Althusser

2019-09-15 01:12:58 | Nietzsche
『思想』909(2000-03):094-098 ※
◇伊吹浩一「アルチュセール・イデオロギー論、そのマトリックスと帰結するもの――精神分析とイデオロギー装置」
 『情況 第二期』情況出版 11(2) 2000.3 p84~113
◇Yann Moulier Boutang、市田良彦訳「インタヴュー ヤン・ムーリエ・ブータンに聞く 『Multitudes』/移民運動/アルチュセール」
 『批評空間 2期』太田出版 25 2000.4 p132~146
◇宇波彰「アルチュセールと現代思想」
 『アソシエ』御茶の水書房 3 2000.7 p159~164
◇箱田徹「アルチュセールと後期フーコーの主体化論における理論と実践」
 『国際文化学』神戸大学国際文化学会 3 2000.9 p91~104
◇福井和美「「新しい」アルチュセール―「理論」と「自伝」のあいだ」
 『環』藤原書店 3 2000.10 p250~263
◇Louis Althusser、福井和美訳「マキャヴェリの孤独」
 『環』藤原書店 3 2000.10 p232~249
◇Judith Butler、井川ちとせ(訳)、竹村和子「テクスト 良心がわたしたち皆を主体にする――アルチュセールの主体化/隷属化(サブジェクション)〔含 解題〕」
 『現代思想』青土社 28(14) 2000.12 p84~103

◆2001
◇浜田正「初期アルチュセールのマキャヴェッリ論、そして偶然的唯物論(〔社会思想史学会〕第二五回大会記録――自由論題)」
 『社会思想史研究』北樹出版 25 2001 p79~83
◇千脇修「ル・ゴフとアルチュセール ジャック・ル・ゴフ著(立川孝一訳)『歴史と記憶』(法政大学出版局、1999年)への書評に代えて」
 『西洋史論叢』早稲田大学史学会西洋史部会 第22号 2001.1 p9~20
◇高橋順一「『フォイエルバッハ・テーゼ』の言語=理論――革命的位置について アルチュセールからの視角」
 『情況 第三期』情況出版 2(6) 2001.7 p184~189
◇今野晃「アルチュセール アルチュセール・イデオロギー再考―理論と実践」
 (情況出版編集部編『社会学理論の(可能性)を読む』情況出版 2001.7 p129~)
◇石井潔「レヴュー・エッセイ 残されたテキスト――アルチュセール『哲学・政治著作集1・2』を読む」
 『唯物論研究年誌』唯物論研究協会 6 2001.10 p313~320
◇伊吹浩一「主体も目的もない過程としての歴史――アルチュセ-ルのマルクス学位論文の言及をめぐって」
 『情況 第三期』情況出版 2(8) 2001.10 p212~226

◆2002
◇岩本一「アルチュセ-ルのディスク-ルの理論について」
 『言語と文化』東洋大学言語文化研究所設置準備委員会 2 2002 p35~44
◇山本雄二「教育知と主体の問題」
 『関西大学社会学部紀要』関西大学 34(1) 2002.12 p185~206

◆2003
◇山家歩「アルチュセール国家イデオロギー論の再検討――最終審級をめぐる問題を中心として」
 『現代社会理論研究』「現代社会理論研究」編集委員会事務局 13 2003 p342~353
◇大中一弥「ポスト・アルチュセールの政治思想――エティエンヌ・バリバール著『我らヨ-ロッパ市民?』からの一考察」
 『情況 第三期』情況出版 4(1) 2003.1 p203~220
◇伊吹浩一「アルチュセールの唯物論」
 『情況 第三期』情況出版 4(1) 2003.1 p221~243
◇的場昭弘・仲正昌樹「今、アルチュセ-ルを開く」
 『情況 第三期』情況出版 4(1) 2003.1 p167~188
◇柳内隆「スピノザというレンズ――アルチュセールのなかのスピノザ」
 『情況 第三期』情況出版 4(1) 2003.1 p189~202
◇佐藤嘉幸「精神分析理論から構造変動の理論へ――アルチュセールにおける構造変動と偶然性」
 『思想』岩波書店 950 2003.6 p130~148
◇佐藤紀子「サルトルとアルチュセールの階級に関する認識論的立場」
 『聖心女子大学大学院論集』聖心女子大学 25 2003.7 p94~77

◆2004
◇桑野弘隆「国家とイデオロギーについて――アルチュセール「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」をめぐる思想史的一考察」
 『社会思想史研究』藤原書店 28 2004 p99~115
◇大中一彌「政治に出会う理論は可能か――晩期アルチュセールという対象」
 『理想』理想社 673 2004 p59~68
◇立木康介「質料と偶然――アルチュセールの「出会いの唯物論」について、そしてアリストテレスの自然学について」
 『人間存在論』京都大学大学院人間・環境学研究科総合人間学部「人間存在論」刊行会 10 2004 p117~131
◇佐治孝夫「アルチュセールとポスト近代的マルクス主義――L.アルチュセールの政治思想(1)」
 『社会とマネジメント』椙山女学園大学現代マネジメント学部 1(2) 2004.3 p37~56
◇宇城輝人「『マルクスのために』Pour Marx(1965) ルイ・アルチュセール(1918-1990)(ブックガイド60)」
 『現代思想』青土社 32(11臨増) 2004.9 p198~201
◇植村邦彦「重層的決定と偶然性――あるいはアルチュセールの孤独」
 『関西大学経済論集』関西大学経済学会 54(3・4) 2004.11 p337~354

◆2005
◇松浦寿輝「文化季評(6)アルチュセール、アーレント、パース」
 『UP』東京大学出版会 34(4) 2005.4 p43~47



●アルチュセールとフーコーの関係についてのメモ●

□アルチュセール研究
■今村仁司19930810『アルチュセールの思想』講談社

「ヘーゲルは常識の線で言えば、西欧形而上学の、とくに近代哲学の総合的完成者であるということになっているが、アルチュセールの観点で言えば、ヘーゲルはむしろ現代の思想、とりわけマルクスとハイデガーから開始する「主体なき過程」の哲学の真実の開拓者であると見なすことすらできるのである。フーコーもドゥルーズもデリダもヘーゲルをこのようには規定しないだろう。かれらはむしろヘーゲルを伝統的見解にしたがって「西欧形而上学の最後の哲学者」とみなしている。だからこそ、とくにフーコーとドゥルーズはヘーゲルを批判するために、そしてついでにマルクスから身を引き離すために、ニーチェに頼らざるをえない。しかしそうなると、ヘーゲルはいずれにせよ「過去の思想家」として博物館入りさせるほかはなくなるのだ。そんなことでいいのだろうか。事態はそれほど簡単ではない。けれどもアルチュセールは、すでに見たように、ヘーゲルとマルクスとの種差を明示することで、かえって新しい仕方でヘーゲルのアクチュアリティーを取り出すことができたと言えよう。」(p.28)

