埼玉ed 2

さて、義実家から実家へ移動ー。
父上と呑んだり呑んだり呑んだり。呑んでばっかり。
鈴虫を観察したり。

去年もうじゃうじゃいらしたけど、今年は更に増殖しててちょっと怖ひくらいでした。この画像にはなぜか2匹しか写ってないけど、それはわしのタイミングが(略
『増えすぎちゃって困ってるんだよう』などと言いつつも、いそいそお世話している父上。カツオの粉なんかも与えてちゃんと栄養バランスも考えてたりして、困ってる割りにはすっかり鈴虫ブリーダーとなっている父上なのでした。

ほいで義実家も実家もそうなんですが、家庭菜園の多い地域なので、昔から野菜はほぼ自給自足。ご近所にお裾分けしたり逆に頂いたりするのが、ごく当たり前の日常。楽しんで育てて、収穫したものを楽しんで食べて、ご近所さんとも共有して・・・っちゅう、微笑ましい光景が昔から続いてるわけなのですが。・・・が。
わしの滞在中にも、『××さんからゴーヤいただいた』『お返しにトマトあげた』なんてやってまして。そこには悪意などまるで介在せず、完全に好意だけのやりとりであることは分かっちゃいるのですが。・・・が。
幸手リアも相当汚染されちゃったわけで、でも除染なんかしてないわけで、そんな畑で作ってる野菜は相当ベクレてるわけで、それを自分達で食べるのもアレだけどご近所さんにあげちゃうのはもっとアレなわけで、気にしてない人は気にしてないけど、気にしてる人だったら罪悪感と共にきっと泣きながら捨てているであろうわけで、でもお裾分けする時『きゅうり沢山とれたから持って来たよ。ちょっとベクレてると思うけど食べる?』なんて聞けないわけで・・・
とか色々話したかったけど、言えなかったぁぁ(泣)
その道のプロである農家さんや漁師さんにとってはもちろん難しい問題だけど、田舎の庶民の間の『好意の物流』もたいへん難しい問題だよなぁ、としみじみ。
まぁ他所様にあげるのはともかく、自分が好きで作って好きで食べてるものを、食べるなとは言えないよなぁ、長生きして欲しいんだけどなぁ、でも習慣を変える方がストレスになって身体によくないかもしれないしなぁ、などと、考えはつきにゃい。
戦後苦労してきた人達だからこそ、のんびり穏やかで安全な老後を送ってほしいだけなんだけどなぁ。
しみじみ考えさせられながら、父上や義母上が丹精込めて作ったベクレ野菜をありがたくわしわし頂いた帰省だったのでした。

被災地では食べるもんなくて困ってる人がまだ沢山いるのにナニを生ぬるいことを、とお叱りを頂きそうですが、それとはまた別の問題として、ささやかな身近な問題として、書いてみまひたです。ぬぁぁ、なんかすびばせん、すびばせん(泣)
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