日本の合戦一覧
日本の合戦一覧(にほんのかっせんいちらん)は、日本の歴史上で発生した武力を以って行った主要な争いの一覧である。
概ね「戦い」や「合戦」は軍隊同士の大規模な戦闘、「乱」は国家や公的な組織に対する内戦・反乱・クーデターに当たる争い、「変」は国家や公的な組織による内戦・反乱・クーデター[1]、「役」は外国・異民族との戦争[2]。
先史時代
縄文時代
晩期(B.C.1300年頃 - B.C.300年頃) : 高砂貝塚(たかさご 北海道虻田郡洞爺湖町)集団間戦闘での損傷を強く示唆する人骨
弥生時代
中期 - 後期(紀元前1世紀頃 - 4世紀中頃?、古く見る説では紀元前4世紀頃 - 3世紀前半) : 環濠集落や高地性集落の広がり(かんごうしゅうらく、こうちせいしゅうらく 九州から関東)広い地域で恒常的に戦乱
中期後半 - 後期(1世紀頃 - 4世紀中頃?) : 鶴見川流域の激烈な戦乱[3](つるみ 神奈川県)環濠集落が密集
後期(2世紀頃 - 4世紀中頃?) : 青谷上寺地遺跡の大量虐殺(あおやかみじち 鳥取県鳥取市)
古墳時代(大和時代)
3世紀後半から4世紀後半? : 入の沢遺跡の滅亡(いりのさわ 陸奥国 - 宮城県栗原市)大和朝廷側の村が蝦夷に滅ぼされたか
原史時代
弥生時代
2世紀後半(? - 189年頃) : 倭国大乱(わこくたいらん、北九州または西日本)
3世紀(260年代まで?) : 邪馬台国と狗奴国の抗争(やまたいこく、くなこく 北九州対南九州または西日本対東海・関東)
240年代末 - 250年代? : 邪馬台国で卑弥呼死後戦乱の末台与(壱予)が女王(ひみこ、とよ/いよ 北九州または関西)
3世紀? - 4世紀? 北九州の倭国と新羅の戦争(わこく、しらぎ 新羅)三韓征伐より前の倭と新羅の戦争を、北九州の倭人の国の新羅侵攻とする説がある[4]。古いものは弥生時代
古墳時代(大和時代)
4世紀後半 : 北九州の地方国家の新羅侵攻と敗北(しらぎ 新羅)大和朝廷進出直前の事か[5]
391年 - 407年(392年 - 408年[6]) : 大和朝廷と高句麗の戦争(倭国と高句麗の17年戦争[7])(やまと/わ、こうくり 高句麗、新羅、百済など)
478年 : 倭王武(雄略天皇)が上表文で高句麗との戦争の意思を表明(わおうぶ)
飛鳥時代以前
須佐之男命の八岐大蛇退治(すさのお、やまたのおろち 出雲国または安芸国)
大国主神による八十神の平定(おおくにぬし、やそがみ 出雲国)
建御雷神と建御名方神の争い(たけみかづち、たけみなかた 出雲国)
建御名方神と洩矢神の争い(たけみなかた、もりや 諏訪地域)
経津主神による葦原中国平定(ふつぬし 出雲の支配地域)
神武東征(じんむとうせい 主に近畿地方)
健磐龍命の阿蘇派遣(たけいわたつ 肥後国阿蘇地方)九州中部の占領
神渟名川耳尊と手研耳命の皇位継承争い(かむぬなかわみみ、たぎしみみ 奈良県)
武埴安彦の乱(たけはにやすひこ 奈良県、京都府)大和朝廷の勢力拡張前
四道将軍の派遣(しどうしょうぐん/よつのみちのいくさのきみ 会津から吉備や丹後まで)
出雲振根(阿多命)を討伐(いづものふるね、あた 出雲国)
武五百建命の信濃派遣(たけいおたつ 信濃国)
都怒我阿羅斯等の来朝と新羅との争い(つぬがあらしと、しらぎ 日本、任那、新羅)
天日槍と伊和大神の争い(あめのひぼこ、いわのおおかみ 兵庫県但馬地方と播磨地方)
狭穂彦の乱(さほびこ 大和国)
景行天皇の征西(けいこう 九州)
倭建命の征討(やまとたける 九州、関東、東北など)
仲哀天皇の征西と死(ちゅうあい 長門国、筑前国)
神功皇后が田油津媛らを撃滅(じんぐう、たぶらつひめ 筑後国山門郡など)日本統一戦争の最終戦らしい[8]
三韓征伐(さんかんせいばつ/みつのから 韓国)
忍熊王・麛坂王の乱(おしくまのみこ、かごさかのみこ 播磨国、摂津国、紀伊国、山城国、近江国)