「(…)フーコーやブルデューは決してそんな部類に入らないが、それでも彼らはアルチュセールの影響ないしインパクトを最小限に限定しようとする「フランス知識人的傾向」から免れていない。フーコーは『知の考古学』以来、「ディスクルシーヴ」(言説的)な形成体」という用語を使っている。この「言説形成体」を通して権力的な支配の効果が社会のすみずみまで浸透していく事態を彼は説明している。彼の言う「言説形成体」の具体化は、『監視と処罰 監獄の誕生』のなかでは、学校、監獄、工場、病院、軍隊という装置である。そこでは言説形成体によって、「自発的に服従する主体」が形成される。これなどは議論の核心のみを取り出せば、まさにアルチュセールの理論そのものであろう。勿論、フーコーならではの記述と絢爛たる描写をこそ賞賛すべきではあろうが、しかし理論的な方向はアルチュセール的であることは否定しようもない。ところが誰もフーコーとアルチュセールとの継承関係を語ろうとせず、アルチュセールを忘れたがっているみたいだ。(フーコーを巧みに利用して「オリエンタリズム」を論じたサイードですら、アルチュセールの理論には全く無関心なのだ。他は推して知るべし。)フーコー自身は決して理論の人ではないから、ときに概念規定が曖昧であり、理論的に語るべきところを歴史的記述か社会学的説明で満足するところがある。だからこそ、フーコーの優れた仕事を理論的に更に深めたり、彼がわずかにしか触れていないが大切な事柄を蘇生させていくためにも、アルチュセールのイデオロギー論は不可欠なのである。
 (…)アルチュセールが「イデオロギー的主体の形成」を「国家装置」論でやったことを、フーコーは「訓練装置」の具体的な歴史記述によって、ブルデューは身体的なハビトゥスの場面への「信念」の刷り込み(これがブルデュー的な「主体の形成」論である)を微細に記述することによって、それぞれに固有の仕方で豊かに展開していった。(…)」(p.45-46)

「例えばミシェル・フーコーの一種独特の認識論的見解も、一見バシュラール的立場から遠くへだたるごとくであっても、彼もまたバシュラールの哲学的地平においては自己の出発点を確立することができなかったと思われる。かえってフーコーの科学史・思想史に関する歴史観(アルケオロジー論)とバシュラールの正統的担い手たち(カンギレーム=アルチュセールの弟子たち)との論争自体が、実はバシュラール的問題設定の上でこそ可能であったのであり、またこの論争自体がバシュラールの拓いた道を豊かに発展させていくものと期待されるのである(…)。」(p.106-107)

「したがって、われわれは一巡して、再び理論的実践=科学的認識そのものの研究に直面せざるをえない。なぜなら、理論的実践=科学的認識を、他の諸々の実践(イデオロギー的、政治的、その他)との関係において研究することなしには、理論的階級闘争の働きの場所さえ見出すことができないであろうからである。そして、この研究領域は、マルクス主義のなかでも最も遅れている場面であり、また「マルクス主義はこの領域で一度も見るべき仕事をしたことがない」とフーコーが批判する場所であるだけに、アルチュセールの開拓的な認識論的研究は、高く評価されねばならない(フーコーの批判は少し大げさだが、アルチュセールよりも具体的にこの領域で仕事をしたひともすでにある。例えば、ルフェーブルとJ.T.デザンティ)。」(p.121-122)

□今村仁司19970210『アルチュセール――認識論的切断』講談社

「(…)カントなら拒否するようなアプリオリ=アポステリオリという逆説的事実こそ、歴史的現実である。それをアルチュセールは「経験的な超越論的なもの」(le transcendental empirique)とよぶ。(フーコーは『言葉と物』のなかで、近代的主体における経験的なものと超越的なものとの二重態をさすために、アルチュセールのこの用語そっくり同じ言葉を使うが、ひょっとすると、アルチュセールからの口頭による示唆があったかもしれない。)(…)」(p.106)

「ここで構造と主体に関するある種の誤解を指摘しておきたい。例えば、六〇年代から現在まで、構造と主体は正反対であり、構造は主体を放棄したり、主体を消滅あるいは死滅させると言われてきた。例えば、フーコーは「主体ないし人間の死」を語った。彼がかたっている「主体」とは、近代哲学が作ってきた「人間的主体」のことである。それは特定の時代の産物であり、それは遠からず消滅するだろうとフーコーは言う。近代哲学の「主体」が世界構成の原理であることの不可能性を語る限りでは、フーコー的表現も正しいが、それを一般化して、構造は主体を死滅させるとか、構造と主体は相いれないと語るのは錯覚である。
 構造は主体を排除するどころか、主体を要求し、かりに主体が存在しなければ無理にも出作りだす。アルチュセールはまさにこの事実を洞察したが、これは彼の傑出した理論的貢献である。彼が言うように、構造(社会的)は必ずそれ固有の主体/主観性の形式を算出し、この主体/主観性に構造の担い手の機能を担当させる。」(p.272-273)

□フーコー研究
■中山元19960620『フーコー入門』筑摩書房

「マルクス主義のアルチュセールのイデオロギーの理論は、イデオロギーを信じる主体がいかにして形成されるかという視点をそなえていた点で、マルクス主義の権力論としては例外的なものであった。しかしこのアルチュセールのイデオロギー論も、社会の主体は外部からイデオロギー(虚偽意識)によって統制されると考えるものであった。
 これに対してフーコーの権力論は、権力を虚偽意識の観点からではなく、主体の内部から機能する力として分析するものである。フーコーはそれまでの権力論を批判する――これまで権力は「排除する」「抑圧する」「隠蔽する」「取り締まる」などの否定的な用語で考えられてきたが、権力は主体の内部から、現実的なものを生み出している力として理解する必要があるのではないか。
 フーコーが権力を、このような外部からの強制や抑圧としてではなく、主体の内部から働く力として、複数の人間の間に成立する力の場として考えたことによって、権力の理論に新たな可能性が生まれた。
 まず、権力の理論をマルクス主義的な階級の抑圧理論として捉えるのではなく、社会の内部で普遍的に働くものであると考えることによって、権力の行使に関する微細な分析が可能となった。階級対立論では、アルチュセールのようにブルジョワ階級あるいは国家による権力の行使は分析できても、学校や会社やさまざまな制度と組織の内部での権力の装置の微細な分析は、そもそも必要と考えられなかっただろう。
 権力が、これまでのように抑圧的なブルジョワ権力や、革命的なプロレタリア権力のようなイメージではなく、真理を語ると自称する者とその真理を信じる者、教師と生徒、上司と部下、男性と女性、父親や母親と子供といった日常生活のすみずみに張りめぐらされた人間の間の力関係の網の目として理解されるようになることによって、現実の生活の場での社会批判の視点が確保されるのである。」(p.136-137)