大浜宿禰が海民の騒動を鎮圧(おおはまのすくね 不明)
武内宿禰を弟が讒言し盟神探湯で決着(たけしうちのすくね、くかたち 九州、大和国)
大山守皇子の乱(おおやまもりのみこ 山城国)
仁徳天皇が隼総別皇子を誅殺(はやぶさわけのみこ 大和国、伊勢国)
上毛野君田道を派遣して新羅征討(かみつけぬ の きみ たぢ 新羅)
蝦夷の反乱で上毛野君田道が戦死(たぢ 陸奥国 - 宮城県石巻市?、千葉県いすみ市説もあり)
葛城襲津彦が新羅の美女の誘惑に引っかかり加羅を討つ(かずらき の そつひこ、しらぎ、から 新羅、加羅)
武振熊が両面宿儺を討伐(たけふるくま、りょうめんすくな/ふたつら 飛騨国)
住吉仲皇子の乱(すみのえのなかつみこ 摂津国、大和国)
允恭天皇が玉田宿禰を誅殺(いんぎょう、たまだのすくね 大和国)
木梨軽皇子の失脚(きなしのかるのみこ 大和国)
安康天皇による大草香皇子の殺害(あんこう おおくさかのみこ 大和国)
眉輪王の変と雄略天皇(倭王武)による皇族殺戮(まよわのおおきみ ゆうりゃく 大和国)
吉備氏の乱(吉備上道臣田狭の反乱)(きびのかみつみちのおみのたさ 任那)
吉備下道臣前津屋を誅殺(きびのしもつみちのおみのさきつや 備中国)
新羅、高句麗との戦争で大伴談連が戦死(おほとものかたりのむらぢ 新羅)
雄略天皇による新羅親征計画(ゆうりゃく)
星川皇子の乱(ほしかわのみこ 大和国、備前国、備中国)
紀大磐が三韓の王になろうとするが失敗(き の おおいわ 任那、百済)
平群真鳥、平群鮪父子を誅殺(へぐりのまとり、へぐりのしび 大和国)
527年? - 528年? : 磐井の乱(いわい 筑後国)
534年? : 武蔵国造の継承争い(むさしのくにのみやつこ/むさしこくぞう 武蔵国、上野国)朝廷に対する反乱ではない
540年? : 新羅が任那を併合(しらぎ、みまな 任那)
587年? : 丁未の乱(ていび 大和国、河内国)物部守屋の滅亡
600年 : 推古朝の新羅征討(すいこ、しらぎ 新羅)
643年 : 蘇我入鹿が山背大兄王一族を滅ぼす(そがのいるか、やましろのおおえのおう 大和国)
658年 - 660年 : 阿倍比羅夫の北方遠征(あべのひらふ 東北、渡嶋 - 北海道?)
660年頃 : 蝦夷と粛慎の交戦(えみし、みしはせ 渡嶋 - 北海道?)アイヌ人の祖先とオホーツク文化人(ニヴフ人か)の戦いか
663年 : 白村江の戦い(はくすきのえ/はくそんこう 新羅 - 錦江河口付近)
672年 : 壬申の乱(じんしん 大和国、伊勢国、尾張国、美濃国、近江国など)
奈良時代
720年 - 721年 : 隼人の反乱(はやと 大隅国、薩摩国)
740年 : 藤原広嗣の乱(ふじわらのひろつぐ 筑前国、豊前国、長門国など)
758年 : 藤原仲麻呂による新羅征討計画(ふじわらのなかまろ、しらぎ)
764年 : 藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)(ふじわらのなかまろ、えみのおしかつ 大和国、山城国、近江国、越前国)
774年 : 桃生城襲撃事件(ものう 陸奥国 - 宮城県)
774年 : 宝亀五年の征夷(ほうき 陸奥国 - 宮城県)
776年 : 宝亀七年の征夷(ほうき 陸奥国 - 宮城県)
780年 : 宝亀の乱(ほうき 陸奥国 - 宮城県)
789年 : 延暦八年の征夷(えんりゃく 陸奥国 - 岩手県)
789年 : 巣伏の戦い(すぶしまたはすぶせ 陸奥国 - 岩手県奥州市)
794年 : 延暦十三年の征夷(えんりゃく 陸奥国 - 岩手県)
平安時代
801年 : 延暦二十年の征夷(えんりゃく 陸奥国 - 岩手県)
811年 : 弘仁二年の征夷(こうにん 陸奥国 - 青森県)
813年 : 弘仁の韓寇(こうにんのかんこう 対馬国)
820年 : 弘仁新羅の乱(こうにんしらぎのらん 遠江国、駿河国、伊豆国)