■関良徳20010405『フーコーの権力論と自由論』勁草書房

「法や政治に関する理論の領域では、これまで概説してきた法的権力モデルという視座から権力の問題を理解することが自明の真理として通用してきた。これに対し、フーコーは、そうした定式の裏面に捉えられた現実の権力現象を捉えようとしている点でL.アルチュセールら同時代のマルクス主義者から影響を受けていたことは間違いないだろう(14)。しかし、マルクス主義者が権力の問題を階級構造や社会的矛盾として再発見しながら、それを再度これまでの法的権力モデルの中で解決・解放しようとしたのに対し、フーコーは従来の権力概念そのものを問題化しようと試みる。その意味で、両者の間には大きな隔絶があるといえよう。ここでは近代以降の権力の在り方に焦点を合わせ、法的権力モデルの有する諸特徴が現実の権力との間にいかなる関係性を有するのか、そのモデルが近代以降の権力現象を十分に映し出しているのか否かといった問題を検討する。」(pp.10-11)

(14)桜井哲夫[1996]二一二-二一六頁(=桜井哲夫『フーコー――知と権力』講談社)

「このようなフーコーの記述から、多くの論者は支配階級のイデオロギーを下部構造との関連において発見し、その虚偽性を批判しようとするマルクス主義的なイデオロギー論を想起した。フーコーが近代立憲主義を支配階級のイデオロギーとして捉えていることを指摘した人々は、法的思考枠組みが現実の身体的権力を覆い隠す役割を果たしてきたとする彼の歴史認識を批判の中心に据えた(25)。法の排除論を提起した人々は、この「法=イデオロギー」論を取り込むことで、フーコーと法との間に乗り越え難い「断絶」をつくりあげようとしたのである。しかしながら、このような批判は簡単な誤解と根深い偏見のうちに生み出されたものである。フーコーとアルチュセールのようなマルクス主義者との関係を指摘する研究も存在しているが(26)、フーコー自身は基本的に「イデオロギー」や「抑圧」といったマルクス主義の概念に対して批判的であり、そうした概念を基礎に思索を構成したとは考えられない(27)。そして、前述した通り、彼は「法」を単なる規律権力への「覆い」として理解する立場を離れ、近代社会の権力を構成するもう一方の還元不可能な要素として認識している(28)。法的権力として表象された「法」は、それ自体として私たちの現実的行為と結び付いた思考枠組みを産出しているのである(29)。このような議論の帰結として、フーコーを規律権力中心主義に位置付けるのは不可能であろう。」(pp.144-145)

「(27) Foucault [1977a] pp.146-149(八三-八六頁)。「イデオロギー」という概念を用いようとしない理由として、フーコーは次の三つを挙げている。①イデオロギーは常に「真理」と潜在的に対置されている。②イデオロギーの観念は、必ず「主体」に準拠している。③イデオロギーは、その下部構造に対して一歩退いた位置にある。」

■桜井哲夫20010510『知の教科書 フーコー』講談社

「ところで、周囲の人間たちは、フーコーが資格試験に失敗したのはその直前のフランス共産党入党のせいだと語っていたと言います。口述試験の試験管たちの政治的な偏見ゆえではなかったのか、というのです。むろん真偽は定かではありません。アルチュセールも恋人のエレーヌの影響で入党していましたので、アルチュセールに影響されたのかもしれません。(…)」(p.24)

「『狂気の歴史』は、アルチュセールやカンギレム、フェルナン・ブローデルらの絶賛を浴びますが、フーコーが期待したように、論壇で賞賛されるという事態にはなりませんでした。」(p.33)

「1980年初めにイタリアの雑誌に掲載されたフーコーへのインタビュー記事のなかで、トロンバドリは、六八年の学生反乱の際にフランクフルト学派のテーマが、いわば学生たちの合い言葉のようになっていたことを指摘しています。そしてその事実とフーコーとの関係について質問します。これに対して、フーコーは、次のように答えています(以下は、翻訳ではなく要約です)。
(…)
これに対して、トロンバドリは、しかし、フランクフルト学派は、たとえばアルフレート・シュミットなどのように、レヴィ=ストロースやアルチュセールの仕事を論評しながらフランス構造主義そのものを批判しているではありませんか、と問いかけています。
 フーコーは、次のように答えます。
 彼らは、フロイト的概念やらマルクス主義ヒューマニズム(疎外論)に染まっているところがあるので、我々が、失われたアイデンティティの回復だの、囚われた本質の解放だのをめざしていないということを理解できないことはわかっています。たとえば、マルクスに戻れば、彼の言う「人間が人間を生産する」という言葉をどのように理解すべきなのでしょうか。価値の生産や富の生産と同じように人間による人間の生産が行われると考えているフランクフルト学派の人々に私は同意できません。彼らの、この人間による人間の生産についての考え方こそが、合理性に結びつけられる抑圧的システムないし階級社会に結びつけられる搾取システムにおいて、人間をその本質から疎外するものすべてから解放する必然性がある、という議論を形づくっているわけなのです。
 フーコーは、彼らの、完全な人間の回復(疎外からの解放)という、ありもしないファンタジーにとらわれていると批判するわけです。続けてフーコーは、フランクフルト学派の人々の歴史に対する考え方は、自分が彼らに失望した部分だったと述べています。」(p.130-132)


●アルチュセールとブルデューとの関係についてのメモ●

□ブルデューによるコメント
■ピエール・ブルデュー(著),加藤晴久(編)19901100『ピエール・ブルデュー―超領域の人間学』藤原書店

「(…)アルチュセールの功績は、マルクスをデカルトやカントのように普通の哲学者として扱ったこと、マルクスの非物神化を行ったこと、スターリン主義、思想的テロリズムのもとになった神秘主義的なマルクス観を打破したことにあります。
 一緒にやった共同ゼミナールは、彼が『資本論を読む』のグループをつくる一つのヒントになったのではないかと思います。アルチュセールの世代にとっては、いや私の世代にとっても、共同研究なるものは存在しなかったのです。(…)私は社会学で、トゥレーヌ式の、霊感に導かれたかのような社会学、あれも変る、これも変る、大いにけっこう式の社会学に対立していましたし、アルチュセールは歴史的必然性とか構造とかのセンスを持ち合わせていましたから。
 ただ、その後、構造主義的マルクス主義なるものがもてはやされるようになると、彼自身は決して人を攻撃したりすることはなく、彼の弟子たちが……いや、彼も一度、ある序文のなかで「いわゆる〈社会〉科学なるもの」という言い方をしたのですね。これはちょっと許せないと思いましたね。そうしたことで何度か議論したことを覚えています。結局、アルチュセールには親しみを持っているけれども、アルチュセール主義には批判的といってよいでしょうね。」(p.35)