820年 : 弘仁新羅の寇(こうにんしらぎのこう 肥前国)
869年 : 貞観の韓寇(じょうがん 豊前国)
878年 : 元慶の乱(がんぎょう 出羽国)
889年 : 寛平・延喜東国の乱(かんぴょう、えんぎ、とうごく/あづまのくに 東国)
893年 : 寛平の韓寇(かんぴょうのかんこう 壱岐国、対馬国、肥前国、肥後国)
911年 : 弘仁の新羅の賊(こうにん 対馬国)
913年 : 弘仁の新羅の賊(こうにん 肥前国)
935年 - 940年 : 承平天慶の乱 の平将門の乱(じょうへいてんぎょう、たいらのまさかど 関東)初期は私戦で天慶2年から反乱
939年 : 天慶の乱 (出羽国)(てんぎょう 出羽国)
940年 - 941年 : 承平天慶の乱 の藤原純友の乱(じょうへいてんぎょう、ふじわらのすみとも 西日本、畿内も?)
947年 : 藤原是助の乱(ふじわらのこれすけ 伯耆国)
997年 : 長徳の入寇(ちょうとく 九州全域)
997年 : 「奄美島」の者が大宰府管内へ乱入(あまみ 薩摩国、奄美大島)
999年 : 大宰府が南蛮人(奄美大島らしい)を追討(九州、奄美大島)
1019年 : 刀伊の入寇(とい 対馬国、壱岐国、筑前国、高麗)
1028年 - 1030年 : 平忠常の乱(たいらのただつね 上総国・下総国)
1051年 - 1062年 : 前九年の役(ぜんくねんのえき 陸奥国)
1051年 : 鬼切部の戦い(迫川の戦い)(おにきるべ 陸奥国 - 宮城県大崎市)
1056年 : 阿久利河の戦い(迫川の戦い)(あくとがわ 陸奥国 - 岩手県一関市?)
1056年 : 黄海柵の戦い(きのみのさく 陸奥国 - 岩手県一関市)
1062年 : 小松柵の戦い(こまつさく 陸奥国 - 岩手県一関市)
1070年頃 : 延久蝦夷合戦(えんきゅうえぞ 陸奥国、蝦夷地?)
1083年 - 1087年 : 後三年の役(ごさんねんのえき 出羽国)
1086年 : 沼柵の戦い(ぬまさく 出羽国 - 秋田県横手市)
1087年 : 金沢柵の戦い(かなざわさく 出羽国 - 秋田県横手市)
1107年 - 1108年 : 源義親の乱(みなもとのよしちか 出雲国)
1156年 : 保元の乱(ほうげん 京周辺)
1159年 : 平治の乱(へいじ 京周辺)
1177年 : 鹿ケ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)
1179年 : ツホカミ山の戦い(つほかみやま 伯耆国)
1180年 - 1185年 : 治承・寿永の乱(じしょう、じゅえい 関東から九州)
1180年 : 以仁王の挙兵(もちひとおう 山城国)
1180年 : 石橋山の戦い(いしばしやま 相模国)
1180年 : 市原合戦(いちはら 信濃国)
1180年 : 富士川の戦い(ふじがわ 駿河国)
1181年 : 南都焼討 (なんとやきうち 大和国)
1181年 : 墨俣川の戦い(すのまたがわ 尾張国、美濃国)
1181年 : 横田河原の戦い(よこたがわら 信濃国)
1183年 : 火打城の戦い(ひうちじょう 越前国)
1183年 : 野木宮合戦(のぎみや 下野国)
1183年 : 倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげ 加賀国、越中国)
1183年 : 篠原の戦い(しのはら 加賀国)
1183年 : 水島の戦い(みずしま 備中国)
1183年 : 室山の戦い(むろやま 播磨国)
1183年 : 法住寺合戦(ほうじゅうじ 京)
1184年 : 宇治川の戦い(うじがわ 山城国)
1184年 : 粟津の戦い(あわづ 近江国)
1184年 : 一ノ谷の戦い(いちのたに 摂津国)
1184年 : 三日平氏の乱(みっかへいし 伊勢国、伊賀国)
1185年 : 藤戸の戦い(ふじと 備前国)
1185年 : 屋島の戦い(やしま 讃岐国)
1185年 : 壇ノ浦の戦い(だんのうら 長門国)
1185年 : 河原津の合戦(かわはらつ 摂津国)
1185年 : 河尻の戦い(かわじり 摂津国)
鎌倉時代
1189年 : 衣川の戦い(ころもがわ 陸奥国)
1189年 : 奥州合戦(おうしゅう 陸奥国)
石那坂の戦い(いしなざか 陸奥国)
阿津賀志山の戦い(あつかしやま 陸奥国)
1190年 : 大河兼任の乱(おおかわかねとう 出羽国、陸奥国)
1199年 : 梶原景時の変(かじわらかけとき 駿河国)
1201年 : 建仁の乱 (けんにん 山城国、越後国)
1203年 : 比企能員の変(ひきよしかず 相模国)
1205年 : 畠山重忠の乱(はたけやましげただ 相模国)
1213年 : 泉親衡の乱(いずみちかひら 相模国)
1213年 : 和田合戦(わだがっせん 相模国)
1221年 : 承久の乱(じょうきゅう 関東、東海、北陸、近畿)
1247年 : 宝治合戦(ほうじ 相模国)
1264年 - 1286年 : モンゴルの樺太侵攻(サハリン、蝦夷が島)北海道のアイヌ人も関わる
1272年 : 二月騒動(にがつそうどう 山城国 - 京、相模国 - 鎌倉)
1274年 : 文永の役(元寇)(ぶんえい、げんこう 北九州)
対馬侵攻(つしま 対馬国)
壱岐侵攻(いき 壱岐国)
赤坂の戦い(あかさか 筑前国)
鳥飼潟の戦い(とりかいがた 筑前国)
1281年 : 弘安の役(元寇)(こうあん、げんこう 北九州)
対馬侵攻(つしま 対馬国)
壱岐侵攻(いき 壱岐国)
志賀島の戦い(しかのしま 筑前国)
壱岐島の戦い(いきのしま 壱岐国)
鷹島沖海戦(たかしまおき 肥前国)
御厨海上合戦(みくりや 肥前国)
鷹島掃蕩戦(たかしま 肥前国)
1285年 : 霜月騒動(しもつきそうどう 相模国 - 鎌倉)
1293年 : 平禅門の乱(へいぜんもん 相模国)
1323年頃 - 15世紀前半 : 前期倭寇(ぜんきわこう 元 - 明、高麗)
1324年 : 正中の変(しょうちゅう 山城国 - 京)
1326年 - 1328年 : 安藤氏の乱(あんどうし 蝦夷大乱)
1331年 - 1333年 : 元弘の乱(げんこう 近畿、関東、九州など)
1331年 : 笠置山の戦い(かさぎやま 山城国)
1331年 : 赤坂城の戦い(あかさかじょう 河内国)
1333年 : 瀬川合戦(せがわ 摂津国)
1333年 : 千早城の戦い(ちはやじょう 河内国)
1333年 : 船上山の戦い(せんじょうさん 伯耆国)
1333年 : 六波羅探題の戦い(ろくはらたんだい 山城国、近江国)
1333年 : 小手指原の戦い(こてさしがはら 武蔵国)
1333年 : 久米川の戦い(くめがわ 武蔵国)
1333年 : 分倍河原の戦い(ぶばいがわら 武蔵国)
1333年 : 関戸の戦い(せきど 武蔵国)
1333年 : 鎌倉の戦い(かまくら 相模国)
1333年 : 東勝寺合戦(とうしょうじ 相模国)
1333年 : 鎮西探題の戦い(ちんぜいたんだい 筑前国)
建武の新政
1335年 : 中先代の乱(なかせんだい 信濃国、武蔵国、相模国、駿河国)
井手の沢の戦い(いでのさわ 武蔵国)など
1335年 - 1336年 : 建武の乱(けんむ 東海、関東、近畿、九州など)
1335年 : 矢作川の戦い(やはぎがわ 三河国)
1335年 : 手越河原の戦い(てごしがわら 駿河国)
1335年 : 箱根・竹ノ下の戦い(はこね、たけのした 駿河国)
1335年 : 千田荘の合戦(せんだしょう 下総国)
1336年 : 豊島河原合戦(てしまがわら 摂津国)
1336年 : 多々良浜の戦い(たたらはま 筑前国)
1336年 : 湊川の戦い(みなとがわ 摂津国)
1336年 : 近江の戦い(おうみ 近江国)