□アルチュセール研究
■今村仁司19930810『アルチュセールの思想』講談社

「他方、ブルデューはどうかといえば、彼には『再生産』や『ディスタンクシオン』という書物がある。ブルデューは決して誰かの「影響」を受けて追随するひとではないが、彼の理論的関心はおどろくほどアルチュセールと重なる。彼がある時期からバシュラールの「認識論的切断」を問題にし始めたり、象徴的暴力論による再生産論を議論したり、象徴資本論による階級分析をおこなうなどといったことは、アルチュセールの理論的刺激なしには考えられない。人類学的フィールドで社会の再生産を研究してきたブルデューは、独自の構想をもっていて、例えばウエーバーのエートス論をハイビトゥス論に改造して独創的な理論構成と社会学的記述をおこなう。この方面では、アルチュセールにはない豊かな内容がブルデューにはあるのだから、われわれにとってはむしろ、アルチュセールとブルデューとの結合こそが生産的になるだろう。アルチュセールが「イデオロギー的主体の形成」を「国家装置」論でやったことを、フーコーは「訓練装置」の具体的な歴史記述によって、ブルデューは身体的なハビトゥスの場面への「信念」の刷り込み(これがブルデュー的な「主体の形成」論である)を微細に記述することによって、それぞれに固有の仕方で豊かに展開していった。(…)」(p.46)


●アルチュセールとグラムシの関係についてのメモ●

□アルチュセール研究
■今村仁司19930810『アルチュセールの思想』講談社

「(…)社会構成の再生産過程は、無数の「イデオロギー装置」によって支えられる。こうした問題意識は、よく知られているように、グラムシの「市民社会」論と「ヘゲモニー」論から強い影響を受けている。グラムシの言いたかったことも、「市民社会」の再生産は、特定の支配階級のイデオロギー的ヘゲモニーが市民社会のすみずみまで浸透することなしにはありえないというものであった。しかしアルチュセールの関心は、このグラムシ的ヘゲモニーが社会のなかでどのように効果を発揮するのかであり、この効果のメカニズムを概念にまで仕上げることにあった。ここでアルチュセールはグラムシから離れる。アルチュセールは問題の所在をグラムシから学んだが、その問題への接近はむしろ独自の構想による。」(p.42)

「なぜマルクスに対して批判的読み方をおこなわねばならないのか。その理由として若干の例を挙げておこう。マルクスは古典派を批判する場合に、古典派の経済学的諸カテゴリーが、「非歴史的」、「永遠的」、「固定的」、「抽象的」であるという批判を加えている。そうなると、マルクスの理論的立場は、「歴史的」、「非永遠的」、「具体的」等々の用語をもって特色づけられよう。こうした判断――歴史的か非歴史的か、固定的か運動家か――は、マルクスと古典派との差異、マルクスの理論的革新性をくもらせてしまう。この種の考え方は、マルクス自身においても『哲学の貧困』以来一貫して存在しているが、その後の解釈者たちにおいては更に拡大されてマルクス経済学と哲学の中で支配的な力をふるっている。このような考え方は、同時に、マルクスとヘーゲルとの関係、とりわけ弁証法の特質の問題と深くかかわっているけれども、それらの問題の適切な理解を不可能とする傾きがある。マルクス主義への敵対者についてはさておくとしても、マルクス主義の立場に立つ多くの論者、とくに「急進的(根源的)歴史主義」の特徴づけによってまとめられる思想家たち(例えば、ルカーチ、コルシュ、グラムシなど)は、この種の見解を徹底的におしすすめ、ひとつの重要な理論領野を切り拓いた。しかし、彼らの理論的研究とその成果は、その最深部においては重大なマルクスへの誤解をひそめている。アルチュセールは、この点で彼らと決定的に対立し、「急進的歴史主義」の根源を理論的にあばこうとする。」(p.74)

「マルクス=『資本論』において、《理論》と《歴史》とが問題となるとき、その理論とは経済の抽象的一般的理論であり、その歴史とは人間が生きる実在的・具体的歴史である、というのが一般的了解事項であろう。そして、マルクスにおける資本主義経済の抽象理論と実在的な資本主義経済の歴史との関係は、ヘーゲルにおける哲学と哲学史との関係に比定される、というのがシュミットの見解である。ところが、アルチュセールは、このような形式での《理論》と《歴史》との関係づけを否定した。アルチュセールによれば、この種の理論-歴史関係の問題は、第二インターの主要な思想家たちの経済主義的問題設定(抽象理論の歴史への適用という形での両者の関係づけ)に基づくか、あるいはグラムシ、ルカーチ、コルシュ等の歴史主義的問題設定(歴史と論理〈理論〉との歴史哲学的=実践哲学的統一)に基づいている。経済主義と歴史主義に共通の考え方は、理論という思考過程と歴史という人間によって生きられた―生きられる実在的過程とを同一平面で結合できるとすることである。一方の項に《理論》があり、他方の項に《生きられる歴史》がある、この両項をうまくつなぐ解釈方式を見つけ出すことがそれぞれの理論の課題となる。一方の理論は、経済学とその外捜法、他方の理論は形而上学的歴史哲学。
 アルチュセールが主張したことは、科学的認識過程(思考過程=理論)と実在的社会史的過程とを直接的に連関させることは、認識論的には不可能である、というのであった。(…)」(p.286-287)

■ジャック・ビデ1995→20050520「序文にかえて」(アルチュセール『再生産について』平凡社)

「アルチュセールがここでグラムシから自分の着想の一部を得ていることは知られている。グラムシは、「市民社会」――「政治的社会」すなわち、狭義の国家の行政諸機構と対置される――の名のもとで、私的であれ、公的であれ、それらを通じて、指導的な階級のヘゲモニー、彼らのイデオロギーの優位が実現される諸制度の総体を指し示す。しかし、グラムシは、世界観、知、文化、倫理といった広い意味を、このイデオロギーの概念に与え、市民社会という場では上昇階級、すなわちプロレタリアートによる漸進的闘争が行われ、ヘゲモニーの獲得と同一視された革命的プロセス自体が進行する、と考える。それゆえ、アルチュセールは、ブルジョアジーが自らの支配を保証するための手段である国家機構の諸要素として、諸制度の総体を示すことによって、この考えを転倒させる。」(p.14)