日本の合戦一覧(にほんのかっせんいちらん)は、日本の歴史上で発生した武力を以って行った主要な争いの一覧である。
概ね「戦い」や「合戦」は軍隊同士の大規模な戦闘、「乱」は国家や公的な組織に対する内戦・反乱・クーデターに当たる争い、「変」は国家や公的な組織による内戦・反乱・クーデター[1]、「役」は外国・異民族との戦争[2]。
先史時代
縄文時代
晩期(B.C.1300年頃 - B.C.300年頃) : 高砂貝塚(たかさご 北海道虻田郡洞爺湖町)集団間戦闘での損傷を強く示唆する人骨
弥生時代
中期 - 後期(紀元前1世紀頃 - 4世紀中頃?、古く見る説では紀元前4世紀頃 - 3世紀前半) : 環濠集落や高地性集落の広がり(かんごうしゅうらく、こうちせいしゅうらく 九州から関東)広い地域で恒常的に戦乱
中期後半 - 後期(1世紀頃 - 4世紀中頃?) : 鶴見川流域の激烈な戦乱[3](つるみ 神奈川県)環濠集落が密集
後期(2世紀頃 - 4世紀中頃?) : 青谷上寺地遺跡の大量虐殺(あおやかみじち 鳥取県鳥取市)
古墳時代(大和時代)
3世紀後半から4世紀後半? : 入の沢遺跡の滅亡(いりのさわ 陸奥国 - 宮城県栗原市)大和朝廷側の村が蝦夷に滅ぼされたか
原史時代
弥生時代
2世紀後半(? - 189年頃) : 倭国大乱(わこくたいらん、北九州または西日本)
3世紀(260年代まで?) : 邪馬台国と狗奴国の抗争(やまたいこく、くなこく 北九州対南九州または西日本対東海・関東)
240年代末 - 250年代? : 邪馬台国で卑弥呼死後戦乱の末台与(壱予)が女王(ひみこ、とよ/いよ 北九州または関西)
3世紀? - 4世紀? 北九州の倭国と新羅の戦争(わこく、しらぎ 新羅)三韓征伐より前の倭と新羅の戦争を、北九州の倭人の国の新羅侵攻とする説がある[4]。古いものは弥生時代
古墳時代(大和時代)
4世紀後半 : 北九州の地方国家の新羅侵攻と敗北(しらぎ 新羅)大和朝廷進出直前の事か[5]
391年 - 407年(392年 - 408年[6]) : 大和朝廷と高句麗の戦争(倭国と高句麗の17年戦争[7])(やまと/わ、こうくり 高句麗、新羅、百済など)
478年 : 倭王武(雄略天皇)が上表文で高句麗との戦争の意思を表明(わおうぶ)
飛鳥時代以前
須佐之男命の八岐大蛇退治(すさのお、やまたのおろち 出雲国または安芸国)
大国主神による八十神の平定(おおくにぬし、やそがみ 出雲国)
建御雷神と建御名方神の争い(たけみかづち、たけみなかた 出雲国)
建御名方神と洩矢神の争い(たけみなかた、もりや 諏訪地域)
経津主神による葦原中国平定(ふつぬし 出雲の支配地域)
神武東征(じんむとうせい 主に近畿地方)
健磐龍命の阿蘇派遣(たけいわたつ 肥後国阿蘇地方)九州中部の占領
神渟名川耳尊と手研耳命の皇位継承争い(かむぬなかわみみ、たぎしみみ 奈良県)
武埴安彦の乱(たけはにやすひこ 奈良県、京都府)大和朝廷の勢力拡張前
四道将軍の派遣(しどうしょうぐん/よつのみちのいくさのきみ 会津から吉備や丹後まで)
出雲振根(阿多命)を討伐(いづものふるね、あた 出雲国)
武五百建命の信濃派遣(たけいおたつ 信濃国)
都怒我阿羅斯等の来朝と新羅との争い(つぬがあらしと、しらぎ 日本、任那、新羅)
天日槍と伊和大神の争い(あめのひぼこ、いわのおおかみ 兵庫県但馬地方と播磨地方)
狭穂彦の乱(さほびこ 大和国)
景行天皇の征西(けいこう 九州)
倭建命の征討(やまとたける 九州、関東、東北など)
仲哀天皇の征西と死(ちゅうあい 長門国、筑前国)
神功皇后が田油津媛らを撃滅(じんぐう、たぶらつひめ 筑後国山門郡など)日本統一戦争の最終戦らしい[8]
三韓征伐(さんかんせいばつ/みつのから 韓国)
忍熊王・麛坂王の乱(おしくまのみこ、かごさかのみこ 播磨国、摂津国、紀伊国、山城国、近江国)
大浜宿禰が海民の騒動を鎮圧(おおはまのすくね 不明)
武内宿禰を弟が讒言し盟神探湯で決着(たけしうちのすくね、くかたち 九州、大和国)
大山守皇子の乱(おおやまもりのみこ 山城国)
仁徳天皇が隼総別皇子を誅殺(はやぶさわけのみこ 大和国、伊勢国)
上毛野君田道を派遣して新羅征討(かみつけぬ の きみ たぢ 新羅)
蝦夷の反乱で上毛野君田道が戦死(たぢ 陸奥国 - 宮城県石巻市?、千葉県いすみ市説もあり)
葛城襲津彦が新羅の美女の誘惑に引っかかり加羅を討つ(かずらき の そつひこ、しらぎ、から 新羅、加羅)
武振熊が両面宿儺を討伐(たけふるくま、りょうめんすくな/ふたつら 飛騨国)
住吉仲皇子の乱(すみのえのなかつみこ 摂津国、大和国)
允恭天皇が玉田宿禰を誅殺(いんぎょう、たまだのすくね 大和国)
木梨軽皇子の失脚(きなしのかるのみこ 大和国)
安康天皇による大草香皇子の殺害(あんこう おおくさかのみこ 大和国)
眉輪王の変と雄略天皇(倭王武)による皇族殺戮(まよわのおおきみ ゆうりゃく 大和国)
吉備氏の乱(吉備上道臣田狭の反乱)(きびのかみつみちのおみのたさ 任那)
吉備下道臣前津屋を誅殺(きびのしもつみちのおみのさきつや 備中国)
新羅、高句麗との戦争で大伴談連が戦死(おほとものかたりのむらぢ 新羅)
雄略天皇による新羅親征計画(ゆうりゃく)
星川皇子の乱(ほしかわのみこ 大和国、備前国、備中国)
紀大磐が三韓の王になろうとするが失敗(き の おおいわ 任那、百済)
平群真鳥、平群鮪父子を誅殺(へぐりのまとり、へぐりのしび 大和国)
527年? - 528年? : 磐井の乱(いわい 筑後国)
534年? : 武蔵国造の継承争い(むさしのくにのみやつこ/むさしこくぞう 武蔵国、上野国)朝廷に対する反乱ではない
540年? : 新羅が任那を併合(しらぎ、みまな 任那)
587年? : 丁未の乱(ていび 大和国、河内国)物部守屋の滅亡
600年 : 推古朝の新羅征討(すいこ、しらぎ 新羅)
643年 : 蘇我入鹿が山背大兄王一族を滅ぼす(そがのいるか、やましろのおおえのおう 大和国)
658年 - 660年 : 阿倍比羅夫の北方遠征(あべのひらふ 東北、渡嶋 - 北海道?)
660年頃 : 蝦夷と粛慎の交戦(えみし、みしはせ 渡嶋 - 北海道?)アイヌ人の祖先とオホーツク文化人(ニヴフ人か)の戦いか
663年 : 白村江の戦い(はくすきのえ/はくそんこう 新羅 - 錦江河口付近)
672年 : 壬申の乱(じんしん 大和国、伊勢国、尾張国、美濃国、近江国など)
奈良時代
720年 - 721年 : 隼人の反乱(はやと 大隅国、薩摩国)
740年 : 藤原広嗣の乱(ふじわらのひろつぐ 筑前国、豊前国、長門国など)
758年 : 藤原仲麻呂による新羅征討計画(ふじわらのなかまろ、しらぎ)
764年 : 藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)(ふじわらのなかまろ、えみのおしかつ 大和国、山城国、近江国、越前国)
774年 : 桃生城襲撃事件(ものう 陸奥国 - 宮城県)
774年 : 宝亀五年の征夷(ほうき 陸奥国 - 宮城県)
776年 : 宝亀七年の征夷(ほうき 陸奥国 - 宮城県)
780年 : 宝亀の乱(ほうき 陸奥国 - 宮城県)
789年 : 延暦八年の征夷(えんりゃく 陸奥国 - 岩手県)
789年 : 巣伏の戦い(すぶしまたはすぶせ 陸奥国 - 岩手県奥州市)
794年 : 延暦十三年の征夷(えんりゃく 陸奥国 - 岩手県)
平安時代
801年 : 延暦二十年の征夷(えんりゃく 陸奥国 - 岩手県)
811年 : 弘仁二年の征夷(こうにん 陸奥国 - 青森県)
813年 : 弘仁の韓寇(こうにんのかんこう 対馬国)
820年 : 弘仁新羅の乱(こうにんしらぎのらん 遠江国、駿河国、伊豆国)