●アルチュセールとフーコーとの関連についてのメモ●

□アルチュセールのフーコーへの言及

■1967-1968「哲学についてのノート」(19990720『哲学・政治著作集Ⅱ』藤原書店)

「理論的生産関係(定義が必要である。しかし、以下の結合関係を含んでいなければならない。マルクスの「モデル」におけるのと同様、理論的生産諸力のなかに現れる諸要素が、交差したかたちで現れること。ただし、異なる構造的関係を結んで現れること。本質的な要素としては、科学的であり理論的であるもの/イデオロギー的であり理論的であるもの、という対である。つまり哲学-効果である。)
 注意。理論的生産関係は、フーコーがエピステーメーという逸脱した用語で行っている空しい探求ともかかわる。しかし我々は原理上、彼よりはるかに進んでいる。」(p.914)

■1995→2005『再生産について』

「(…)封建制、およびその教会を筆頭とする国家の諸装置により行われた、こうした「イデオロギー的」階級闘争の信じがたい暴力のことを考えていただきたい。こうした階級闘争は、禁止や異端放棄の誓いだけでなく、拷問や火刑に満ち満ちている。ガリレイとジョルダノ・ブルーノ、この二人の名前しか挙げないが、それ以外にも宗教戦争(国家の宗教的イデオロギー装置の内部で、異端と正統のあいだで争われた激しい階級闘争)で虐殺された無数の人びと、また刑罰や〈大監禁〉に見舞われるよう運命づけられた多くの「悪魔憑き」、「魔女」、そして「狂人」たちがおり、これについてミシェル・フーコーは、フランスにおいて初めてひとつの考えを公にする勇気をもった(97)。(…)」(p.227)

「(97)Histoire de la Folie, Plon [『狂気の歴史』、田村俶訳、新潮社、一九七五年]。われわれの資本主義的な社会構成体において、国家の「医療的」イデオロギー装置と呼ぶ権利があると考えられるものについて、われわれはこれまで沈黙してきた。この装置は、それだけで一個の研究全体に値するものであろうが、われらが〈医学界の権威〉たちによって無視されたフーコーのこの注目すべき著作(残念ながら、われらが〈権威〉たちは、もはやこうした著作を燃やしてしまうことができないのだ)は、この装置にかんする重要な諸要素の系譜学を、われわれに与えてくれる。じっさい、ピネルの〈ヒューマニズム〉やドレーの薬理学によって緩和されたとはいえ、依然として一個の抑圧の歴史である〈狂気〉の歴史は続いている。そしてこの歴史は、多くの医師たちが自分たちの便宜のために「狂気」と呼ぶものを、きわめて大幅にはみ出している。」(p.420)

□フーコーのアルチュセールへの言及
(とりあえずミシェル・フーコー『思考集成』からアルチュセールについて直接的に言及している部分を抜書き)

■37「マドレーヌ・シャンプサルとの対談」

「――これらの饒舌にして、理論的且つ実践的な試みは、人間を救うこと、人間のうちに人間を再発見することなどなどを目的とし、たとえばマルクスとテイヤール・ド・シャルダンを折り合わせようとする(こうしたヒューマニズムに充ち溢れた試みが知的作業の総体をもう何年も麻痺させているのです)。私達の課題はヒューマニズムから完全に自由になることで、その意味で私達の仕事は政治的なのです。なにしろ、東西の諸々も政治体制が、その出来の悪い商品を、ヒューマニズムのパヴィリオンに持ち込んで通過させようとするのですから……こうした迷妄の数々を告発しなくてはなりません、たとえば現在、共産党内部でアルチュセールとその勇敢な仲間が「シャルダン-マルクス主義」と戦っているように……」(Ⅱ,p.332-333)

■48「歴史の書き方について」

「――あなたがおっしゃる歴史研究の新しさは正確にはどこにあるのでしょうか。

――これらの研究の特徴をいささか図式的にですが、次のように整理することができるでしょう。
(1)こうした歴史家たちは時代区分という非常にむずかしい問題に取り組んでいます。(…)
(2)それぞれの時代区分は、歴史におけるある一定の水準の出来事を切り取っているわけですが、逆に、出来事をなす層のそれぞれが固有の時代区分を必要としてもいる。(…)
(3)人間諸科学と歴史学の昔ながらの伝統的な対立(前者は共時的なものと非-進化的なものを研究し、後者は絶えざる大変動の次元を分析する)がなくなりました。(…)
(4)歴史学的方法や定義するものと考えられていた普遍的な因果関係よりも、ずっと多数の関係のタイプや結びつきの様態が、歴史分析に導入されています。
 こうして、たぶんはじめて、記号、痕跡、制度、実践、作品といったかたちで時間の流れのなかに堆積されてきた素材の総体が対象として分析されうることになったわけです。これらの変化には、二つのはっきりとした重要な動きが見て取れます――
・歴史家たちの側では、ブローデル、ケンブリッジ学派、ロシア学派等々の仕事、
・他方では、『「資本論」を読む』の冒頭でアルチュセールが展開した歴史という概念の実に見事な批判と分析、です。

――あなたはご自分の仕事とアルチュセールの仕事との間には直接的な親近性があるとお考えなのですね?

――かつてかれの生徒であり、かれに多くを負っているので、たぶんわたしはかれが非難するであろうような試みまでもかれの影響だと言いがちです。だからかれの側でどう考えているかについてはお答えできません。いずれにしても言えるのは、アルチュセールの著作をひもといて下さい、ということですね。
 とはいえ、アルチュセールとわたしのあいだには、はっきりとしたちがいが一つあります。かれはマルクスについて認識論的切断という言葉を用いるのですが、わたしの方は逆にマルクスは認識論的切断を代表してはいないとはっきりと言っています。」(Ⅱ,p.432-433)

■54「ミシェル・フーコーとのインタヴュー」

「――まずはじめに、レヴィ=ストロース、ラカン、アルチュセール、バルト、そしてあなた自身といった研究者の間には、なにが共通しているのでしょうか?