820年 : 弘仁新羅の寇(こうにんしらぎのこう 肥前国)
869年 : 貞観の韓寇(じょうがん 豊前国)
878年 : 元慶の乱(がんぎょう 出羽国)
889年 : 寛平・延喜東国の乱(かんぴょう、えんぎ、とうごく/あづまのくに 東国)
893年 : 寛平の韓寇(かんぴょうのかんこう 壱岐国、対馬国、肥前国、肥後国)
911年 : 弘仁の新羅の賊(こうにん 対馬国)
913年 : 弘仁の新羅の賊(こうにん 肥前国)
935年 - 940年 : 承平天慶の乱 の平将門の乱(じょうへいてんぎょう、たいらのまさかど 関東)初期は私戦で天慶2年から反乱
939年 : 天慶の乱 (出羽国)(てんぎょう 出羽国)
940年 - 941年 : 承平天慶の乱 の藤原純友の乱(じょうへいてんぎょう、ふじわらのすみとも 西日本、畿内も?)
947年 : 藤原是助の乱(ふじわらのこれすけ 伯耆国)
997年 : 長徳の入寇(ちょうとく 九州全域)
997年 : 「奄美島」の者が大宰府管内へ乱入(あまみ 薩摩国、奄美大島)
999年 : 大宰府が南蛮人(奄美大島らしい)を追討(九州、奄美大島)
1019年 : 刀伊の入寇(とい 対馬国、壱岐国、筑前国、高麗)
1028年 - 1030年 : 平忠常の乱(たいらのただつね 上総国・下総国)
1051年 - 1062年 : 前九年の役(ぜんくねんのえき 陸奥国)
1051年 : 鬼切部の戦い(迫川の戦い)(おにきるべ 陸奥国 - 宮城県大崎市)
1056年 : 阿久利河の戦い(迫川の戦い)(あくとがわ 陸奥国 - 岩手県一関市?)
1056年 : 黄海柵の戦い(きのみのさく 陸奥国 - 岩手県一関市)
1062年 : 小松柵の戦い(こまつさく 陸奥国 - 岩手県一関市)
1070年頃 : 延久蝦夷合戦(えんきゅうえぞ 陸奥国、蝦夷地?)
1083年 - 1087年 : 後三年の役(ごさんねんのえき 出羽国)
1086年 : 沼柵の戦い(ぬまさく 出羽国 - 秋田県横手市)
1087年 : 金沢柵の戦い(かなざわさく 出羽国 - 秋田県横手市)
1107年 - 1108年 : 源義親の乱(みなもとのよしちか 出雲国)
1156年 : 保元の乱(ほうげん 京周辺)
1159年 : 平治の乱(へいじ 京周辺)
1177年 : 鹿ケ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)
1179年 : ツホカミ山の戦い(つほかみやま 伯耆国)
1180年 - 1185年 : 治承・寿永の乱(じしょう、じゅえい 関東から九州)
1180年 : 以仁王の挙兵(もちひとおう 山城国)
1180年 : 石橋山の戦い(いしばしやま 相模国)
1180年 : 市原合戦(いちはら 信濃国)
1180年 : 富士川の戦い(ふじがわ 駿河国)
1181年 : 南都焼討 (なんとやきうち 大和国)
1181年 : 墨俣川の戦い(すのまたがわ 尾張国、美濃国)
1181年 : 横田河原の戦い(よこたがわら 信濃国)
1183年 : 火打城の戦い(ひうちじょう 越前国)
1183年 : 野木宮合戦(のぎみや 下野国)
1183年 : 倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげ 加賀国、越中国)
1183年 : 篠原の戦い(しのはら 加賀国)
1183年 : 水島の戦い(みずしま 備中国)
1183年 : 室山の戦い(むろやま 播磨国)
1183年 : 法住寺合戦(ほうじゅうじ 京)
1184年 : 宇治川の戦い(うじがわ 山城国)
1184年 : 粟津の戦い(あわづ 近江国)
1184年 : 一ノ谷の戦い(いちのたに 摂津国)
1184年 : 三日平氏の乱(みっかへいし 伊勢国、伊賀国)
1185年 : 藤戸の戦い(ふじと 備前国)
1185年 : 屋島の戦い(やしま 讃岐国)
1185年 : 壇ノ浦の戦い(だんのうら 長門国)
1185年 : 河原津の合戦(かわはらつ 摂津国)
1185年 : 河尻の戦い(かわじり 摂津国)
鎌倉時代
1189年 : 衣川の戦い(ころもがわ 陸奥国)
1189年 : 奥州合戦(おうしゅう 陸奥国)
石那坂の戦い(いしなざか 陸奥国)
阿津賀志山の戦い(あつかしやま 陸奥国)
1190年 : 大河兼任の乱(おおかわかねとう 出羽国、陸奥国)
1199年 : 梶原景時の変(かじわらかけとき 駿河国)
1201年 : 建仁の乱 (けんにん 山城国、越後国)
1203年 : 比企能員の変(ひきよしかず 相模国)
1205年 : 畠山重忠の乱(はたけやましげただ 相模国)
1213年 : 泉親衡の乱(いずみちかひら 相模国)
1213年 : 和田合戦(わだがっせん 相模国)
1221年 : 承久の乱(じょうきゅう 関東、東海、北陸、近畿)
1247年 : 宝治合戦(ほうじ 相模国)
1264年 - 1286年 : モンゴルの樺太侵攻(サハリン、蝦夷が島)北海道のアイヌ人も関わる
1272年 : 二月騒動(にがつそうどう 山城国 - 京、相模国 - 鎌倉)
1274年 : 文永の役(元寇)(ぶんえい、げんこう 北九州)
対馬侵攻(つしま 対馬国)
壱岐侵攻(いき 壱岐国)
赤坂の戦い(あかさか 筑前国)
鳥飼潟の戦い(とりかいがた 筑前国)
1281年 : 弘安の役(元寇)(こうあん、げんこう 北九州)
対馬侵攻(つしま 対馬国)
壱岐侵攻(いき 壱岐国)
志賀島の戦い(しかのしま 筑前国)
壱岐島の戦い(いきのしま 壱岐国)
鷹島沖海戦(たかしまおき 肥前国)
御厨海上合戦(みくりや 肥前国)
鷹島掃蕩戦(たかしま 肥前国)
1285年 : 霜月騒動(しもつきそうどう 相模国 - 鎌倉)
1293年 : 平禅門の乱(へいぜんもん 相模国)
1323年頃 - 15世紀前半 : 前期倭寇(ぜんきわこう 元 - 明、高麗)
1324年 : 正中の変(しょうちゅう 山城国 - 京)
1326年 - 1328年 : 安藤氏の乱(あんどうし 蝦夷大乱)
1331年 - 1333年 : 元弘の乱(げんこう 近畿、関東、九州など)
1331年 : 笠置山の戦い(かさぎやま 山城国)
1331年 : 赤坂城の戦い(あかさかじょう 河内国)
1333年 : 瀬川合戦(せがわ 摂津国)
1333年 : 千早城の戦い(ちはやじょう 河内国)
1333年 : 船上山の戦い(せんじょうさん 伯耆国)
1333年 : 六波羅探題の戦い(ろくはらたんだい 山城国、近江国)
1333年 : 小手指原の戦い(こてさしがはら 武蔵国)
1333年 : 久米川の戦い(くめがわ 武蔵国)
1333年 : 分倍河原の戦い(ぶばいがわら 武蔵国)
1333年 : 関戸の戦い(せきど 武蔵国)
1333年 : 鎌倉の戦い(かまくら 相模国)
1333年 : 東勝寺合戦(とうしょうじ 相模国)
1333年 : 鎮西探題の戦い(ちんぜいたんだい 筑前国)
建武の新政
1335年 : 中先代の乱(なかせんだい 信濃国、武蔵国、相模国、駿河国)
井手の沢の戦い(いでのさわ 武蔵国)など
1335年 - 1336年 : 建武の乱(けんむ 東海、関東、近畿、九州など)
1335年 : 矢作川の戦い(やはぎがわ 三河国)
1335年 : 手越河原の戦い(てごしがわら 駿河国)
1335年 : 箱根・竹ノ下の戦い(はこね、たけのした 駿河国)
1335年 : 千田荘の合戦(せんだしょう 下総国)
1336年 : 豊島河原合戦(てしまがわら 摂津国)
1336年 : 多々良浜の戦い(たたらはま 筑前国)
1336年 : 湊川の戦い(みなとがわ 摂津国)
1336年 : 近江の戦い(おうみ 近江国)