――構造主義を攻撃している人々に尋ねると、彼らはわれわれ全てのうちに或る共通の特徴を見ており、それが彼らの不信と怒りを招いているような印象を受けます。それに対して、レヴィ=ストロースやラカン、アルチュセール、或いは私自身に聞いてご覧になれば、われわれはそれぞれ、自分と他の三人の間には共通なものはなにもない、またこれら三人の間にも何も共通なものはない、と明言するでしょう。(…)この人間主体、意識、実存の排除が、現代の研究を、おおまかに、否定的な仕方で特徴づけているように思われます。肯定的には、構造主義はなによりも無意識を探求する、といっておきましょう。現在ひとが解明しようとしているのは、言語や文学作品、認識の無意識的構造なのです。第二に、本質的に研究の対象となっているのは、形式や体系であり、つまり言語やイデオロギー(アルチュセールの分析のように)、社会(レヴィ=ストロースにおけるように)、或いは異なった認識の領野――これが私自身取り組んだことでした―― に属する数多くの要素の間に存在する、論理的な相関関係を浮き出させるべく努力がなされているといってよかろうと思います。おおまかに言えば、構造主義とは、それが生じえたとこではどこでもなされうる論理的構造の研究である、と記述できるでしょう。」(Ⅲ,p.41-42)

「(…)サルトルやガロディといった人が、さまざまな知的潮流間の、こうした平和共存のために働いているのは明らかですし、彼らはまさしく、ヒューマニズムを放棄するべきではないし、テイヤール・ド・シャルダンも放棄すべきではない、また実存主義もいくらかは正しいし、教条主義的ではなく、具体的で世界に開かれてさえいれば構造主義もそうだ、というふうに言っているのです。共存を前面に押し出したこうした流れの対極に、「右寄りの人々」が教条主義的、新スターリン主義的で中国的と呼ぶ流れがあります。フランス共産党内部でのこうした傾向は、一貫した、イデオロギー的に受け入れうる、マルクスの教義と合致した政治、科学、哲学のマルクス主義的理論を再び確立しようとする試みです。現在、共産党内の左翼に属する共産主義的知識人らによって行われているのはこの試みであり、彼らは多かれ少なかれアルチュセールのまわりに集結しています。この構造主義的なグループは、左寄りなのです。(…)」(Ⅲ,p.47- 48)

■55「フーコー、サルトルに答える」

「――構造主義は、今日どのように定義なさいますか?

――「構造主義者」という項目の下に分類される人たち、レヴィ=ストロースでもラカンでもアルチュセールでも、また言語学者など、誰でもいいのですが、この人たちに尋ねてごらんになれば、彼らは、自分たちには互いに共通なものなど全くない、或いはほんのわずかしかない、と答えるでしょう。構造主義というのは、他の人のために、そうでない人のために存在するカテゴリーなのです。この人とこの人、そしてこの人は構造主義者だ、などと言えるのは、外部からに限ります。構造主義者の何たるかは、サルトルに聞くべきです、というのも彼は、構造主義者(レヴィ=ストロース、アルチュセール、デュメジル、ラカンそして私)が一貫したグループ、一種の統一性を構成するグループをなすと考えているからですが、この統一性というのが、いいですか、われわれには、見えてこないのです。」(Ⅲ,p.57-58)

■85「ミシェル・フーコーとの対談」

「S.P.ルアネ――やはりマルクス主義に関して、もう一つ別の質問をさせていただきたいと思います。『言葉と物』のなかで「経験的=超越論的二重体」について語りつつ、あなたは、現象学とマルクス主義とが、ポジティヴィスムあるいは終末論のいずれかへと必然的に導く振り子運動の単なる異本に過ぎない、とおっしゃいました。一方、アルチュセールの思考は、一般的に言って諸々の構造主義の側に、そしてしばしばあなたご自身の仕事と同じ側に分類されます。あなたは、アルチュセール的マルクス主義について、それがポジティヴィスムと終末論によって限界づけられた知の布置を乗り越えているとお考えになりますか。あるいはそれとも、アルチュセールの思考もやはり、そうした布置の内部に位置づけられると考えていらっしゃるのでしょうか。

M.フーコー――第一の答えを選びたいと思います。この問題に関して、私は自己批判を行わなければなりません。『言葉と物』のなかでマルクス主義について語った際、私は、自分が何を言おうとしているのかということを十分に明確にしませんでした。この本のなかで私は、自分の歴史的分析が、ある特定の期間、すなわち、おおまかに言って一六五〇年から一八五〇年まで、もしくはせいぜい十九世紀末に至るまでの期間についてのものであり、また、言語、生命、労働に関する諸科学によって構成される特定の領域についてのものであるということを、はっきりと示したつもりでした。この本のなかでマルクス主義について語ったとき、私は、このテーマに過大な重要性が付与されていることは知っていたわけですから、そこで問題にしているのがせいぜいヨーロッパにおいて十九世紀の初めまで機能したものとしてのマルクス主義である、ということを、断っておくべきでした。また、この点が私の失敗であったのですが、問題になっているのが、例えばエンゲルスのような、マルクスを注釈している幾人かの人々のうちに見いだされるものとしての特定のマルクス主義である、ということも、明確に示しませんでした。そして、そのようなものとしてのマルクス主義はまた、マルクス自身のうちにも見いだすことができます。私は一種のマルクス主義的哲学のことを考えているのですが、私の考えではこれは、マルクスの歴史的社会的分析とその革命的実践とから派生したイデオロギー的付随物であり、マルクス主義の中心的思想ではありません。マルクス主義の核心を、資本主義社会の分析とそうした社会における革命的行動の図式として考えるならば、私はマルクス主義について語ったのではなく、一種のマルクス主義的ヒューマニズムについて語ったということになります。イデオロギー的付随物、哲学的バックグラウンド・ミュージックとしての。
J.G.メルキオール――「マルクス主義的ヒューマニズム」という表現をお使いになることで、あなたの批判は自動的にひとつの理論的領域へと向けられることになり、それによってアルチュセールは、あなたの批判を免れることになります。
M.フーコー――はい。私の批判は、例えばガロディのような著作家に対しては依然として有効であると思われますが、アルチュセールのような知識人に対しては適用されません。」(Ⅳ,p.55-57)

■103「歴史への回帰」

「現象学者や実存主義者によってとなえられた異議は、一般に、ある種のマルクス主義者たちがそのまま彼らに向けたものにほかなりません。もっともここでいうマルクス主義者は、いわば大ざっぱで短絡的なマルクス主義者、いいかえれば自分たちの準拠する理論としてマルクス主義そのものをとりあげるのではなく、まさに現代のブルジョワ・イデオロギーによりかかっている連中というくらいの意味なのですが。逆に、より真剣なマルクス主義、いいかえれば真に革命的なマルクス主義の側からも異議がとなえられています。彼らが申し立てる異議は、次のような事実にもとづいています。すなわち、学生や知識人のなかで起こった、あるいは今なお起こりつつある革命運動は、構造主義運動にほとんどなにも負っていないということ。この原則に関して例外というべきケースは、おそらくひとつしかありません。アルチュセールの場合です。マルクスのテキストを読み、これを分析するにあたって、アルチュセールは構造主義的方法とみなしうるものをいくつか適用したマルクス主義者であり、彼の分析はヨーロッパにおけるマルクス主義の最近の歴史のなかで、きわめて大きな重要性をもっていたといわなければなりません。その重要性は次にような事実と結びついています。つまりアルチュセールは伝統的なマルクス解釈を、あらゆるヒューマニズム、あらゆるヘーゲル主義、さらには重くのしかかっていたあらゆる現象学から解放し、そのかぎりにおいて彼は、大学人のそれではないマルクスの読み方、純粋に政治的な読み方をふたたび可能にしたのです。しかしながら、最初はどんなに重要だったにせよ、アルチュセールの分析は革命運動自体によってたちまち乗り超えられてしまいました。その革命運動は、周知のように学生層・知識人層のなかで起こった運動でありながら、本質的に反理論的な運動でした。そのうえ、最近世界中で起こった革命運動の多くは、レーニンよりローザ・ルクセンブルクに近いものでした。いいかえれば、これらの運動は理論的分析より大衆の自発性により多くの信をおくものだったのです。」(Ⅳ,p.205-206)

■119「アルケオロジーからディナスティックへ」

「――わたしは、ヨーロッパのある種のマルクス主義者たちが歴史分析を実践する場合、その彼らのやり方というものにおそろしく腹をたてています。また、彼らがマルクスを参照する場合のやり方にも、ひどく腹をたてているのです。
 何が癇にさわるかといえば、その第一のものは、彼らがマルクスを参照する場合のやり方ということになりましょう。わたしは最近、「パンセ」誌に掲載されたある論文を読みました。決して駄目な論文ではない。むしろ大そう美しい一篇の論文なのです。それは、実はわたし自身とも面識のある青年によって書かれたもので、アルチュセールの協力者としてよく知られているバリバールの手になるもので、マルクス的概念による国家とその変換をめぐる目ざましい研究になっています。」(Ⅳ,p.400-401)

■139「真理と裁判形態」

「(…)誰かが、人間の具体的本質は労働だ、と言いました。実を言えば、このテーゼは何人もの人が口にしました。それはヘーゲルにも、ポスト・ヘーゲル派にも、またマルクスにも見られます。アルチュセールなら、ある時期のマルクスと言うでしょうが。私は誰が言ったかということに関心があるのではなく、言表の機能に関心をもっていますから、誰がいつ言ったかといったことには重きを置きません。(…)」(Ⅴ,p.187)

■160「精神病院、性、監獄」

「(…)私がサン・パウロ大学の講座で説明しようとしたのは、ナチズムとスターリニズムの終焉以来、資本主義および社会主義社会の内部での権力機能が問題になってきたということです。ただし私が権力の機能と言うときには、単に国家機構、支配階級、覇権的な特権階級といった問題だけを指すんではなく、むしろ末端付近の微細なところで働いている一連のミクロ権力、つまり個人個人の日常行為はおろか身体そのものにまで及んでいく権力を指しているんです。我々は権力の策略の網にからめ捕られて生活している。私が言うのはそういう意味での権力です。ナチズムとスターリニズムの終焉以降、誰にとってもそれが問題になっている。今日きっての大問題です。
 付言しておけば、この問題に関しては従来二つの考え方、解き方があって、それはそれなりに面白いんですが、そのいずれも私の見解とは全くことなっています。一つは正統的とも伝統的ともいえるマルクス主義的見解で、これらの問題はすべて昔ながらの国家機構の問題に含めて考察するといったやり方。「国家のイデオロギー装置」という概念を打ち出したアルチュセールの試みがこれに当たります。二つ目のものは構造主義、言語学、記号学といった流派で、この問題を全て「意味するもの(シニフィアン)」の次元で公式化して片付けるやり方です。第二次大戦以後に生じた具体的な問題全体をあっさり単純化してしまうやり方として、このように片やマルクス主義的な、片やアカデミックな二つの方法があるわけです。」(Ⅴ,p.399)

■219「フーコーによる序文」

「その結果ひとつの逆説が生まれる。カンギレムの作品は飾り気がなく、科学史のある特定の領域にあえて注意を集中させている。いずれにせよ科学史などはおもしろおかしい学問としては通用しないのだが、そのカンギレム自身がおよそ参加しようなどとは思っていなかった議論に顔を出す破目になったのである。だがカンギレムを消し去ったら、アルチュセールもアルチュセール主義もよく理解できないし、フランスのマルクス主義における一連の議論もすべて理解できなくなってしまうだろう。またブルデュー、カステル、パスロンといった社会学者たちの特殊性も、社会学の分野で彼らの影響を際だたせているのがなんなのかもわからなくなるだろう。精神分析家とりわけラカン主義者たちの理論的研究の一側面もまったく見逃してしまうことになる。そればかりではない。一九六八年の運動の前後の思想的論争において、多かれ少なかれカンギレムの教育を受けた者を位置づけることは簡単なことなのだ。」(Ⅶ,p.4)

■234「哲学の舞台」

「このような〈主体〉の非根底的・非根源的性格こそ、構造主義者と呼ばれた人々に共通のものだった。それが先行世代にとって、極めて不愉快なことだったわけですが、ラカンの精神分析にせよ、レヴィ=ストロースの構造主義にせよ、バルトの分析、アルチュセールの仕事、あるいは私の仕事にせよ、私達はすべてこの一点については意見が一致していた。すなわち、デカルト的な意味での〈主体〉、そこからすべてが生まれてくるような根源的な点としての〈主体〉から出発してはならない、ということでした。そして第三には、〈主体の解体〉を通じて、ニーチェへと導かれたことです。」(Ⅶ,p.178-179)

■281「ミシェル・フーコーとの対話」

「――共産党におけるこの短い経験が終了した後は、けっして政治活動には参加されなかったのですか。

――参加しませんでした。私は学生時代を終えました。この時期わたしは、フランス共産党で活動していたルイ・アルチュセールと頻繁につきあっていました。そもそも、入党したのは、少しは彼の影響からでした。そして、離党したとき、彼からはなんら破門制裁(アナテマ)はありませんでした。離党したからといって、彼は私との関係を絶とうとはしなかったのです。

――アルチュセールとあなたとの絆、あるいは少なくともお二人の一定の知的類縁関係は、一般に知られているよりも遠い起源をもっていますね。私が言いたいのは、とりわけ、一九六〇年代フランスで理論的議論の舞台を支配した構造主義をめぐる論争において、あなたの名が何度もアルチュセールの名に結びつけられていたという事実ですが。アルチュセールはマルクス主義者で、あなたは違います。レヴィ=ストロースその他もそうではありません。批評は、あなたがた全員を多かれ少なかれ「構造主義者」というタームのもとにまとめました。それをどうやって説明されますか。そしてあなたがたの探求に共通な下地、そういったものがあるのならばですが、それは何だったのでしょうか。

――ここ十五年間、「構造主義者」と呼ばれてきたけれども、もちろんレヴィ=ストロースを除いて、構造主義者ではなかった人びと、すなわちアルチュセール、ラカン、私、これらの人びとのあいだに一つの共通点があります。実際のところ、この収斂点は何だったのか。それは、主体の問いを別の仕方で問いなおすこと、フランス哲学がデカルト以来けっして放棄することがなく、現象学によって強化されたあの基本的公準から自由になることです。精神分析から出発して、ラカンは、無意識の理論は(デカルト的意味ばかりではなく主体という語の現象学的意味においても)主体の理論とは両立不可能であることを明らかにしました。
(…)アルチュセールは、主体の哲学を問いなおしましたが、それはフランスのマルクス主義が現象学と人間主義によっていささか浸透されていたからであって、さらに疎外の理論が人間的主体をして、マルクスの政治的-経済的諸分析を哲学的な語彙に翻訳することを可能にする基盤となしていたからなのです。アルチュセールの作業は、マルクスの諸分析をやりなおし、それら分析のなかに、たとえばロジェ・ガロディのような一部マルクス主義者の理論的立場が依拠する、あの人間的本性、主体、疎外された人間といった考えが現れているかどうかを問うことに存していました。アルチュセールの答えが完全にネガティヴであったことはよく知られたことです。」(Ⅷ,p.208-209)

「――けれども、奇妙なことに、ルイ・アルチュセールもそうした破門譴責の対象となりましたね。彼の探求は十全にマルクス主義と自己同一化し、マルクス主義のもっとも忠実な解釈たろうとしていたというのに。というわけで、アルチュセールもまた、構造主義者のうちに位置づけられました。では、『資本論を読む』のようなマルクス主義の作品と、あなたの『言葉と物』といった書物、これらは六〇年代中頃に刊行され、とても異なった方向をもっていたわけですが、これらが反構造主義の同じ論争の標的になったということを、どうやって説明されるのでしょうか。

――アルチュセールについては、正確に申し上げることはできません。(…)」(Ⅷ,p.226-227)

■336「スティーヴン・リンギスによるミシェル・フーコーへのインタヴュー」

「――パリでのあなたの学業について少しお話し頂けますか。今日あなたがなさっているような仕事について、誰かが特定の影響を及ぼしているのでしょうか。あるいは、個人的な理由から、あなたが感謝の念を抱かれている教授はおられますか。

――いいえ。私はアルチュセールの生徒でした。そして、当時、フランスにおける主要な哲学的趨勢はマルクス主義、ヘーゲル主義と現象学だったのです。むろん、私はそれらを学びましたが、初めて個人的な仕事をやり遂げようという欲望を抱いたのはニーチェの読解を通じてでした。」(Ⅸ,p.430)


●ドゥルーズのアルチュセールへの言及●

■ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ1972→19860510『アンチ・オイディプス』河出書房新社

「コード化と公理系との相異
何故、資本主義は、たんにひとつのコードをいまひとつの別のコードに代えているだけなのだといってはいけないのか。あるいは、資本主義は、たんに新しい型のコード化を実現しているだけなのだといってはいけないのか。それは、そういい切ることができない二つの理由があるからである。そのひとつは、いわば道徳的にいって、いまひとつは、むしろ論理的にいって不可能であるという理由からである。(…)間接的、質的、限定的といった、コードの関係にかかわる諸性格はすべて、コードが決して経済的なものではなく、また経済的なものではありえないということを余すところなく示している。むしろ、コードは、次のような外見上の客観的運動を表現しているのである。つまり、あたかも、登記の土台や動因をなす超経済的な決定機関〔審級〕から流出してくるものででもあるかのように、種々の経済力と生産的接続とがこの超経済的な決定機関に帰属しているようにみえる客観的運動を表現しているのである。このことは、アルチュセールとバリバールとが極めて明確に指摘していることである。かれらは、例えば封建制の場合において、いかにして法律的政治的諸関係が支配的であると規定されるのかということを指摘している。何故なら、ここでは剰余価値の形態としての剰余労働は、労働の流れとは質的にも時間的にも区別される流れを構成するものであり、したがって、非経済的な諸因子を含む質的な複合物そのものの中に入るべきものであるからである(98)。あるいはまた、かれらは、いわゆる原始社会においては、いかにして、縁組と出自との土着的諸関係が支配的であると規定されるのかということを指摘している。この社会においては、種々の経済力と種々の経済的な流れとが、大地の充実身体の上に登記され、この身体に帰属しているからである。アルチュセールとバリバールが指摘していることは、こうした点である。要するに、反生産の決定機関〔審級〕としての充実身体が経済の上に折り重なり、経済を自分のものにしてしまうところにしか、コードは存在しないのだ。(…)したがって、コードの関係は、当該社会が存在し存続する条件として、ひとつの共同の評定評価の体系といったものを前提としている。つまり、ひとまとまりをなしている知覚器官を((あるいは、もっと正確にいえば信仰器官を、といってもいい))前提としている。」(p.296-297)

「(98) Cf. Marx, Le Capital, Ⅲ, 6, ch. 24, Pleiade Ⅱ, p.1400.
「このような条件のもとにおいて、名目上の土地所有者のための労働をかれらに無理やりに実行させるためには、いかなる性質のものであれ、経済外的な理由がなければならない。」大月書店版『マルクス・エンゲルス全集』廿五巻b、一〇一四頁。」(p.503)

「では、何故に劇場であるのか。なんと奇妙であることか、この劇場の無意識は。この紙粘土の無意識は。劇場が生産のモデルとして理解されることになるとは。アルチュセールにおいてさえ、ひとは次のような操作に立ちあうことになる。すなわち、まず、「機械」あるいは「機械機構」としての社会的生産が発見される。この社会的生産は、客観的表象(〔前に立てるという意味での〕Vorstellung〔表象〕)の世界には還元されないものである。ところが、すぐさま、機械が構造に還元される。生産が構造論的劇場的表象(〔そこに置くという意味での〕Darstellung〔上演〕)に一体化される(26)、というわけである。」(p.363)

「(26) Louis Althusser, Lire le Capital, Ⅱ,pp.170-177.(〈不在-現在〉としての構造について)。」(p.508)

■ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ1980→19940930『アンチ・オイディプス』河出書房新社